講義はあと、1週、今日は手前味噌だが良い講義だったな。
時々、言葉は勇気を与える。
逆に、傷つける道具にもなる。
例題1の方は困っている、辛い、きつい、しんどい、と明記してある。
そのお題に笑点形式で2パターンずつ答える。
ひとつは、ガッツとか、はげましとかで、「こうしたまえ!」と提案する。
もう一つは、「辛いですね」などと、受け止めて、解決策なども提示せず、ただ聞く。
圧倒的に後者が「受け止められた」気がした、という。解決策も無く、一緒に漂うだけなんだが。ここが痛い、ここが苦しいって、言ったあと、どう返されるかで印象が違うのよね。
2題目のお題は、辛い、苦しいを明記しないが、非言語で表現する。相手は非言語を汲み取れれば汲み取った共感。汲み取れなければ字面通りの返しになる。
例えば「余命2ヶ月の父が、一年持って先月亡くなりました」に(1年もったってスゴいっすね)と返すかもしれない。表現者は言外に父を亡くした寂しさを表現したなら、汲み取る側に問題ありだが、父と過ごせた充実の日々、を匂わせていたなら、(寂しくなりますね)と返すのが、共感的と意見が出た。
ここから先なんだわ。ライン、メールで感情の行き違いを経験した?って問うと大多数の学生は経験していた。
1,苦しいなどの感情を明言してるパターン→感情の読み取り間違いは少なかった。
2,寂しさなどの感情が、非言語で表出していても、捉え方で読み違いが少し出てくる。
3,ラインやメールは(非言語)の部分がない。短文で送ってしまう。行き違い、読み間違いが生じやすい。例えば、「辞めたら良いです」とだけ読むと、嫌われている、と受けとるかもしれない。「このまま続けると、あなたの心が傷ついてしまいそうです。心配なので、ここは一旦仕事から離れてみては?」と、長文を打てば誤解は少ないが、話し言葉と同じで略すのよ。
心配です、とか、あなたが消えてしまいそうなくらい落ち込んでいるのを見ると、など、省いて打つわけ。
伝わらないことって、こうした行き違いよね。
写真は丸源のチャーシューたくさんのラーメン。美味しいランチをいただきました。丸源にいらっしゃいませ~‼️