埼玉縣護國神社
の御朱印








参拝の栞








社号標
氷川神社を抜けて、
大宮公園に入ると、
埼玉縣護國神社の社号標がある🛐








由緒
埼玉県人の英霊の祭祀は、
昭和以前は県内各所に神籬を建てて
鎮魂慰霊の祭祀を行っていたが、
満洲事変で県下の英霊が増えたのを機に、
招魂社創設の機運が高まり、
昭和9年(1934年)4月9日に
朝香宮鳩彦王(当時近衛師団長)臨席の下、
「埼玉県招魂社」として鎮座した🛐
社殿の設計は二本松孝蔵🔨
同14年3月に「埼玉県護國神社」と改称して
4月に指定護国神社となる🛐

戦後の昭和21年(1946年)2月に宗教法人となり、
同23年10月に崇敬者の総意により
一時「埼霊神社」と改称したが、
同27年に「埼玉県護國神社」に復した🛐
昭和30年(1955年)、奉賛会が設立される🛐

昭和42年(1967年)10月23日、
昭和天皇、香淳皇后が
第22回国民体育大会に合わせて
県内を行幸啓🛐
護国神社が訪問先の一つとなる🛐
また、平成25年10月には
特攻勇士の像が建立された🛐








⛩️二の鳥居⛩️
社号標がある一の鳥居から
数分歩いたところに、
前述の由緒書があり、
道を隔てた場所にあるのが
この二の鳥居⛩️








拝殿
そして、二の鳥居をくぐると
この拝殿があります🛐
五万一千百八十柱の英霊を
祀っている🛐








艦砲弾
奉納 艦砲弾 径24糎 全長約90糎

天皇陛下のもと、国家安寧を願い、
見事玉と砕けた御英霊等の鎮魂の一助
となればと思い慎んで奉納された🛐

東郷元帥が聯合艦隊を率いZ旗の下、
日本海海戦において、
かのロシアバルチック艦隊を殲滅し、
世界にその名を知らしめた🛐

その後、凱旋廻航のみぎり、
各地の御一宮にその際出撃致した
戦艦を始め各艦の砲弾を御奉納なされた
との説があります🧐

譲り受けた老爺に伝え聞いたところ、
この砲弾はその時期に
武蔵一宮氷川神社に御奉納され
境内のいずれかにあったと思われますが、
戦後の混乱期に
何処かに流出していたという🧐

艦砲の砲撃手は俗に自ら鉄砲屋と呼び
一弾一弾を我が子のように慈しみ、
『見事命中してくれよ』と祈りを籠めて
懸命に磨き上げたという🧐








社務所
こちらにて、御朱印拝受出来ます🛐