総社神社
の御朱印








⛩️鳥居⛩️

 御祭神
 天照皇大神
 豊受大神
 大己貴神
 味鋤高彦根神
 八重事代主神








拝殿

御由緒
聖武天皇の御宇神亀元年(724年)の創建⛩️
後、奥州押領使、藤原清衡侯再興⛩️
秋田の府久保田郷中央に
大嶽山小嶽山光明山
の三頂があった処から
三森山または三嶽山と称した🏔

現在の千秋公園である🏞

第一峯に大己貴神、事代主神、
味鋤高彦根神が御鎮座、
総社大明神と称す⛩️

第二峯に天照皇大神、
豊受大神が御鎮座、
神明宮である⛩️

第三峯には別宮攝末社があり、
八幡大神、乙宮大神、祇園神、
稲荷大明神、鹿島大明神、
高市大明神、賀茂上下神、
比咩語曽神、諏訪上下大明神、
葛城神、大和大明神、
大歳神、松尾大明神、
竃神社、御食津神、
祓所神、風神、白山神、水神等
19社が鎮座していた⛩️

明治45年合祀⛩️
三森山神社から総社神社へ改称する⛩️
征夷大将軍源頼朝が東征の後上洛のとき
畠山庄次郎重忠に命じ当山を治め
神領地として定められた⛩️

慶長7年(1602年)
常陸の佐竹氏が秋田転封になり、
その居城を久保田の三森山と
定めたことにより、
山頂の神明宮、総社宮攝末社を
楢山村下浜に遷座した⛩️

佐竹氏累代その尊崇極めて篤く祭典、
造営に多大の寄進を賜った⛩️

その後元禄7年(1659年)
川尻上野の地に社地を得、
宝永4年(1707年)社殿を造営遷座した⛩️

川尻、川口、楢山地区の鎮守として
尊崇をうけたが、
昭和6年の大火で社殿焼失、
同年仮社殿を建てたが、
大東亜戦争が起り本社の完成を見ずに
現在に至っている⛩️
平成19年上野遷座三百年記念を迎えた⛩️