
今日は、父の日だとか…(笑)。
父の日だからといって、子どもにいたわってもらえるわけでもなく、ねぎらってもろえるわけでもなく…(笑)
もちろん誕生日も勤労感謝の日もそうですが…ね。
「死ぬことができないから生きる。」「生きていかなければならないから生き抜いてきた。」
ただそれだけの人生。
養父は酒乱で家庭内暴力がひどかった、彼にとっては妻である私の養母にはとくにひどかった。
その次に私への暴力だったな〜。
とはいえ、少しだけマシなところを思い出しました。
地元の中小零細企業で営業兼工事のサラリーマンをしてましたが、病弱な私を黙って仕事の車に乗せて病院への送迎してくれてたな〜。
養母は私の病弱さを嫌っていて「あんたがいなければ、K子(私の義妹です)を連れて家出していたのに。」「あんたは足手まといよ」と文句をいつも言っていたな〜。
酒乱な養父はそれだけは言わなかったな〜。きっと私の実父にして、養父には叔父にあたる翁がいたからだろうな。
実父は、関西の老舗鉄道会社の経営者だった。
私がまだ10歳くらいのとき、その鉄道に乗って最寄り駅を降りた際に株主パスで改札を通ったら、駅員に咎められて、駅舎で長いこと責められた。要するに「子供かなんでそんなものもってるんだ」と。全くもって理不尽な話で、しっかり名前を覚えて泣きながら帰ったんです。
そしたら、酒乱の養父が珍しく「バルサどうした?なんで泣いてるんや」ときつい口調で咎められて、事情をはなしたら、すぐに叔父である翁に「おっちゃん。バルサがおっちゃんとこの駅員にカクカクシカジカで泣かされてきた」と電話。
翁は即会社に電話して翌日にその駅員を左遷させてました。
実父曰く「お〜。K夫(養父の名前)、あのあと社長に電話してな、親戚の子供が◯◯という駅員に泣かされてきたそうや、ようようしておいてくれと、いうたったから、もうおらんやろ」とのこと。
そうして、養父、実父から守られていたな〜と思い出しました。
そして私が通っていた地元の公立小中学校には、養父の恩師の教頭先生、養父の同級生の先生、知り合いのお子さんの先生がたくさんいて、「K夫の息子か〜 」「Kおっちゃんの息子なんやね〜」といつも守ってもらっていたな〜。
それはいわゆる「あ〜おの有名な翁さんの親戚か〜」となって世間から守られていたと改めて気づきました。
この世で親子ほ名乗りをしないまま亡くなった実父。
30年前の春に私を14代目の総領に指名して亡くなった実父。
大叔父が実父だと知らされたのは2年半前。
ほのかに記憶に残る面影…。
そしていつか私が養母と義妹を捨てるだろうと予言していた養父。
そう養父が24年前に亡くなる前に「N子(つまり私の養母)、お前にはK子がいるからええやろ。バルサがおらんでも」と言い残してました。
だから、もう気兼ねなく生きていてもよかろうな〜と思えるようになってきました。
もはや今更なんだが、