口唇口蓋裂でタグ検索をすると大半が口唇口蓋裂のお子さんのお母様で、色々と思い出した事を書き綴りたいと思い立ちました。


母は今の私と余り変わらない20代前半、

同級生は大学生のうちに私を産みました。


まだお腹に居るうちに口唇口蓋裂だと告げられ

顔が潰れてるかも、歩けないかも、喋れないかも…

散々脅されたそうです。

当時はSNSが未発達。

病院から受け取った本は医学書の様な難しい物。


もう降ろせる時期では無い物の、

娘は産まれたくなかった

と悩まないだろうか…

そう悩んだそうです。


母方の祖父母が、

どんな子でも最悪私たちが育てるから

と申し出てくれたことが

母にとって大きな励みとなった事でしょう。


一方の父は

父方の祖母に障害(手)があった事で

俺のせいだ。と自分を攻めていたそうです。

そのうち別で書きたいので父や父方の親族の事は省きます。


母は元々悪阻がかなり酷く、自分の唾液も飲めない程

そんな状況の為早めに入院し、点滴で生活。

常に朦朧としている中どんなに不安だった事だろう

想像すると胸が締め付けられます。

インターネットや本を読み漁っても

知識を付けることは難しく

病院に居る口唇口蓋裂や口蓋裂の子を見て

自分の子供もこうなのだろうか、

と想像した事でしょう。



実際産まれた私は口唇口蓋裂のみ。

母は手術前の私の写真を可愛かった〜この頃

と未だに言います。

手術の前には

もう見れないのか〜

とまで思ったそうです。


私にとっては

気持ち悪い奇形の赤ん坊の写真

なので、複雑な気持ちです。

可愛いと思うのは親だけ。

他人(口唇口蓋裂や口蓋裂の親を除く)

が見たらきっと抱く気持ちは私と同じ。

可愛いなんて言う人は偽善者だ。

そうとしか思えません…


ただ、顔が潰れてるかも、歩けないかも、

喋れないかも、耳が聞こえないかも、

だの散々脅されていた母や祖父母にとっては

良かった。という安堵の気持ちだったそうです。


ミルクを飲ませるのも一苦労

吸う力も弱ければ、誤飲も多い。

こまめにミルクをあげなければならなかったり

口唇口蓋裂児は耳と鼻が弱いので

沐浴は普通の赤ん坊より気を使う。


術後も気を付ける事まみれ。


大きくなれば乳歯なのに矯正をしたり

食べる物にも気を使い

何種類かの病院や言語教室へ定期的に通院。

幼稚園でも先生に予め説明し、

他の子よりも口元の怪我に注意して貰ったり

プールの際は耳に綿を入れさせる。

それでも何度も中耳炎になったり

少しの怪我で迎えに行ったり

更には入院も。


そして、それをされている私への気遣い。


欲しかったけど手に入らなかった物。

人との話題でそんな話が出ても

限定品のレア物以外思い浮かびません。


子供の頃から沢山ディズニーに連れて行って貰ったり

食べれる物の中で好きな食べ物を沢山用意してくれたり

入院中や通院中、病院の待ち時間に退屈しない工夫

をしてくれたり。


それがあり、母への恨みは一切有りません。


口唇口蓋裂児のお母さん、

その時は子供が泣いて嫌がっても

無理にでも治療を進めて良いと思います。

可哀想だから…

で甘やかしてもっとツラい治療になる事も有ります。


将来、子供は気付くし感謝します。