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統合失調症のほほん日記

2005年に統合失調症を発症。休職退職し引っ越しをして、一人暮らしをしながら、のほほんと社会復帰を目指しています。
2021年より16年ぶりに働き始めたもののあえなく退職。
博士号を目指してます。

今日は、いま私が考えている生き方について書いてみたいと思います。
昔の記事でも少し書きましたが、私は持病の統合失調症がとてもつらくなり、過去に自殺未遂をしたことがあります。
そのときの感覚として、私は「一度死んだ」と感じています。
そのせいかもしれません。
私は、死に対するこわさ、つまり「死にたくない」という気持ちが、人よりも少し弱いと思っています。
極端に言えば、「いつ死んでもいい」と思いながら生きています。
ただし、ここは誤解してほしくありません。
それは、生きることをあきらめたから、そう思っているわけではありません。
むしろ、その逆です。
「いつ死んでもいい」と思えるように、今を精一杯生きようとしているのです。
では、私にとって「精一杯生きる」とは、どういうことでしょうか。
それは、「えいや!」と勢いだけで無茶なことをする、という意味ではありません。
物事が大きくなればなるほど、たくさんの準備が必要になります。
音楽イベントをやった経験から言うと、がんばりの9割は準備で、残りの1割が本番だと感じています。
準備の段階で、思いつくことはできるだけ全部用意します。
そして本番では、その準備どおりに、落ち着いてやるだけです。
私にとって「精一杯生きる」とは、この準備の時間もふくめて、手を抜かずにやり切ることです。
勢いだけで何かを始めて、準備が足りずに失敗し、すぐにあきらめてしまう。
それは、少なくとも私の中では、「精一杯生きた」とは言えません。
タイトルにつけた
「死のために生きるのではなく、生のための死」
という言葉には、こうした考えを込めています。
私は、死をゴールにして生きるべきだとは思っていません。
死は、人生を終わらせる一つの出来事であり、ときには急にやってくるものです。
大切なのは、いつ人生が終わっても、
「いい人生だった」と言えるように、今を一生懸命生きることだと思っています。
いま、死にたいほどつらい思いをしている人もいると思います。
正直に言えば、死ぬことは簡単かもしれません。
でも、生き続けることはとても難しいです。
だからこそ、その難しさに、今できる範囲で精一杯向き合ってみてほしいです。
もしそれでうまくいかなかったとしても、その場所で立ち止まり、
「これからどう生きるか」をもう一度考えてみるのはどうでしょうか