こんにちは(*^^*)

 

 

 

今回も思い立ったら吉日!といういつもと変わらない弾丸旅行です♪

目的地は石見銀山!

山陰に来て、うちが絶対行っておきたい場所に掲げていた一つに連れて行ってもらいました(*^^*)

 

 

弾丸なので、前情報は、世界遺産であるということと、銀が取れていた場所ということぐらい(笑)

 

なので、現地について学ぶことが多すぎて、いつものように

実況形式だと、話がごちゃごちゃしちゃいそうなので、

今回は、前勉強編ということにして、世界遺産である石見銀山をサラッとご紹介。

 

 

 

 

世界文化遺産

石見銀山は、正式には岩見銀山遺跡とその文化的景観という括りで世界文化遺産登録されています。

 

銀山だけではなく、銀山周辺の町並み、街道、お寺や港。

調べてみると、処刑場も(>_<)w

 

後述で、写真を踏まえてご紹介しますが、江戸時代当時のままの町並みが残り、

その中で、現代も人々が生活を営んでいます。

石見銀山遺跡周辺は三つの区画に別れていて

Aの区画が代官所ゾーン

Bの区画が武家・町屋ゾーン

Cの区画が銀山周辺

という感じ。

ここだけでも、観光にまるっと一日かかります(笑)

 

 

 

 

石見銀山とは

 

石見銀山とは、銀が取れる鉱山です。

発見されたのは、鎌倉時代後期。

最盛期は、戦国時代から、江戸時代前期。

最盛期のころは、世界の三分の一の量を採掘していました。

 

戦国時代では、中国地方の戦国大名

大内氏や尼子氏、毛利氏がこの銀山の主権争いをし、最終的には、毛利氏の直轄になるのですが、

関ケ原の合戦以降、徳川幕府と小競り合いの末、幕府の直轄になったそうです。

岩見銀山は、銀だけでなく、明治に入ると銅が主流になって、

最終的には、1943年に完全閉山しました。

 

歴史としては、発見されたのが、1309年なので約600年。

ため息が出るほど長い。

 

これが、大まかな銀山の歴史。

 

 

 

坑道体験!

 

銀を採掘するための坑道や水抜き坑のことをまとめて間歩(まぶ)と言います。

岩見銀山にはこれまでにこの間歩が

なんと700余発見されています(*'ω'*)

 

その内、実際に見学できる場所は二か所だけ(・ω・)

それが、

龍源寺間歩と大久保間歩。

この二つの内、龍源寺間歩は、通年で見学可能ですが、

大久保間歩の方は、ツアー形式で予約制。しかも週末限定!

そして、冬季はコウモリの越冬のために開催されていないそうです。

 

前情報って大事(笑)

 

間歩の中も、後述のブログで写真付きで紹介しますね♪

 

 

 

 

 

今回の序章はここまで(笑)

 

あまりにも、お勉強要素が多かったので、先に小出ししました(笑)

次の旅ブログは、それぞれの要素を踏まえてガッツリ書いていこう♪

 

お楽しみに♪