結論:
コミュニケーションにおいて重要なことは
伝えること、ではなく、伝わること、である。」
上のようなことが、世にはびこる自己啓発本には散々書き回され、ベンチャー企業の社長によって意識高い系の学生に繰り返し言い伝えられてきた。(そういう会社は資金繰りが悪化するとすぐにサビ残を強要するものだと思っている。ちなみに意識高い系の人は嫌いだ。)
僕は、伝えることが苦手だ。だからこのブログでは言いたいことが読者に伝わるように何回も書き直し推敲を重ねてから投稿するようにしている。まあコミュニケーションの練習と言いますか、文章作成の練習みたいなもん。
しかし普段の会話で同じように話す事は難しい。そもそも言葉を考える時間が圧倒的に足りない。
会話の上で、何を言うべきかを決める。その事について言っていいこととダメなことを分ける作業が必要だ。「うーん」とか「あのー」とかで場をつないでからなんとか言葉を絞り出してみる。しかし僕は、その言葉の抽出が苦手だ。当意即妙という意味ではない「うまい言葉」がすぐに出せないのだ。結果、言いたいことのほんの一部しか伝わらない毎日である。
さっきこうしてブログのブログ機能を使って話すことを練習していると言った。自己啓発といえば聞こえがいいが、何度練習を重ねてもうまくいかないことが多く、ただの意識高い系もどきである。いや言語障がい者というべきか。もっとシンプルにコトを伝えられたらいいのに。
もちろんシンプルに考えていた時もあった。小学校高学年くらいまでなら。たしか。
しかし、あれから15年。何が起きたか。
正直に生きること、思った事をなんでも口にする事で冷やかされ後ろ指を差された。その事に羞恥心を覚えると、周りの人と違うことを典型的に恐れるようになってしまった。そうなると、心の退化は早く、相手の質問にyes/noで答えられないような大人になってしまった。加速度的に僕はコミュ障へと堕ちてしまった。
この世に生まれて26年、生きてきた中で自分という人間がはっきりと形成されてしまった。一度型にハマってしまうと、人間はダメになってしまう。「自分という人間はこうである」といったネガティブ要素を形成する鋳型に入れられ冷やして固まったものが、今の俺。なんだと思う。
そんな不良品の俺を、一体誰が欲しがるというのか。
僕の嫌いな意識高い系の奴らは、先の話をすると決まって
「変わろうと思えば、いつでも変われる」
と言うだろう。
ばかだな。それは違うよ。
たしかに一時的に心は燃え上がるかもしれない。
だけど僕らは心が脆いんだ。ロウのように一度燃えたらどんどんと溶けていき、燃えかすなんて残らないんだ。全てなくなってしまう。
そんな自分の命と引き換えに手に入る、素晴らしい人格なんて、いらない。