三角屋根が見ている | 38度線の北側でのできごと

38度線の北側でのできごと

38度線の北側の国でのお話を書きます

 くコンクリート打ちっ放しのまま放置されていた柳京ホテル。2004年に初訪問した時に「見せてくれ」とツアーメンバー一行で案内員に頼み込み、何とか見せてもらった記憶がある。

 

 写真は撮らないでと厳しく言われたが、車ですぐ近くを通った。素人目にも長年の放置ぶりが明らかで長年工事されていないことが明らかだった。1987年に工事開始、89年の第13回世界青年学生祭典完工を目標にしていたというが。

 

 2010年に行った時には外壁にガラスが貼られていた。見違えた。夜になると標識灯が赤く小さく光る。ただ、標識灯以外の内部の照明がつくことはない。営業しているかも不明だ。

 

 それを確かめようとも、今も中に入ることも、近くに寄ることも出来ない。

 

 最近、なかなか北朝鮮に帰国できなくなった在日朝鮮人の友人にもよく聞かれる。「あのホテルってどうなったの?」。

 

 内装工事が始まった。下層階がオフィスとして稼働を始めた。何か商業施設が入るらしい。そんな話をちらほら聞くが確証はない。あくまで噂話のレベルだ。

 

 案内員に聞いてもことばを濁す。接待員に聞いても首を傾げる。ネットで検索してもよくわからない。

 

 三角屋根の建物は、平壌滞在中空を見上げるとひょっこりと顔を見せる。「あ、どうも」「また会いましたね」とでも言いたげに。ぼくはカメラを構える。シャッターを押しながら「その足元はどうなっているのですか―――」。そう聞いても答えは当然返っては来ないけれど。

 

 

 万寿台から見えた夕刻の柳京ホテル 2015年10月撮影