国民の前で、雅子さまと美智子さまが並び立たれるのは、昨年5月の譲位後、初めてのことだった。それが実現したのは、ほかでもない雅子さまの陰ながらの深いお気遣いがあったからではないだろうか。
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《本年が災害のない、安らかで良い年となるよう願っております》。令和の時代になって初めて行われた新年一般参賀で、天皇陛下はこうお言葉を述べられた。1月2日の東京は見事な冬晴れ。澄んだ空の下、皇居・宮殿前の広場には天皇陛下や雅子さまのお姿をひと目見ようと、約6万9000人が押し寄せた。
日常にあふれる日本の国旗「日の丸」は、いつ頃、どんな経緯で形作られ、今に受け継がれているのか。世界の国旗・国歌研究協会代表の吹浦忠正氏に、太陽の恵みに支えられたニッポンの日の丸について聞いた。
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もともと日本人にとって太陽は特別な存在でした。農耕社会の日本は、古来、太陽の恵みに支えられていたからです。高松塚古墳(奈良県明日香村)からは藤原京の時代(694~710年)の壁画が発見されており、そこには日の丸と思しき太陽の意匠が確認されています。
やがて武士たちが軍扇や旗のデザインに日の丸を採用するようになりますが、正式な国旗として定められたのは幕末のこと。開国した際に、国際社会に認められるために国旗が必要だったからです。
しかし、1999年に「国旗及び国歌に関する法律」が施行されるまで、日の丸の明確な基準がありませんでした。この法律によって、日の丸の国旗は縦横比が3:2、円の中心は対角線の交点に一致、円の大きさは縦の5分の3、と定められたのです。
実は、敗戦国にもかかわらず国旗が変更されなかったのは、日本がほとんど唯一の例。私は、国旗を知ることは国際理解の第一歩という視点で普及活動をしています。変な偏見をもたず、他国を排除しない健全なナショナリズムの象徴として日の丸を見てもらえたらと願っています。
※週刊ポスト2020年1月17・24日号