もともと25,26,27日は楽しみにしていたAKB48のライブの予定でした。
(まぁ、結局チケットは手に入らなかったけどね( ;´Д`))
で、11日の地震があり、
ライブもアルバムも個別握手会も中止。
浮いたお金はすぐにAKBの基金に寄付しました。
麻里子さんやAKBのメンバーたちもTwitterやブログでやれる事をやりたいといっていた。
オイラも何かやりたいと日々考えていました。
24日の朝かな?
ニュースで東北道の通行再開を耳にして、
「おっ」と思っていたら
友人であり、旅や人生の師匠と思っている「男」からメールが来た。
「東北道が開通したね。日曜、月曜の部活等の予定はいかに」
とメールが来た。
言いたい事は直ぐにわかった。
彼は、神戸にも行っている。
市教委の通達により、休み中の部活は中止。予定は問題なし
「ボランティア行く?」と返信した。
「只今がその時、その時が只今。職場には志士はなし。ついては今夜打ち合わせを」
「了解d(^_^o)」
で行く事に。彼は身体は小さいが抜群の行動力があるのだ。その辺が師匠と思わせるのだ。
各々で必要だと思う支援物資を用意して土曜日の夕方集合。この事だけが決められた。
今回のミッションは
1、師匠の友人を訪ね、水を届ける事。
2、ボランティアに参加する事。
途中一回の給油と夕食を済ませて、24時頃に目的地の宮城県石巻市に到着。
最初に目に入ったのは、停電と節電で暗い道路の脇翌朝の給油を待つ自動車の列だった。
そして、真っ暗で所々に転がる車や瓦礫の間の抜けて、ボランティアセンターのある石巻専修大学を探しに行った。夜中ですが灯りがついていた。
その後、被害の酷かった地区に行ってみた。停電で一切の灯りのない暗闇を照らしたヘッドライトが見せた景色には言葉を失った。道の横に大きな漁船が転がり、トラックがひっくり返り、車が重なって潰れていた。そして一階がボロボロの家や形すら残していない家、助かったか?それ以前に生活が想像出来ない街並みに衝撃をおぼえた。
道の駅に車の停め寝袋に入って寝た。いつもの旅時に感じるドキドキ感はない。気温よりも寒く感じた。
まずはミッション1
家はすぐに見つかったが、物資は断られた。電気は一昨日、水は井戸もあるし、配給があるから大丈夫。
ウチは天国だから、もっと困っている人にあげてくれという。被災者が被災者を気遣うのだ。
そして、僕らに本当によく来てれたと、カレーライスをご馳走してくれた。おにぎりのお土産までくれた。当然、食事は用意してあったが断れず、有難く頂いた。帰りも必ず寄って行けと言われた。
そしてミッション2
一度行ったのに、迷ってしまった。明るいと景色が違ってわかり辛くて、また、暗闇の街とは違って、片付ける人々の活気というか生きた姿が同じ街とは思えなかった。
申し込みをすると、すぐに指示を与えられた。
津波による浸水被害の家の畳や家具など干したり、処分するのが仕事らしい。
担当の家に行く途中道には畳や家具が高く積まれていた。思い出の品がゴミとして捨てられていた。
津波は人の命、生き残った人の思い出を奪い去った。
なのに、感じるのは悲壮感だけではない。
被災者の方々は明るくボランティアの僕らを迎えてくれた。そして、テキパキと指示を出したり、帰りには凄く感謝してくれた。中にはお土産をくれる方いた。
励ますとか助けにとかそれほど偉そうな気持ちで来たつもりはないけど、逆に励まされたきがします。
結局5軒位手伝い時間切れ。チームを組んだリーダーさんが慣れていてたすかりました。
大学生の四人組もマジメにやっていた。僕ら以外は程度は低いらしいが、皆被災者でもあるのに、ボランティアとして活動しているのだ。
ボランティアの条件は
移動手段の確保、食事の確保、寝床の確保が最低条件だと言われた。
帰り道給油に手間取った。三箇所が売り切れで結局8時間まって給油出来た。
現場に行ってみてわかったこと。
ボランティアはもっと必要なのに、やりたい人はいるはずなのに
ガソリンが足りない。僕ら5ℓだけ携行缶に用意してあったが、足りない。
ガソリンさえあればもっと人は集まる、ツアーバスなど用意出来れば
少し復興の助けいなるかも。
東北にガソリンを!!
ダメだ頭がまわらない。長くなりましたが感じたことを書いてみました
(まぁ、結局チケットは手に入らなかったけどね( ;´Д`))
で、11日の地震があり、
ライブもアルバムも個別握手会も中止。
浮いたお金はすぐにAKBの基金に寄付しました。
麻里子さんやAKBのメンバーたちもTwitterやブログでやれる事をやりたいといっていた。
オイラも何かやりたいと日々考えていました。
24日の朝かな?
ニュースで東北道の通行再開を耳にして、
「おっ」と思っていたら
友人であり、旅や人生の師匠と思っている「男」からメールが来た。
「東北道が開通したね。日曜、月曜の部活等の予定はいかに」
とメールが来た。
言いたい事は直ぐにわかった。
彼は、神戸にも行っている。
市教委の通達により、休み中の部活は中止。予定は問題なし
「ボランティア行く?」と返信した。
「只今がその時、その時が只今。職場には志士はなし。ついては今夜打ち合わせを」
「了解d(^_^o)」
で行く事に。彼は身体は小さいが抜群の行動力があるのだ。その辺が師匠と思わせるのだ。
各々で必要だと思う支援物資を用意して土曜日の夕方集合。この事だけが決められた。
今回のミッションは
1、師匠の友人を訪ね、水を届ける事。
2、ボランティアに参加する事。
途中一回の給油と夕食を済ませて、24時頃に目的地の宮城県石巻市に到着。
最初に目に入ったのは、停電と節電で暗い道路の脇翌朝の給油を待つ自動車の列だった。
そして、真っ暗で所々に転がる車や瓦礫の間の抜けて、ボランティアセンターのある石巻専修大学を探しに行った。夜中ですが灯りがついていた。
その後、被害の酷かった地区に行ってみた。停電で一切の灯りのない暗闇を照らしたヘッドライトが見せた景色には言葉を失った。道の横に大きな漁船が転がり、トラックがひっくり返り、車が重なって潰れていた。そして一階がボロボロの家や形すら残していない家、助かったか?それ以前に生活が想像出来ない街並みに衝撃をおぼえた。
道の駅に車の停め寝袋に入って寝た。いつもの旅時に感じるドキドキ感はない。気温よりも寒く感じた。
まずはミッション1
家はすぐに見つかったが、物資は断られた。電気は一昨日、水は井戸もあるし、配給があるから大丈夫。
ウチは天国だから、もっと困っている人にあげてくれという。被災者が被災者を気遣うのだ。
そして、僕らに本当によく来てれたと、カレーライスをご馳走してくれた。おにぎりのお土産までくれた。当然、食事は用意してあったが断れず、有難く頂いた。帰りも必ず寄って行けと言われた。
そしてミッション2
一度行ったのに、迷ってしまった。明るいと景色が違ってわかり辛くて、また、暗闇の街とは違って、片付ける人々の活気というか生きた姿が同じ街とは思えなかった。
申し込みをすると、すぐに指示を与えられた。
津波による浸水被害の家の畳や家具など干したり、処分するのが仕事らしい。
担当の家に行く途中道には畳や家具が高く積まれていた。思い出の品がゴミとして捨てられていた。
津波は人の命、生き残った人の思い出を奪い去った。
なのに、感じるのは悲壮感だけではない。
被災者の方々は明るくボランティアの僕らを迎えてくれた。そして、テキパキと指示を出したり、帰りには凄く感謝してくれた。中にはお土産をくれる方いた。
励ますとか助けにとかそれほど偉そうな気持ちで来たつもりはないけど、逆に励まされたきがします。
結局5軒位手伝い時間切れ。チームを組んだリーダーさんが慣れていてたすかりました。
大学生の四人組もマジメにやっていた。僕ら以外は程度は低いらしいが、皆被災者でもあるのに、ボランティアとして活動しているのだ。
ボランティアの条件は
移動手段の確保、食事の確保、寝床の確保が最低条件だと言われた。
帰り道給油に手間取った。三箇所が売り切れで結局8時間まって給油出来た。
現場に行ってみてわかったこと。
ボランティアはもっと必要なのに、やりたい人はいるはずなのに
ガソリンが足りない。僕ら5ℓだけ携行缶に用意してあったが、足りない。
ガソリンさえあればもっと人は集まる、ツアーバスなど用意出来れば
少し復興の助けいなるかも。
東北にガソリンを!!
ダメだ頭がまわらない。長くなりましたが感じたことを書いてみました