母は乳がん、子は肺がん | 肺がんステージIV…けど、楽しく生きたいな!

肺がんステージIV…けど、楽しく生きたいな!

2014年9月に肺腺がんステージⅣの宣告、2015年10月までイレッサ服用、11月~2016年4月までカルボ+アリムタ+アバスチン
2016年5月〜アリムタ+アバスチン維持療法、2021年4月〜完全寛解につき経過観察継続中

肺がんステージIVと診断され、一番悔しかったのが親不孝をするのが確定した事です。



母に親孝行をしたいと思って今まで来ましたが、それも水の泡です。



母は私のがん発覚の丁度1年前、2013年8月に乳がんを宣告され、手術し、



結果センチネルリンパ節に転移があったのでステージⅢと診断されました。



私は転職をしたばかりでしたが、毎日病院に通い、資格の勉強もしていたので毎日てんてこ舞いでした。



会社まで40分、会社から病院まで20分、病院から家まで一時間…。



母は手術後は通常2週間程で退院出来る所を、3週間程かかりました。



乳がんの手術をした方は脇からリンパ液が出るのですが、それがなかなか止まらなかったからです。



母は毎日暇を訴え、お見舞いに来た私を面会時間が過ぎても返しませんでした。



私たちは沢山話をしました。



母は父と離婚しています、私たちは父とは一切連絡を取っていません。



母は離れた所に住む姉にはがんの事を隠していました。



私の夫は母の入院中、一度も病院に来ませんでした。



私は母の為にがんの事を調べ、体にいい食事を作り、抗がん剤をした後は家の中を徹底的に除菌しました。



母は抗がん剤のあまりの辛さに、4クール予定されていた治療を、1度でやめてしまいました。



長生きして欲しいのに。。。



母はガン家計です。
母の父は50代で直腸がんで亡くなっています。



母の弟も50代で肝臓がんで亡くなっています。



母も自分は必ずガンで死ぬ、と言っていました。



なのに検診は受けていませんでした。



体質的に母に似た私は、がん保険には入っていました。



これも不幸中の幸いです。



後で私と母は、
母の看病をしている時、私の方がひどかったんだね~



と冗談混じりに話しました。



母と私は、自分は必ずがんになる、と覚悟は出来ていました。



ただ、私ががんになるのが早すぎました。



恐らく、医者に誤診をされていなければ、私も母の手術の頃に母と同じステージだったのかも知れません。



でもそうなると、母は私に自分の病気を隠し、自分は治療は受けずに私の看病に徹したでしょう。



そうならずに良かった。
母が辛い時に、側にいてあげられて、おもいっきりお世話をしてあげられて本当に良かった。



お母さん、お母さんがいつかまた病気になった時には、私が看病をしてあげたい。



私が母の最期を看取ってあげたい。



どうか逆になりませんように。



それが、今の願いです。