同級生 | 自分の好きに選べばイイんだ、、、サーフボードも生き方も。

自分の好きに選べばイイんだ、、、サーフボードも生き方も。

「奥村作」シェープと09&ブラストサーフボードの情報発信。 今を思いっ切り生きられたらイイね! 海、波、サーフィン、遊んで仕事して、たまに人生、語ったりして。




2014年 7月30日、


日本大学芸術学部放送学科の同級生、


西川浩一郎が他界した。









入学当時から、同じ班と言う事もあるが


人見知りな俺が彼とは何となく馬が合い、


授業の共有だけでなく、


プライベートな時間も含め、結構親しく付き合って貰っていた。








富山から出て来たばかりの田舎者の俺と、


地元が戸越の東京っ子。






ズケズケと俺に気を使わずに物事を言うような


パッと見の荒っぽさは、


東京下町の人間っぽいなぁ~ と思いながらも、





言葉はキツイが嫌じゃ無かったので、


こんな奴なんだ(笑)と、わりと気楽に側にいられた。






ギターやってて、


目黒区民会館だかへ奴のバンドのライブを見に行ったっけなぁ。






凄く上手かった。









20歳以降、大学の3年、4年と


サーフィンにハマってしまった俺は


学校へ行っても友達と接した記憶もあまり無く、




何とか卒業は出来たけど、






卒業したんだよなぁ、俺。






留年組の浩一郎達とは更に会う機会も無く、、、




とは言え、




一旦友達になっちゃった日芸放送の同級生との仲の良さは



(俺達は全然意識していないけど、)



相当深い、濃い、クドイ(笑)レベルらしい。







時々思うが、日芸放送に在籍した者の意識レベルは、



俺が思うに、どこか特別な物があるのではないかと思う。






だから、彼とは特に離れた意識も無いままに





30年経って



去年、久しぶりに会う事が出来た。









浩一郎は、



学生時代からハングライダーやってて、



アマチュアにもかかわらず攻める彼は、



ある日飛んでる時に、ミスッて空から落ちて以来、





結構ヘビーな人生になっちゃったのかも知れない。





不治の病パーキンソン病になってしまったり、、、。







でも、







一回結婚してるし、




イイ奥さんだったって聞くし、、、









それなりにちゃんと幸せだったんじゃん。









何が言いたいかって?






こんな時だからって、



何か特別言いたい事がある訳じゃなくて、、、






あいつはね、




浩一郎は、



病気じゃなかったら、



あれこれ積極的に動き回って、



とてつもなく凄い事やっちゃう奴なんだ!



本当は。









パーキンソン病、、、



なんだそれ。



ふざけんな、、、。








浩一郎は、凄く面白い事はちゃんと面白がって、




普段はコツコツと地味に動いてはいるけれど、




ヒョーヒョーとしながらも、



ある時突然、何か大した事をやる奴なんだ。







だからそんなあいつは、



出会った時からいつだって俺のヒーローだった。








空から落ちてから、



リハビリや治療の為の薬にやられ、





その上のパーキンソン病。






辛い闘病中、数十年振りに会った時も


笑顔を絶やさず、いつも俺を気遣ってくれていた。






みんなに平等で、優しくて、


整理整頓が下手で、


足の踏み場もない程の生活空間だったけど、






のめり込む物は全て人並み以上にこなして、


とっても腕や頭が器用な奴だった。











本当に良く頑張ったな、浩一郎。



もう頑張らなくイイから、



少しのんびりと休んだら



また、以前の様に好きな事を一生懸命やってくれ。








もう道具無しで空だって飛べちゃうし、、、。









日芸放送選んで、浩一郎に出会えて、



本当に良かった。







ありがとう。









また今度、他のみんなと何処かで会った時は、




浩一郎の話で盛り上がるよ、きっと。










やっぱりどんな時でも俺達が使う最後の言葉は、






「お疲れ様でした!」





だよね。









そして、










さようなら  






浩一郎