自叙伝|徒然なるままに  ~想いは巡り 言の葉は舞う~ (ameblo.jp)

 

 

まずは、上の記事を読んでから、続きをどうぞ。

 

 

 両親の離婚の話。

不仲や性格の不一致が原因と思っていたうちからしたら、

これは衝撃の話だった。

 

ここまで、読んだ人の中には、何が原因かなんとなくわかっている人もいるかもしれない。

 

 

原因は父ではなく、母にあった。

父の母親と同居することになった時、母親の預金通帳の管理を母がすることになったらしい。

そう、そのお金を使い込んだのだ。

もちろん、父の母親はそれを知らない。

最初は、ちょっとだったかもしれないが、数年の内に通帳残高は0になる。

そして、その穴埋めのために叔母や親戚にお金を借りては、

それを使い込むということを繰り返していたらしい。

 

それが、父にバレて離婚ということになったと聞いた。

 

叔母は「お父さんは可哀想だった。家族旅行も一緒に行けず、

趣味のパチンコにも文句をつけられていた。でも、あんたらのために耐えてた人だったよ。」

と教えてくれた。

 

離婚後、一度だけ父から連絡があり、子供たちのために母とやり直したい。と相談を受けたらしい。

叔母は、二人で話し合うべきだと思って、うちや妹、祖母を連れて

旅行に行ってる間に話し合えと母に伝え、待ち合わせの喫茶店まで教えた。

 

結果、母はその喫茶店に行かなかったそうだ。

理由は「一度嫌いになった相手と何でやり直せるん?」

だそうだ。

 

これには、ショックというより呆れてしまった。

 

そんなことだとは知らず、母を喜ばせようと嘘をつき、

母の言い分を信じ、父に対してなんら思いやりも持てなかった自分を

心底嫌いになった。

嫌いでも、好きでもなかったが(なんせ、思い出という思い出がないので)

余りにもひどい仕打ち。

失意の中、地元に帰り、母親との暮らしの中で

どうやって、自分を立て直せたというのだろうか。

父のことを思うと、今でも後悔しかない。

 

 

叔母が、母に援助した総額は500万を超えるという。

「縁を切りたい」

そう、母に叔母が伝えた時、母は、泣いて嫌がったらしい。

でも、叔母はこの関係に疲れていて、「お金を返さなくていいから縁を切ろう」と告げた。

すると、即答で「わかった」と言ったという。

 

母にとって、妹である叔母との関係は、結局お金だけのつながりだったのだろうか。

今となってはわからない。

 

叔母も、落胆したという。

復縁をしたと言っても、それは母とではなく祖母のことが気がかりだったからだそうだ。

「自分の母親の最期ぐらい、ちゃんと看取りたかった」と。

 

そういえば、祖母はうちに「叔母が連絡をよこしたのは、自分の過ちに気づいたからだ。 母親への恩を返したかったんだろう」

と言っていた。

この言い方もどうだろうか。

どの立場で言っているのだろうか。

母がお金を使い込んだ片棒を祖母は担いでいたのに。

 

自分の親が、祖母がそんな一面を持っていたこと。

それが、すごく汚らわしく思った。

 

ここから、本格的にうちは自分に言い聞かすようになる。

「母のようにはならない」

 

自分の中にある、母と似た部分を汚らわしく思い、

自分の利益だけで、人と付き合っていく、利益がないと分かれば

相手を悪く言い、自分を正当化する。

そんな母の生き方、祖母の生き方はどうしても許せなった。

 

 

周りの大人が言う、母の悪口や意見に対して、

「確かに。」と納得して、母や祖母を否定していた頃があったが、

それとは違う、自分の中の感情で、母を否定したのだ。

 

最後に、叔母が言った言葉がある

 

「あなたのお母さんは可哀想な人だと思う」

 

 

この意味を考えることなど、意味がないとおもっていた。

 

 

 

続く。