茹だるような暑さも消え去って、
昼夜過ごしやすい日々が続くこの頃。
現実世界の快晴の空はかくも美しい。
写真や映像には収まり切らない。
新海誠作品でも描き尽くせない。
青々と広がる空、澄み切った風、匂い、色。
僕はいま生きる世界がそれなりに好きだ。
嫁とは一緒に暮らしていない状況だけど、
自分の感性に従った行動が制約なしにできる今の生活が、それなりに好きだ。
かなり自由に過ごしている。
あまりに自由過ぎて勉強は辞めてしまった。
それでも構わない事情ができた。
8月に受けた転職先の最終面接。
僕は無事に通過することが出来た。
なぜ通過できたのかはよく分からない。
圧迫面接で支離滅裂な回答ばかりしてしまった。
でも受かった。
ちょっとよく分からない。
しかし受かったことで、ようやく人生が動き出すような気がした。
転職が決まり、会社に退職の意を伝えた。
正直、多少は叱責されると思っていた。
ところが僕の願いはすんなりと受け入れられた。
上司も副支店長も支店長も、
僕の人生だからと背中を押してくれたのだ。
自分の査定に響くであろうことも一瞬で決めてくれた3人を、僕はとても大好きだった。
先日、辞めていく新入社員に対して憤りを感じたのはきっとそういう理由だったのだと思う。
上司の優しさに触れたこともあって、
僕は年内いっぱいは現職に居ることにした。
働きやすい環境であるから、もう少しだけ残るという選択が出来たんだと思う。
結局、労働環境は、人だ。
前の支店の上司が如何に酷い人たちだったのかを思い知った気がした。
という事は、新しい職場には、
もしかしたらいい上司なんて
いないのかも知れない。
なぜなら転職面接はふつう上司となる人が面接官になることが多いからだ。
あの面接官はきっと、僕の事を好きにはならないだろう。
そして僕も、あの人の事は好きになれないと思う。
あんまりいい予感がしないなあ。
予感とは、大概外れるものなんだけどね。
例えば、顔の見えない人とチャットをするのと同じで。
マスク美人やマスクイケメンが多いのと同じで。
見えないからこそ、知らないからこそ、
期待してしまうものなのだと思う。
そして期待したものが大きければ大きいほど、
違ったときの落ち込み具合は大きい。
あんな人ではなかったのに。
こんな人だとは思わなかった。
そんな理由で別れる人たちの、何と多いことか。
期待した分だけ裏切られるのなら、
人に期待しすぎない事こそ、
コミュニケーションがうまく行く上で最重要なのだとFさんは仰っていた。
しかし、人に期待しないことには、
その人に話しかけたり、自己開示をしたくならないのもまた事実であったりする。
見えない人や素性がわからない人に不用意に近づいて危ない目に合うのは、
もはや心理学的知見からどうしようもないことなのかも知れない。
しかし、その危険を犯したからこそ、
出会える運命の人もいたりする。
まあ僕にとってそれが、嫁だったりするわけなのだけどね。
たまに価値観が合わないなと思う時がある。
それは期待しすぎていたからなんだと反省している。
大概どんなに仲のいい人でも、1つ2つは考え方が合わなかったりする。
当たり前だ。他人なのだから。
20年近く一緒に暮らした親ですら価値観が変わるのだから、
出会って数年の男女が結婚したとて、何でもかんでもうまが合うわけなんてない。
嫁の嫌なところはポロポロと浮かび始めている。
プレゼントを使わないこと。
プレゼントを無断で弟にあげたこと。
結婚指輪を付けないこと。
忙しいと言っている割に遊んでいること。
出張で近くに来ているのに立ち寄ってくれないこと。
自分勝手なところもたくさんあって、
もう離婚しようかと思うこともたくさんある。
それでも、それは俺の心が勝手に期待したがために起こったことなんだと言う事は、
理性ではよく分かっているつもりだ。
今までの数多な場面で、
冷静に話し合うことが出来れば、
きっと僕も苦しむ事はなかったのかも知れない。
まあ人間は感情で生きる生き物なのだから、
そんな事は無理なんだけどね。
努力はする。
もう少し冷静に。
一歩下がって状況を見るように。
頭ごなしに怒らないようにする。
それが出来ればきっと僕は一生嫁と生きていける。
今は、嫁と一生生きていくことが生き甲斐なのどから、この思いを大切に生きて行きたい。
期待はする。
俺にとって理想の嫁であって欲しいと願う。
嫁が好き。
嫁が好きな俺が好き。