呉 竜府の短編小説

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「壱体さーん」
壱体さんがいつものように寺の庭の掃き掃除をしていると、これまたいつものようにいかつい風体の男、謹衛門が愛馬にまたがってやってきた。
「壱体さん、領主様がお呼びです」
「また、ですか」
「はい。またでござる。ただ、今日は壱体さんになにやらご馳走をしたいと言っておられました」
壱体さんは持っていたほうきを壁に立てかけた。
「仕方ありませんね。では、まいりましょうか」
「壱体さん、かたじけないでござる」

壱体さんが領主の館に着くと、領主は笑顔で迎え入れた。
「おお、壱体さん、よく来てくれた」
そして小間使いの者に指示し、とある物を持ってこさせた。それは蓋のついたお碗であった。しかもただのお碗ではない。重厚な漆塗り、素人目に見てもそれが高価なものであることがうかがい知れた。そして、さらに目を引くのはそのお碗に被った蓋である。木目を残した質のよい材質に加え、取っ手代わりに竜の彫り物がついている。まるで生きてでもいるかのようなその造形は名工の作であることは間違いない。
「これはまた、見事なお碗、そして蓋ですね」
「やはり壱体さんにもこのお碗の価値がわかるか。今日はこのお碗を使っての出題じゃ。そのお碗の中にはうちの専属料理人につくらせた吸い物が入っておる。その吸い物を蓋をとらずに飲んでみてくれぬか」
(出たよ。また自分で答えを考えていない問題が。)
壱体さんは心中でつぶやいた。
いっそのこと「領主様、答えを教えてください」などと言ってみたいところだが、壱体さんはそんなことを言わない。言えば相手の面目を潰す事になる。言わないからこそ壱体さんなのだ。
壱体さんはお碗を前にしばらく思案した。
きりを使って蓋かお碗に穴を開けて吸い物を飲むというのも考えたが、それでは吸い物全部を飲んでしまうことは難しい。それにきりくずが入ってしまうため、せっかくの吸い物がだいなしになる。そして恐らく、これほどの高価のお碗と蓋を使ってきたのはそういうことをさせないためだろう。
壱体さんにしては長く考えた末、ようやく口を開いた。
「うーん。試してみたい方法がないこともないのですが、あまり時間をかけてはせっかくの吸い物が冷めてしまいます。ここは私の負けと言うことにしておいて、次回お会いする時までに答えを考えておくと言うのはどうでしょうか?」
「おお、そうか。今日のところはわしの勝ちというこでよいのだな。分かった。それではその吸い物は遠慮なく飲むとよい」
領主は飛び上がらんばかりに喜んだ。次回までに答えると言っているので完全に勝ったというわけでもないが、一時とは言え勝利した喜びというのは何者にも勝るものがあった。
その様子を眺めながら壱体さんは蓋を開けて吸い物をすすった。この町で一番の腕前とも言われる専属料理人の吸い物は絶品であった。無理をせず、一旦引くことで実質的な得を取った行動と言えた。
吸い物を十分に堪能すると、壱体さんは帰り支度を始めたが、その際に領主に一つお願いを打診してみた。
「ところで領主様、帰ってからさっきの問題を考えてみたいので、この蓋を持って帰らせてもらってよろしいでしょうか」
「ほう、それは構わぬよ。次に会ったときの壱体さんの回答、楽しみにしておるぞ」
領主は上機嫌で壱体さんのお願いをよしとした。
そして壱体さんはその蓋を大事に懐にしまうと、寺へと帰っていった。

それから一ヶ月が経った。先日の勝利に気をよくしているのか、領主からの催促はまだない。壱体さんとしては、もうこの際、完全に忘れてくれていればいいと思いながら日々を過ごしていた。
「壱体さーん」
期待を打ち砕く謹衛門の来訪であった。
「そのう、壱体さん。先日の件で、そろそろ壱体さんも答えを考えたのではないかと領主様が言われて・・・・・・・・・」
壱体さんとしては、申し訳なさそうな謹衛門が逆に気の毒に感じてしまうものだ。
「仕方ありませんね。今からですか?」
「はい。壱体さん、申し訳ないでござる」

一行が領主の家に着くと、領主は笑顔で迎え入れ、再び例の吸い物を準備させた。この前と同じく高価なお碗に、これまた立派な蓋をつけて壱体さんに差し出してきた。
「それでは壱体さん。この一ヶ月で考えたと言う回答を見せていただこうか」
「はい。わかりました」
壱体さんは吸い物の入ったお碗を受け取ると、蓋を開け、吸い物を飲み干した。
「とても美味しゅうございます。領主様は素晴らしい料理人をお抱えですね」
「おいおい、壱体さん。わしは蓋をとらずに吸い物を飲んでくれと言ったのじゃ。これではこの前と何も変わらないではないか」
さすがに領主もあきれた様子である。
「おっと、そうでした。忘れるところでした。では領主様、これをお受け取りください」
そう言って壱体さんは領主にお碗の蓋を手渡した。
「これで今回は蓋を盗らずに吸い物を飲むことができました」
領主は一瞬ぽかんとしていたが、すぐにその言葉の意味することが分かった。この前の壱体さんは蓋を借りていくとも、返すとも言っていない。持って帰ると言っただけなのだ。
「なるほどなるほど、さすがは壱体さん。あの時すでにここまで考えておったのじゃな。こりゃ一本取られたわい」
領主は負けを認めた。元来器量の狭い人間でもないのだ。
「ついでに蓋も取られましたなあ」
うまいこと言ってその場を締める謹衛門であった。