脱・禁パチンコスロットのススメ~For Dear Smile~ -2ページ目

脱Pから離婚へまっしぐら

「息子が離婚を言われたと言って目の前で泣いていた。もう一度チャンスくれないか」という義理の母からのメール。
泣く場所間違えているだろう???
とりあえず話、と思い旦那に電話。
「メールを見たお前が悪い」の一点張り。
ま、確かによくないことをしたのだけれど…
話し合いができる相方なら、そんなことは絶対しなった。
わかろうとしない相手にわかってもらうことはあきらめた。

今はっきりした事。
旦那の中で、私ら家族はどうでもいいこと。
この先上手くやっていこう何てことも考えない。
でも、自分から離婚とかは言い出さない。
泣いたのは…この先の人生に不安がちょっとあるだけ。
だってねぇ~親子ぐらいしかないもんねぇ。
もし、このままどうにか家族と言う形を維持したとして…
何も変わらない。
私の白髪が増えるだけ。
正直なところ、男はもういいや。

愚痴、終わり。

と言う事で、私がこの先どう生きていくか思案中。
子供たちに「パパは?」と聞かれる事も幾度となくあるだろう。
気合入れて頑張ろう♪

だいぶ脱Pから話題がそれてしまった気もするが…
そこから生じた出来事としてとらえてくれたらありがたいです^^

そして…

些細な事で今旦那は実家に戻っている。
些細な事、と言うのは…インフルエンザに順にかかってしまってしばらく風呂にも入れなかった子供たちを風呂に入れたい、ただそれだけの事だった。
その時点で先にインフルエンザになった上の子は全くの健康体。下の子はかかったばかりでまだ39度以上の熱があった。
熱があるといっても、本人的にはいたって元気で、風呂に入ると言うと”自分も入る!!”の勢いだったため、下の子を取り押さえてもらいたいために旦那に家にいて欲しい…それだけだったのだが…

明らかにPに行ってきた後、私とのメールのやり取り…無言で家に帰ってきて、無言のまま幾日か分の着る物を大きなかばんに詰め、そして出て行った。
子供たちには「元気か?」の一言もない。

私はこの一年間の思いに間違いはなかったと再確認しながらその様子を眺めていた。
後は…私一人(+子供たち)でやっていく決心をするだけだなと、思いながら…

違反行為

私を批判する声も聞こえてきそうだが…私は旦那の携帯のメールを見ました。
ごめんなさい。さすがにこれは違反行為だ。
その内容…自分の首を絞めたやつのことなんか好きでいられるわけないじゃん。だって。
ヾ(・・;)ォィォィ。違反行為はしたけどさ、そこまで言うか普通。
ちなみに事実は逆。
首絞めたのは向こうで、首絞められたの私。しかも子供の前で。

プチン。
音が聞こえた。
終わった。

'05 1月

結局、1年前に辞めた会社に戻るような形になって、就職は落ち着いた。
んじゃ、何で1年もプラプラしとんねんヾ(・・;)ォィォィ
普通に考えて、一度辞めた会社に戻るってなかなかありえないことだと思う。
受け入れてくれた会社に感謝、しているのだろうか?本人は。
それからと言うもの「残業」と言っては10時から11時の間の帰宅が続く。
私は朝5時半には起きて弁当を作って持たせる。
子供たちは口々に「パパは?」と言う。
ちなみにまだちゃんとした給料と言うものは入っていない。
私の稼ぎだけのやりくりの中で、少しずつ生じているずれを感じる。
結婚した当初から思っていたことだが…ありがとうって言葉、魔法みたいなものだよね。一度も言われた事はないけれど。


ここ1年間の出来事③

出稼ぎの給料が約2ヶ月遅れで入ってきた。
いくら稼いできたかは知らない。
そのうち10万だけ渡された。
何かと支払いが滞っていたものに使わせてもらうことになった。
すぐなくなった。
いくら手元にあったのかは知らないが、それからまた元の生活に逆戻り。
大晦日から正月にかけての旦那の行動…
夜7時~12時 居間で寝る
朝方~元旦昼 居間で寝る
1月2日、9時ごろパタパタと起きてきて「遊びに行ってきていいか?」と、そのまま夜の9時半ごろ帰宅。
そして↓の1月2日の出来事。

家族みんなで、と言うこと願う私がバカだったと改めて思った次第であります。

ここ1年間の出来事②

10月に出稼ぎに行った。
向こうの親戚を頼って。
正直、ホッと胸をなでおろした。
日中、子供たちは実家の母に預かってもらっているので、仕事が終わればまず実家へ子供たちを迎えに行って家に帰るのだが、お家に帰りたくない病だったし。
それから2週間後、旦那からメールが届く…「辞めて帰りたい」と…
「子供たちは元気?」今更…と思った。同じ家にいながら今まで一言だって聞いたことがない言葉。
半年以上はいてくる予定だった出稼ぎをまさか2週間でねを上げてくるとは思っていなかった。好きにすればいいと思った。
ただ、親戚を頼って決まった話だったから、向こうの親に相談してねとだけ言っておいた。
そして、10月いっぱいで戻ってくる事になった。
子供たちの相手をするようになった。
少し変わって帰って来たのかな?
…それもそう長くは続かない…

ここ一年間の事①

私の脱・禁生活と共に、旦那が失業した。
どうしても辞めたいんだ、と言う割りに、失業の給付金が終わってもなおのんびりしている旦那に何ヶ月かイラついた。
仕事を探す素振りもないし、ちょこっと手元にお金があるとPに吹っ飛んでいく。しまいには、親に嘘をついてお金を借りて…Pに行っていた事もあった。
そんな金があるなら、生活費にくれ!と何度思ったか。
向こうの親にお金はもう渡さないで、とお願いしたところ、サラ金から借りたら困るから、だって。
しかも、別れてもいいからと申し訳なさげに言われた事もあったが、この親にしてこの子…なのだろうなと思ったりもした。

私が仕事を終えて子供らを実家に迎えに行く⇒家に帰る⇒家を出て行く旦那⇒遅くに帰ってきて、遅くまで起きている⇒朝は何時に起きているのか全くわからない(私たちが家を出るときにはまだ寝ているので)

失業中の最悪の頃何ヶ月間の我が家の様子。
もちろん、夜の生活などありえない。

時折、Pで頭がいっぱいの旦那の姿に過去の自分の姿が重なる。
だんだんずれていく私たち二人の価値観みたいなもの。
旦那はどんどん家に居づらくなるし、私は血便を出して自律神経もちょっといかれてしまった。


1月2日の出来事

旦那は今もパチンコに行く。私は脱パチンコをはじめて2度目の正月。旦那は失業して1年が過ぎた。その間いろいろな事があった。それはおいおい書いていこうと思う。

新年早々2日に旦那が珍しく早起きをした。大体そう言うときは、パチンコに行きたくてソワソワしている時と相場が決まっている。で、やっぱりの一言。「遊びに行って来ていいかなぁ」年末にお金を持つようになってから嘘をついてパチンコに行っていたのは知っていた。脱パチ・禁パチは自分で決めなければ続かない。だから、”お小遣い範囲内”で”家族との時間を大切にする”なら仕方がないかと思うし、本人にもそう言っていた。しかし、やはりパチンコにいきだしてからというもの”家族”は二の次のようだった。普段、旦那と私の休みが一緒ということはまずない。盆・正月くらいのものだ。で、その一言。そして、飛び出していった。帰りは夜9時半くらい。勝ってきたらしく、2万くらいを私に渡そうとしたが、断った。

私はお金が欲しかったんじゃない。 ”家族との時間”が欲しかった。自分もどうしてもそう言うのが態度に出ていた。が、反省するふうではなかった。で、とがめた。家族はいらないのか???と。そうなら、出てってくれと… そして、旦那の逆切れ。私に蹴りを入れ、首をしめられた。私の中でも”プチ-ン”と音がした。首をしめられたことでではない。
足元に私たちの状態を見て娘が大泣きしていたことと、見てはいないが私たちのやり取りを布団の中で聞いていた息子…子供にこんなのは見せたくなった。

パチンコとの切れ目が縁の切れ目、なのかもね。パチンコが人をここまで変えてしまうことにさらに嫌悪感。日本中からなくなってくれ。

男は一度手を上げると繰り返す。同じようなことがこの先起こったら…腹はもう決めている。価値観の違ってしまった人とはもうやっていけない。

またも子供が犠牲に…

生後6ヶ月の赤ちゃんが車に放置されてなくなった。
夫婦でパチンコに夢中になっていたらしい。
他人事ではない。
1歩間違えば、自分も同じことをしていたかもしれない。
夢中になってバカになって、うそをついて実家の母に子供を預けていたあの頃の自分。
この感覚が消えるときがくるのだろうか。
いつになるかわからないけど…きっとその時が本当のパチンコ依存症克服なんだろうね。

HP完成!

昨日、HPが完成!
思いがけなく今までお世話になっていたサイトが閉鎖した。
だからというわけでもないが、HP作りに拍車がかかったと思う。

まだまだヒよっこのHPだけど、ゆっくり、のんびりやっていこうと思う。

ビバ!脱パチサイト!!