3月11日、日本中が悲しい記憶に涙する日。
私にとっても、いっそう悲しい日となってしまいました。
猫のしるちゃんことしるこが、
2013年3月11日(月)01:20頃、天国へ旅立ちました。
心配してくれた方、優しい声をかけてくれた方、
心の隅で応援してくれたみんなみんな、ありがとうございました。
しるちゃんは、あまり苦しまずに(たぶん)安らかに逝きました。
二日間くらいご飯も水も受け付けなくなってしまい、
軽い身体がいっそう軽くなり、脱水してしまったのかと。
もうここのところずっとフラフラでとうとう歩くこともできなくなったので
覚悟が必要かな、と日々考えていたから、少しだけ冷静に対処できたかも。
でも、その時はやっぱり…涙、涙でした。
あれから1週間がたちました。
わりと元気です。
思い出すと悲しいし、涙も出るけど。
いろいろ頑張ったしるこに、ありがとう。そう言ってあげたい。
ここからは最期の瞬間を残します。
悲しい話なので、スルーしてもらってもかまいません。
夜中、私が寝る前に、しるちゃんの寝床を新しい毛布に入れ替えてあげようと
寝てるところを無理に箱ベッドから出して、いつものように顔を拭いてあげた時、
(涙や鼻水や口からとかいろんな汁で顔がドロドロになるので)
ちょっとイヤイヤって抵抗したりしてたんです。弱々しくも。
で、ベッドに戻してあげて。
そのあと、ベッドの前のお水いれかえたりしてたら、あれ?
しるちゃん…目が開いてるけど…ぐったり…
え?え?さっきまで…さっきまで…ついさっき起き上がってたのに。
顔拭いてあげてたのになんで????
なんでなんで?ごめん無理させてごめん、って涙が止まらず…動転。
しるちゃん!しるちゃん!って泣きながら呼びました。
彼が「もういいよ。ここまで頑張ったんだから。」と言いました。
でも、でも。さっき、さっき起き上がってたよ?動いたよ?
もうダメなの?なんで今なの?私が無理に起こしたから??と思って
毛布ごと抱き抱えた。しるちゃん、しるちゃん、ってなでなでした。
一瞬で消えてしまったかと思って。涙が止まらない。
なでなで。なでなで。
すこーし。。。息をしてる。。。良かった。。。顔もちょっと動いたよ。
もう、見えないのかな。聞こえないのかな。。。
毛布にくるんでなでなで。反応はほとんどない。
ずーっとしてたら、一度だけ、ゴロゴロって喉を鳴らした。。。(泣)
ごめんね、きついのにごめん、苦しいのにごめん。
もうお母さんは、呼ばない。引き止めないことに決めた。その瞬間まで。
たぶん昏睡してたんだと思う。目は瞳孔開いてるし、顔は動かない。
息だけしてる状態がしばらく続いた。苦しそうな息ではなく、ゆっくり。
時々いびきのような音を漏らしながら。ほぼ動かない。
どのくらい、そうしていたんだろう。なでなで。なでなで。
まだ、息をしている…それを確認しながら毛布にくるんで。
手足は冷たくなってる。。。
ビクっ、、、痙攣が来た。もう、もう、、、終わりの時がきたしるし。
何度か、痙攣した。
呼吸が。。。止まった。
しるちゃん。しるちゃん。しるちゃん。。。声には出さず、心で叫んだ。
しるちゃん、今まで、うちのこでいてくれて、ありがとう。
我が家の癒しの存在だったしるちゃん。
最期まで癒してくれて、頑張ってくれて、本当にありがとう。
腎臓の病気だったけど、いっぱいご飯食べたし、たくさんお水を飲んでくれた。
トイレじゃない場所だけれど、いっぱいおしっこも出してくれた。
最初の通院で、あと1週間って言われたのに、それから2ヶ月近くも頑張ってくれて、
無理な通院、痩せていく身体、どんなに苦しかっただろう。ごめんね。
辛かったよね。。。
口の中が腫瘍で大変なことになって、ほっぺが腫れて穴があきそうなくらい悪化して
きっと、すごくすごく痛かったろう。何も言わずにじっと耐えていた。
何度か連れて行った病院も、行きたくなかったかもしれない。
ほぼなすすべもなく点滴と注射だけだったけど、想像以上に辛かったかもしれない。
病院に行く道のりは、普段鳴かない子なのに、いっぱい鳴いていた。
ごめんね。無理をさせて。ごめんね。
病院でもらった総合栄養食のa/d缶が美味しいらしく、ぱくぱく食べてた。
スープで液体にして、どろどろにして、それでも頑張って食べていた。
しるちゃんのイメージ=食いしん坊のおでぶさん。お母さんとおんなじw
トトロに似てるよね、って話してた。
それが骨と皮になって、信じられない軽さになって、逝ってしまった…(泣)
おでぶのままがよかったよ。。。あのまま静かに逝くべきだったの?
考え出したらぐるぐるぐる。いやいや、正解なんてないんだ。。。
何をどうやっても、悔いは残る。
自分にやれることをやったんだ。
そう自分を納得させて、次の後悔はもっと少ないように。
しるちゃんの年齢は、正確にはわからない。
12年ほど前に、当時私が住んでいた1Rマンションの1階エレベーターホールに
猫トイレと一緒に捨てられていた。小さめだけど、もう大人だったかな。
秋に捨てられていて、しばらくはエレベーターホールで暮らしていた。
のほほん。のほほん。人懐っこくて、かわいいこだった。
私を含む、何人かの住人に餌をもらいながら。のほほんと暮らす猫だった。
掃除の人にトイレは捨てられ、ダンボールを置いてあげても何度も捨てられ。
時々オートロックを誰かと一緒にくぐり抜けて、中と外を行ったり来たり。
しばらくいなくなったかと思ったら、また戻ってきていた。
寒くなってきたので、鼻水がすごいことになってきてた。血飛沫が壁に。。。
うちはその頃少し前にみゅうちゃんが死んで、そのあと飼った猫が2匹いたので、迷った。
ぶーちゃんは猫が嫌いで誰にも懐かない。ぴーちゃんはまだ子猫だった。
けどあまりに可哀想なので、「もらっていいですか? → はい・いいえ」と紙に
書いて首にリボンでぶら下げてみた。
翌日見たら「はい」に○がしてあった。 誰の答えかはわからないけれど…ww
とりあえず保護したが、先住猫の故ぶーちゃんと折り合いが悪く、しばらくは
玄関で生活してもらった。暖かいだけでもマシかなと。キャリーケースを寝床にして。
それでものほほん。癒し系のしるこはのんびり暮らしはじめた。
ある日、やっと家に慣れてきたしるこがベッドの下に潜って出てこなかった。
どうしたんだろう?
あまりに出てこないので引っ張りだしたら。。。うわああああ目が、、、目がああああ!
眼球が激しく傷ついてる。。。絶対これ、喧嘩しただろ。。。ぶーちゃんと。。。
急いで病院に行った。けど、瞼を縫い合わせるだけ。治るのを待つしかないとのこと。
鳴きもせずに耐えていたしるこ。かわいそうなことをした。治ってからも傷跡はあって
片目は濁っていた。すごく綺麗な瞳だったのに。ごめんなさい。
きっと、見えづらいだろう。ちゃんと見えてなかったと思う。
それでものほほん。癒し系のしるこはのんびり暮らしてた。
ぴーちゃんはまだ小さかったので、けっこう仲が良かった。
冬は一緒にだんごになって寝てたりした。(故ぶーちゃんは一匹狼w)
それなのに、いつのまにかぴーちゃんがしるちゃんを嫌いだした。
しるちゃんはぴーちゃんが大好きなのに、寄るとシャーーー!!って何故??
年がたつにつれ、悪化していった。なんでだろうね?
冬になると、我慢しつつたまーーーに一緒に寝ていたが。ぴーちゃんは頑固。
抱っこをさせてくれるのも、知らない人に愛想振りまくのも、しるちゃんだけ。
ただ、ひとつだけ欠点があって、マット、毛布、ベッド、ソファなどの布ものがあると
気持よくなっちゃうのか、トイレの代わりにしちゃうことが。。。たびたび。
おかげで我が家のキッチンマットは取り払われ。
ベッドルームは侵入禁止のバリケード。ソファを離席するときはダンボールを置く。
ビニールマットを敷いたらそこでもやっちまうのでw結果ダンボールになった。
「だから捨てられたのか。。。」なんてことを思いつつ。うちは捨てませんけどね。
おとなしくあまり鳴かない。ちょっとしゃがれた小さな声で、たまーににゃーと鳴く。
ぴーちゃんの毛づくろいをするのが好きで、時々ぴーちゃんの頭がびしょびしょにw
それでも晩年はあまり近寄ることもなくなってしまった。
そうして、しるちゃんは煙になって、お星さまになった。
もういない。そう思うと不思議な感覚だ。
おとなしい子だったので、今でもそのへんでごろんと寝ている気がする。
でももう、逝ってしまったのだ。。。
寂しいね。写真見てると涙が止まらないよ。しばらく封印させてもらう。
虹の橋の向こうで、あいかわらずのほほんと、私たちを待ってくれている。
さようなら。さようなら。大好きだったよ。
3匹いた猫が、もう1匹になってしまった。
信じられない。
月日は確実に流れている。
自分たちだって、どうなるかわからない。
ぴーちゃん。子猫から育てた唯一のぴーちゃんが残った。
二人の愛情が一点集中して、うざくないかな?w疲れないかな?
ひいきではないけれど、やっぱりぴーちゃんへの依存度が我が家では一番高い。
完全なる「うちのこ」状態。
いつまでも一緒にはいられない。いつかは…がいつか来る。
その時のためにといってはなんだが、自分たちの心のケアのためにも
多頭飼いは必要だなぁ、と思ったりする。。。
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