
私には複雑な過去がある。
そのひとつの話です。
私の実父は某私鉄の経営者でした。
彼は手元に置けない私を陰ながら見守っていましたが、あれは10歳くらいの頃に「バルバロッサは、マグロ大学附属中学にいかへんか〜?」ときかれました。
私は、とっさに、きっとこの話を養母が聞いたら「なんでおじ様の言うことを聞くの。なんで世話になるの!」と怒鳴られて、嫌がらせを受けることを心配しました。
それととっさにこう感じたのです。
「ボクの人生、ぜんぶ持っていかれる」と。
まだその頃は実父のことを
大叔父としか知らなくて、養父母を実親と思っていた頃です。
実父には内孫もいるのにわざわざ非嫡出子を私立大学の附属に入れるのは、今考えても、いろんな思惑があったのだろうと思います。
さて、話をもとに戻しますとね。
実父;:「バルバロッサはイヤか〜?」
私:「う〜ん。マグロ大学でしょ〜。卒業してもお仕事行くときにどうかな〜」と少し言葉を濁しました。
そうです、マグロ大学は、今でこそ有名になりましたが、あこそは世耕家が理事長を勤め、大阪のお金持ちで勉強がイマイチのボンボンが行くところでして…。
お世辞にもレベルは高くありません。
それは今でも変わりません。
実父:「仕事か〜?なら、卒業したら、ワシの会社にはいればええんや。それなら心配ないやろ〜」と畳み掛けられ…。
私:,「そうなんやけど…。う〜ん」とさらに濁しました。
実父:「そうか〜。まぁ、ちょっと考えたらいいんや〜」とで、終わりましたけど。
振り返ると、あの頃、養父母の虐待に耐えかねて、実父のもとに飛び込めば、養父母の虐待からも逃げられのかもしれませんが、養父母の虐待すら「親は親足らずとも、子は子足れ」と仕込まれていたので、逃げ込む意識はなかった。
それよりも、なんとなく言うことを聞いたら、就職も結婚も全て実父のレールの上を走って、一門一家36家の惣領に仕立て上げられて、ボクの人生、ぜんぶ持っていかれるところでした(笑)。
結局、実父95歳で亡くなったとき、私は25歳のとき、遺恨で私が第14代惣領になるのだが、それはまだ先の話。
いま思うと、もっと話を聞いておけばよかったのかな〜とふと思うんです。
今はなき、異母兄姉たちの配偶者から話を聞くに「おじいちゃんは気難しかった。言葉数が少なくて、考えていることが、分かりづらかった」とのこと…。
私が幼い頃もたしかに多弁ではなかったな(笑)
それなのに、仕事では周りの人に慕われ、大きな会社の社長までしていたんどから、人間は分からないものである。
きっと家族の知らないところで、ストレスは発散していたのだろうな…。
その末に生まれたのがきっと私だろ〜な。
きっと、気がかりだったのだろうなと今は思えます。