彌高神社
の御朱印

千秋公園内に鎮座⛩️








鳥居⛩️

御祭神
平田篤胤大人命
佐藤信淵大人命

平田篤胤は、復古神道を創始して
古典文化の復興に寄与し、
その学問は「草莽の国学」
として日本近代化のさきがけとなり、
明治維新の原動力の源泉ともなった🧐

なお、篤胤は没後の弘化2年(1845年)3月、
「神霊真柱大人(かむたまのみはしらのうし)」
の諡名霊神号を白川伯王家より賜っている🧐

佐藤信淵は、
幕末期に各藩に招かれて藩政改革の
ために尽力した農政家であったが、
それ以上に高い理想と広い構想をいだいた
経世家であったという🧐

彼は久保田藩領の雄勝郡西馬音内村
(現・雄勝郡羽後町)の出身で、
気吹舎の門人である🧐








拝殿

この日は神前結婚式してらっしゃいました💒
赤ジュータンがその名残り。
関係者の方たくさんいらしたので、
あまり多くの写真撮れず📸
この左手が社務所です⛩️



御由緒
秋田出身の国学者・神道家である平田篤胤
(安永5年8月24日-天保14年閏9月11日)
を顕彰し崇敬するために、
平田門人であった小谷部甚左衛門らが、
南秋田郡寺内村(現・秋田市)の
日吉八幡神社境内に
平田篤胤を祀り創建した「平田神社」を
母体としている⛩️

小矢部は日吉神社の祠官で、
明治14年(1881年)8月13日に、
針生源太郎、山中新十郎、
桜田誠一郎、羽生氏熟、
とともに日吉神社境内に平田神社を
創建することを秋田県令石田英吉に願い出、
それに対し石田県令は
同年8月26日付けでこれを認めた🧐

平田神社の社殿建設にあっては全国の
平田門人がかかわっており、
明治15年2月の
県令あて嘆願書に名をつらねたのは、
久保悳鄰、師岡正胤、古川豊彭、
吉岡徳明、渡辺玄包、
久保季茲、 井上頼圀、 
丸山作楽、 矢野玄道
の9人であった🧐

この嘆願書は、
平田神社に対して特別の恩典を
求めるもので、これに対し石田県令は、
翌3月に金100円を下賜している🧐

明治42年(1909年)に至り
秋田県教育会が中心となり
久保田城内の正八幡社(旧県社八幡神社)
を購入のうえ修繕し、佐藤信淵を合祀、
彌高神社と改称した⛩️

大正5年(1916年)に現在地へ移築されて、
大正8年(1919年)には県社に列せられた⛩️

明治時代創建の神社であるが社殿が
江戸時代の建築であるために、
権現造の形式をとっている🧐