おはようございます(*^^*)
なんだかんだと、出雲旅行記は、も第三弾です(笑)
このままいくと、5弾まで続きそうですね(笑)
簡単にこの神社よかったよ(*^^*)
って感想だけなら、多分すぐに終わるんですが(笑)
そういうの思い出が薄く感じてしまうので(笑)
もう少し、お付き合いいただけると
嬉しく思います(*^^*)
出雲大社は、この鳥居をくぐると、その先は下り坂になっています。
これも珍しい特徴で普通は、山頂とか山の麓とかに作るんですが、
出雲大社は、低いところに作られている。
これも、怨霊を封じ込める意図があるように思います。
そして、拝殿があって、その奥に本殿があるのですが、
この本殿は、お屋敷のように門があり、塀で囲まれていて
本殿と門の間にはそれぞれ小さなお社があります。
こんな感じです。
本殿の周りを塀で囲い、さらにその外側に社を建て、その外側をさらに塀で囲う。
厳重過ぎるほどの結界ですね(笑)
本殿の外側にあるお社には、
古事記に出てくる大国主命の神話の中で、大国主命と添い遂げる奥さんたちや、
大国主命を助けるお姫様。
(神話を書き出すと、長くなりすぎるので(笑)この辺のお話は、割愛させてただきます)
が、祀られています。
この社は、江戸時代のものなので
ちょっとした大奥を再現しているのでしょうか?(笑)
綺麗なお姫様たちをそばに置いておくことで、ここから出ないようにと
ハニートラップを仕掛けたようにも思います(笑)
(完全に妄想ですw)
そして、荒垣と書かれた内側にあるお社には、
十九社というお社が二つ。
このお社は、年に一度出雲の地に訪れる、八百万の神様のお社です。
それ以外のお社は、代々この出雲を守ってきた
出雲国造家の祖神と、17代出雲氏の当主が祀られています。
一番奥には、蘇戔社と言って、大国主命の義父にあたるスサノオノミコトが祀られています。
この様式になったのは、江戸時代です。
出雲大社は式年遷宮といって、何十年かに一回本殿を建て直しています。
この様式になった後は、修復遷宮という形に切り替わっています。
怨霊信仰を元に、大国主命をこの地に閉じ込めようとした人達は、何を思って
この形にしたのか。
そこを考えると、色んなことが想像・妄想出来て楽しいです(*^^*)
最後に。
ここまで書いておいて、そのオチ??(笑)
と、なることを書きます(笑)
うちは、よく神社やお寺に「呼ばれる」ことがあります。
引き寄せられるように。。
今回は、出雲大社なのでだいぶ期待して、行ったのですが
そんなに大した気を感じなかったんです(;´・ω・)ww
どちらかというと大山神社の方が、気がすごかった。
「ここに、大国主命はいないんじゃないか?」と思うほど
気が抜けてる感じがしました。
「それって、あなたに力・能力がなかっただけでしょ」
と、言われればそれまでですが(笑)
これ、北海道でも感じたことなんですが、
美瑛にある、大きな神社に行った時も、空っぽだったんですよね。
で、考えたこと。
うちは、その地に古くから根付く信仰という気を感じているのではないかと。
出雲大社は、その土地の人々が、大国主を祀るために建てたのではなく、
敵である天津神によって建てられた、封印の場所。
北海道では、日本神話よりも、アイヌ独特の「カムイ信仰」がある場所です。
そんなところに、横入りしてきた信仰って、そんな簡単に気が入るとも思わない。
だから、異質で、空っぽに感じたんではないか。
出雲も、その土地を奪った側が、建てたものであって、その土地の信仰とは
異質なまま、観光地として賑わい、地元の信仰と相反する何かに
なってしまったがために、うちは何も感じなかったのではないか。
そういう結論に至りました。
ということで、この後、出雲大社を後にして
地元の信仰篤い場所を探すことに(*^^*)
まさか、これがうちの悲劇に繋がるとは、思いもしませんでしたが・・・・
ということで、出雲大社のお話はここで終了です(*^^*)
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。(*^^*)
旅行記は、あと二つほど続くと思います(*^^*)