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気持ちが楽になるゴリラの知恵

コンクリートジャングルから逃げ帰ってきたゴリラが、うんこなげながら、気持ちがひたすら楽になるやばい薬みたいな心理学を求めて彷徨っている。
リンゴが好き。
アイコンはシャバーニくんを左手で描きました。

日本では年間100万人が何らかの形で亡くなっています。

にんげんの最大の恐怖。

死ぬってなんだ?

これに向き合わずして生きられるのか?

 

いずれ死ぬゴリラです。

 

なんで生きるの?ってそりゃ死にたくないから生きるわけで。

でも死ぬってどういうことなの?

死ってなに?

 

ゴリラも分かりません。

そして先に結論書いておきます。

 

結局調べたけど、よくわからなかったー!!!!

 

逆に、どういう状態になっていればその瞬間、確実に死んでいると言えますか?

 

これは今でも喧々諤々の論争が繰り広げられており、非常に定義が難しいのです。

 

死とは・・・

①命がなくなること、生命がなくなること

②機能を果たさないこと、役に立たないこと

 

医学的には・・・

①死の三兆候

自発呼吸の停止、心拍の停止、瞳孔が開く

 

②バイタルサインがなくなる

心拍数、呼吸数、血圧、体温そして瞳孔反射

 

③脳死

という概念がありますが、これは臓器移植をするようになってから、なるべく新鮮な臓器を移植しようとして作られた基準なのだそうです。

要は、さっさと臓器をとってしまった結果、それが原因でまだ患者は息を吹き返す可能性があったのに死んでしまったとなれば、それは殺人になってしまうからです。「脳の電気活性が停止したとき」をにんげんが死んだということにしよう!!

 

しかし、脳死の定義すら様々な意見があり、「新皮質の電気的活性だけを基準に死の判定をすべきである」とか「脳幹が生きているかどうかを線引きに使えばいい」とかゴリラには難しいことはよくわからないが、そんな議論がなされているらしい。

 

●脳のどこが死んだら脳死なのか?

●脳の神経細胞が全部死んだら脳死なのか?

※しかし、一体どの時点で神経細胞が死んだのか実はわからない。

 

「これから先は死に向かって、不可逆的に進行する過程になる状態である」ことが死の定義だとする人も現れたが、にんげん生まれた瞬間から死は避けられないのである。とすると生まれた瞬間には死に向かって進行しているので定義としては死んでいることになってしまう。

 

法的には簡単だ。

ほとんどの国では、医師によって死亡診断書もしくは死体検案書が作成されると、法的には死んだことになる。

※ちなみに日本では医師のほかに歯科医師も死亡診断書を作成することが出来る。豆知識。

 

心理学でも調べてみたが、死とは何か?の直接的な答えは得られなかった。

死へ向かうためにどういう心持ちでいるべきか?

受け入れて心静かに死ぬのが良いことなのか?

死生観とはなにか?

 

子連れ狼の大五郎は、3歳にして死生眼を持っていたというが、なんじゃそら。

『黒目、大にして動かず、左右下方に白目が広がっている』

何者にも動じなさそうである。真似してみたらすべては自分ではコントロールできないというような諦念が浮かんできた。

 

だめだ!いきろゴリラ!!

 

完全に迷走しているゴリラであった。

恐ろしい・・・死とは考えるだけでゴリラを狂わせるものだったか。

にんげんに紛れて生きているゴリラの仲間は気を付けてほしい。

 

このままでは終われない。

なぜならゴリラはポジティブゴリラだから。

みんなに楽しく気楽に生きてもらうのがゴリラの目標だから。

なので死をポジティブにとらえた言葉を紹介します。

 

 

死なんてものは、春になって重いオーヴァー・コートがもういらなくなったときに、それを脱ぎ捨てるようなもの......... 肉体は不滅の自己を閉じ込めている殻にすぎない。

(エリザベス・キューブラー=ロス)

 

 

 

今日は死ぬのにもってこいの日だ。生きているものすべてが、わたしと呼吸を合わせている。すべての声が、わたしの中で合唱している。すべての美が、わたしの目の中で休もうとしてやって来た。あらゆる悪い考えは、わたしから立ち去っていった。今日は死ぬのにもってこいの日だ...

(インディアンのプエプロ族 古老)

 

 

 

いろんな人に言われます。70を過ぎてまで、どうして苦労して新しい噺を覚えるのかって。 そりゃあ覚えも悪くなっていくし、挑戦し続けるのはしんどい。でも、最期に目をつむった時に楽な気持ちでありたいんです。「ああ、あの噺もできたのに」なんて後悔しても遅いでしょ

(桂歌丸)

 

 

 

心が整理された者にとって、死は次なる大いなる冒険にすぎないのじゃ

(アルバス・ダンブルドア)

 

 

 

私は神に会う覚悟はできている。 私と会見するという厳しい試練への準備が神の側でできているかどうかは別問題だが

(ウィンストン・チャーチル)

 

 

 

明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ

(ガンジー)

 

 

 

生きるのも日常、死んでいくのも日常

(樹木希林)

 

 

 

人間は生きることが全部である。死ねば全てなくなる

(坂口安吾)

 

 

 

死が訪れた時に死ぬのは俺なんだ。だから自分の好きなように生きさせてくれ

(ジミ・ヘンドリックス)

 

 

 

 

 

色んな死生観がありますが、私がしっくり来たのは

 

人間、一度しか死ぬことはできない。命は神さまからの借りものだ

(ウィリアム・シェイクスピア)

 

役者を志して、結局演技が大嫌いになった私が共感するのはなんとも皮肉ではありますが。

茶道の道具への考え方で、師匠の言葉に感服したことがあります。

 

「茶道具とは、お金を払ってお借りしているものである。先人たちが何百年と大事に守り受け継いできたものを、ひと時自分のそばに置かせていただくだけであって、いずれお返ししなければならない。」

 

これに通ずるのではないでしょうか?

無利子で人生をお借りしているだけ。

 

これは恋愛関係にも言えることかもしれません。

たとえ結婚したとしても、その相手の人生は相手のものであり。

一時的に時間を共有させていただいているだけなのだ。

 

こう考えれば、相手に対して束縛や嫉妬の念はなくなるのではないでしょうか?

 

皆さんにはピンときた言葉はありましたか?

 

結局死とは、だれも経験談を語れるにんげんなど居ないもので、つまり永遠にその本質は不明ということになります。

死ぬとは何か?死んだらどうなるのか?

下手な考え休むに似たり。

死ぬときのことを考えるよりも、今この瞬間にフォーカスして元気に楽しく、なにより気楽に生きていきましょう。

 

ゴリラはこれを書くのに悩みすぎて7時間かかりました(笑)

結論・・・死ぬって結局よくわからないので、死ぬことについて考えるだけ無駄!!

 

ゴリラでした。

 

難産:8]