今年の「ライダーカップ」でアメリカを驚かせたベルギーの新鋭ニコラス・コルサートは、コース内外での類稀な才能を2013年のPGAツアーで発揮するだろう。

405フリーウェーをロサンゼルス国際空港に向けて走る車内でコルサートのインタビューを行った際、感情を踊りで表現する、ありのままの姿を知ることができた。ベルギー出身の彼は南カリフォルニアに滞在する傍ら、パーティー三昧の生活を送り、アメリカの文化を肌で学んできたという。この時は中国に向かう予定だったが、ゴルフ界に誕生した新たなロックスターは、これからも絢爛豪華なライフスタイルを実践していくのだろう。

「自分でも思うけれど、都会育ちだからね」。フランス語とフラマン語のアクセントが混じった英語を話す彼は、今年のライダーカップで欧州選抜として共にプレーしたチームメートにつけられたニックネームそのままの人生をエンジョイしているようだ。

メダイナで行われたそのライダーカップでのダブルスマッチプレーで、スティーブ・ストリッカー、そしてタイガー・ウッズを相手に8バーディ、1イーグルを記録したコルサートの存在は、ライダーカップ史に残るに違いない。ウッズすら彼のパフォーマンスを「パッティングの展覧会をみているようなもの」と称賛したのだ。また、大会終了後に彼の口から飛び出た新たな表現は忘れられない。初出場で大活躍できた要因を聞かれると、「“パンツの中身”と共に歩むだけだよ」とコメント。あまりに強いインパクトを周囲に与えた。

そのクリエイティブな言葉のチョイスについて聞いてみると、「自分が考えたことを言おうとしただけだけれど、さすがに『“アレ”がついているところをみせないと』とは言えないだろう。皆、俺がどういう意味で言ったかわかってくれたと思うよ」と返答した。

その試合のマッチの後はポイントを獲れなかったコルサートだが、アメリカゴルフ界に一石を投じたことは間違いない。恵まれたパワー、“ベルギーボンバー”というニックネーム、そして欧州出身ツアー選手の中でも大のパーティー好き。インパクトは決して小さくはない。「皆は僕が成し遂げたことを好意的に受け止めてくれているように思う。きっと『ベルギーから来たこの男は何者なんだ?聞いたことないな』という風に思っていたと思う」と続ける。
コルサートのワイルドな一面が浮き彫りとなったのは、ホセ・マリア・オラサバルが彼を主将推薦で欧州チームに参加させてからのことだった。ニューヨークタイムス紙のインタビューを受けた際、ライダーカップ出場以前のライフスタイルについて「きっと皆が想像している通りで、今よりも酷かった」と話し、メダイナでは「死の世界から戻ってきたように思うくらい」と語っている。フライズ・ドット・コム・オープン前に収録されたゴルフチャンネルでのインタビューでも同様にコメント。アメリカ選抜に逆転して勝利したライダーカップ後の祝勝会について聞かれると、「これまで自分はパーティー慣れしていると思っていたけれど、(祝勝会は)人生の中でもトップ3に入るほど良いものだった」と話す。

パーティーについて話を掘り下げて聞いてみると、彼は自身を“クローゼットDJ”と形容する。「音楽は昔から大好きで、以前はクラブミュージックが好きだった」、「自分の中にロックンロール的な感性があるのを感じていたけれど、ブリュッセルのアンダーグラウンドシーンでは風変わりに思われることも多くて」と語ってくれた。

10代の頃はフレッド・カプルスの冷静沈着な振る舞いに感化され、欧州の中でも天才と称された。1997年と99年にはジュニア・ライダーカップメンバーとしてライダーカップを見学。アマチュアながらチャレンジツアーイベントで優勝争いに絡むと、ルクセンブルグ・オープンでもプレーオフの末に敗れたが健闘。18歳の時、史上2位の若さで欧州ツアー出場権を獲得したが、2001年の賞金ランキングは172位でフィニッシュ。挫折を味わった。

26歳までは、大会が終わるとパーティーに明け暮れる生活を送り、2008-09シーズンの冬、世界ランキングで1305位にまで順位を落としてシード権も失った。しかしその時、神からの啓示のような出来事が起こったという。「テレビで優れた選手のプレーを見ていた時に気がついたんだ」。

彼は父親のパトリックと話し、今すぐにベルギー、ひいては欧州から出て修行をする必要があると直訴。それからオーストラリアにあるA級のインターナショナル・ゴルフ・アカデミーに入塾した。毎朝6時に起床し、連日トレーニングか、ボールを叩く日々だけを送ったという。効果はすぐに表れ、チャレンジツアーで2勝、同ツアー賞金ランキング3位の好成績を挙げる。父パトリックは「帰ってきた息子を見て、友人達は『本当に変わった』と言っていました」とメダイナで、その変貌ぶりを語った。

11月14日に30歳の誕生日を迎えたコルサートは、一度は抜け出したナイトライフを再び満喫している。自分自身を見つめ直し、コーチとしてデイブ・ストックトンとボブ・ロッテラ博士を雇い、世界ランキングでも33位に浮上した。

中国で開催された「WGC HSBCチャンピオンズ」では54位タイに終わった彼は、その後ドバイで開催された欧州ツアー最終戦まではアジアに滞在し、その後は南アフリカ、タイ、ブルネイでプレーして一年を終えた。長期的なプランとして、今後フロリダのパームビーチ郡での定住を真剣に検討。洒落た都会育ちとしての人生を送るというサインなのだろう。

「自分が歩むべき人生を送れていなかった。でも、どうにかして本来自分が求めていたことを追い求められる環境に戻れた。これまでは自分の人生ではない生き方をしてきた。だから今のポジションを手にすることが出来て、自分自身を誇りに思う」。パーティ人生は、ようやく本格化してきたばかりだ。

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