大日如来
の御朱印








聖観世音
の御朱印








金剛山大日尊鑁阿寺








鑁阿寺山門








本堂
本堂は鎌倉時代、
建久7年(1197)に足利義兼が
持仏堂として建立したものを、
その後足利義氏が方5間の大堂を建立🛕

しかし、1129年の火災で失い、
尊氏の父・足利貞氏により
正安元年(1299)に再建🛕

鎌倉時代に当時中国の最新の
寺院建築様式の一つであった
禅宗様をいち早く取り入れたもの🛕

密教寺院における
禅宗様仏堂の初期の例として、
また関東地方における禅宗様の
古例として貴重な文化財である🛕

平成25年(2013)に国宝指定🛕

ご本尊は胎蔵内大日如来🛕

申年、未年の守り本尊🛕

後方壇に弘法、興教の二大師、
開基鑁阿上人像をはじめ、
明治維新まで、
堀の外に祀ってあった
塔頭十二支院の御本尊を安置している🛕








鑁阿寺は、
鎌倉時代、建久七年(1197)に
足利義兼によって建立された
真言宗大日派の本山🛕

本尊は源氏、足利氏の守り本尊である
大日如来を祀る🛐

約4万平方メートルに及ぶ敷地は、
元々は足利氏の館であり、
現在でも、四方に門を設け、
土塁と堀がめぐらされており、
平安時代後期の
武士の館の面影が残されている🛕

またこの事から
「史跡足利氏宅跡」として、
大正10年3月に、
国の史跡に指定されており、
現在、日本の名城百選に選定🏯

寺院としては、鎌倉時代初期、
1196年(建久7年)
源姓足利氏2代目の
足利義兼が発心得度し、
邸宅内に持仏堂を建てたのが始まり🛕

義兼死後、
その子義氏が建立した本堂は、
1229年に落雷により焼失したが、
足利貞氏が禅宗様式を取り入れ改修🛕

日本としては禅宗様式への
転換期の最初期にあたる🛕

鎌倉時代から室町時代にかけて
寺院として次第に整備され、
室町将軍家、鎌倉公方家などにより、
足利氏の氏寺として手厚く庇護された🛕

境内には、本堂のほかにも、
鐘楼、一切経堂が国の重要文化財、
東門、西門、楼門、多宝塔、
御霊屋、太鼓橋が
栃木県指定の建造物で、
その他、市指定の建造物も多数あり、
その他建造物以外にも、
彫刻や文書、美術工芸品など、
中世来の貴重な宝物類も多数残され、
今に伝わっている🛕

また市民の方々には古くより
大日様」と呼ばれている🛕








賓頭盧尊者
本堂内に座する賓頭盧尊者🙏
目が強いです👀
あちこち撫でさせてもらいました🖐️








この後、雷雨にみまわれて
他にもある建物、
鐘楼、一切経堂、
東門、西門、楼門、多宝塔、
御霊屋、太鼓橋を回りきれず、
写真も撮れませんでした📸
かなり広い境内なので、
時間をかけて回りたい場所です🧐