前回に引き続いて、健康とは何たるかを自身のここ最近の食+運動生活に基づいてお話ししたいと思います。

まず、健康な体を望まない人ってこの世に存在しないと思うんですが、それには頷いて頂けると思います。じゃあ何故病気に罹ったり、亡くなってしまう人が多いのでしょうか。こういう意見は良く聞かれます。

「遺伝が原因じゃない?」

「運が悪かったんだろうね。」

「まぁ、何かしらの病気には誰でも罹るし仕方ないのでは?」

おそらく、当事者でなければある種楽観的?に思いつく答えだと思います。個人的にはこの思考を根本的に変えなければ日本の目指す健康寿命というのは間違いなく更に劣化すると思います。

では、僕が考える病気の原因は何か。

①ストレス

②運動

③食事

④(西洋)医療界(薬)&産業界

①と②に関しては、方や少ないに越したことは無く、方や定期的にすることを心がければ良いというシンプルなものだと思いますので割愛します。

さてまず③ですが、前回と重なる内容があるかもしれませんのでご理解ください。結論から伝えるならば、現代人は栄養過多の極みということです。とりわけ動物性食品(肉、魚)の割合が圧倒的に高く、これがあらゆる病の原因と言えるでしょう。

100歩譲って肉や魚を食べて健康なご老人も多いことに関しては、これは僕の推測ですが、良い肉、良い魚を食べているからだと考えています。それに対して多くの人々はマ○ドのようなゴミ以下の化学物質の塊のような肉を頻繁にたべているわけで、言うなればダブルパンチと感じます。

そう、栄養過多+化学品の大量摂取も自らの体を劣化させる大きな要因ということです。

ここ数年来弁当とか冷凍食品の成分表を見てから買うのですが、カタカナ文字がなんと多いこと。ph調整剤とか亜硫酸ナトリウムとかキサンタンガムとか…。

この手の物質は人間に害が無いということで使われているわけですが、その根拠って何なのでしょうね。だって少なくとも戦後直後には無かったわけで、どれだけの期間を調査した上での結論なのでしょうか。

僕がそれほど好きではない言葉の一つにエビデンスという表現があるのですが、医療界が好んで使うこの言葉は統計値を取って導き出しているようです。仮にこれを適切とするならば、逆に先のデータはまさにエビデンスにすら値しないことになり、まぁなんという矛盾、もっというと都合の良いように捻じ曲げるのが産業界だなという風に思うわけです。

少し脱線しましたが、「すぐには影響ない」という少し前に良く耳にした言葉と同様に人間の体の中で徐々にネジが狂い始めて、しまいには重病に罹る結果が今の現代病なのではないでしょうか。

そして更に怖いのは、その人間が持った潜在的な異常は子供にも受け継がれるという事です。米国では新生児の12%が何らかの異常を持って生まれているというデータが上がっているようです。(引用:超医食革命)そしてこれは対岸の火事ではないと個人的に思います。ここ数年日本国内で給食を食べて亡くなった児童は最悪の事例で、食物アレルギーを持っている子供なんてざらにいる現実。まさにこれは僕たち世代やそれより前の大人たちが溜め込んできた異常分子が受け継がれてしまったことを意味すると思います。

この状況をどうやって改善に導くかに関して、恐らく個人レベルでは可能だと思います。一言で言うなら、果物と野菜中心の食生活にすること。もっと細かい事項はありますが、それは専門書をご覧ください。検索すればいくらでも出てきます。

ただ、もっと大規模というか抜本的に進めるためには無くさなければならないものが2つあります。1つは(西洋)医療界、1つは薬業界(農薬等も含む)です。

ふざけんなと思った方もいると思います。なのでこれはあくまで僕の意見という事で理解を示さないで頂いても構いません。

ただ、一つだけ覚えておいてもらいたいことがあります。病院に行って病気を完治するのは誰ですか?薬を飲んで治すのは誰ですか?お医者さんが治すわけじゃないですし、薬剤師が治してくれるわけではありません。

自分の免疫力だったり治ろうとする意志があるからこそ病気に勝てるのではないでしょうか?にも関わらず医療界がこれほどまで肥大化してしまっているのは、彼らのビジネス的戦略があるからとしか言いようがありません。生かさず殺さずお金を落とすように色々な罠を仕掛けていると言っても過言ではないと思います。もっというなら手術で治ると思っていたらそれで殺されるなんて誰が予測したでしょう。

勿論、患者側にも原因があります。自分の病気をお医者様神様にお任せして安心していることも否めません。僕たちはここの考え方をゼロベースにすべきだと思っています。

いくらでもまだ書けるのですが、入院患者の見舞いやらでやや立て込んでいるのでこの辺りで終わりにします。(病院の警備員兼受付のバイトをしております笑)

P.S.  ちなみにエビデンスという言葉が嫌いなのは、医者が何かにつけて持ち出す言葉だからです。例えば○○癌のステージ○の余命は○年、○○治療の5年生存率が○○%とか。うちの母親もこういう伝えられ方をしていて、僕は疑問に思ったわけです。そして。人は千差万別なのに単なる指標を前提に病人の治療をする悪習がこの業界の元凶であると結論付けたわけです。

無論まだまだ治療中の母ですが、元々体重が30kg無い体に放射線と抗がん剤の治療を持ちかけてきた某病院には今でも辟易します。僕は死ぬまで病院の世話になるまいと心に誓った瞬間でした。

 



引用元:健康=食事+運動~誤解を正す~②


先々月から子犬を飼い始めています。

僕自身楽観的な性格なので「どうにかなるでしょ」と思っていましたが、まぁ、どうにかなっています。

 

ただ、ペットショップの方からの忠告や書籍等から得た情報がとても貴重だと今でも感じています。

 

まず、必ず常に頭に入れておく大前提があります。

 

「犬中心ではなく、人間中心の生活を送る。」

 

そりゃそうだよと思った方も多いかもしれません。

では聞いてみますが、必要以上に犬をちらちら見ていませんか?

もしくは犬が泣く度に様子を見に行ったりしていませんか?

 

これに当てはまった方は、申し訳ありませんが犬中心の生活になっています。

では、何故これが悪いことでしょうか?

 

一言で言うならば、犬が序列付けで自分を一番上に置いてしまうことです。

そうなるともう手に負えません。俗に言う馬鹿犬として成長してしまうことは目に見えています。

よくいますよね。人や犬が通るたびに馬鹿みたいにほえる犬。もしくは全く躾が出来ていない犬・・・。

 

敢えて書きますが、これは犬が悪いんじゃなくて飼い主=人間が悪いわけで、

馬鹿犬と言われていると言う事はつまり馬鹿飼い主と言われていると認識すべきです。

 

勿論、反論もあるでしょう。自分が好きで飼って可愛がって何が悪いかと。

ではまた聞きますが、そんな犬を散歩させて他の犬とうまくコミュニケーションを取れていますか?

きちんと飼い主に沿って歩けますか?

 

恐らく無理でしょうね。で、そういう人に限って狂犬病とかの注射を疎かにしたりうんちをきちんと持って帰らなかったりするんです。

 

犬を飼うことは、その家庭だけで成立することではなく、社会性の側面が大変重要であるということを

踏まえなくてはなりません。時には叱り付け、時に無視をする等多少罪悪感を覚えるようなことでも行わなければなりません。

それはその子のことひいては自分自身にも跳ね返ってくるわけですから。

 

これは言うまでもなく人間同士にも置き換えることができます。

タイトルにあるとおり、世話焼きというのは僕に言わせれば害悪です。

世話を焼いている本人は「やってやっている感」で一杯なのでしょうが、有難迷惑とはこの事を意味すると思います。

何が問題かというと、世話をされる立場が自力でやるべきことをも奪ってしまうことになり、

ひいてはその成長を止めてしまい得るからです。

丁度僕の父親がこのタイプで、頼んでも無いのに勝手にゴミを捨てたり(一緒には住んでいません)します。

あとは部屋を微妙にいじったりと何を考えたらそういうことが出来るのか不明な行動を多々犯します。

直接言うと逆ギレされ、これまで何度も修羅場になったか分かりません。

僕は病気を持つ母親がいるので近くに住んでいますが、近い将来下松市内の島(笠戸島という名前です。)に移住しようかと思っています。

ふるさと大使になったこともあるので、よりリアルに市の良いところを伝える上で住むこと自体悪いことではないと思っています。

かなり私情が入ったのでこれ以上は書きませんが、要するにお節介=世話焼き=過干渉というのは何かを教育することとは根本的に違っていて、自己満でしかないというのが僕の持論です。

そして往々にして自分自身が満たされていない人が他人に干渉する傾向にあることも付け加えておきます。

編集後記:数年前からTPPへの加入で日本国内も揺れ動いていますが、日本の農業もまさに日本政府による過干渉で地力が残っていない状況だと感じます。

海外産の安い作物と闘えるのか多くの方が不安だと思いますが、僕は大丈夫だと思っています。

大量生産された輸入農作物がどれだけ体に害があるかを知れば、普通の日本人は買うのを躊躇うだろうと思うからです。

逆説的に言えば、僕達消費者がもっと自分達の食べるものに頓着しなければいけないとも思います。

また次回にでも世界で起きている穀物や家畜等に関してアプローチしたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 



引用元:「育てる」事と世話焼きの差異
ここ数年来、「食」の問題が当たり前のように話題になっています。

僕達の頭の中は「あぁ、またか。」なんて反応すら覚えてしまうほどです。

ものすごく穿った言い方をすれば、話題になるだけまだマシと言えると思います。

実際には食品偽装が起きていることを知らずに食べている現実も恐らくあるでしょう。さて、今回のテーマはこの「食」に関する根幹的な面に関してお話していきたいと思います。

僕自身、去年の中頃から「健康」というテーマに則って色々情報収集ならびに実践をしてきました。例えばランニングの継続化だったり、出来る限り自分で料理をする等です。更に、2つの資格と1つの研修にも参加しました。

 

・ファスティングマイスター初級

・ランナーズマイスター

・就農支援塾短期研修

 

まずファスティングというのは、日本語に置き換えると「断食」を意味します。つまり、定期的に断食をして体の老廃物を出して健康になるということを意図しています。僕自身、元々朝ご飯をあまり食べるほうではなかったのでそれ程抵抗感は無かったですが、昔の人からすると全く食べない期間だったり朝食を抜くなんて行為は可笑しいという感覚だろうと思います。けれど、非常に理にかなっている理論(後述します)なわけで、現在も僕はほぼ朝食に固形物は食べていません。(後述)

次にランナーズマイスター。と言っても大して知識は身についていません笑 ただ将来的にはジョギングクラブなんてのを立ち上げても面白いと思っていて、それには理論も当然必要なわけなので今後も知識を増やしていくためのきっかけ作りといったところでしょうか。

そして最後の研修ですが、先月頭に1週間の間地元近くの農業大学校にて農業の研修を受けました。1週間で学べることは勿論限界はありますが、例えば肥料の使い方だったり農薬の可否等素人が1人で行っていては得られない知識だったりノウハウを学ぶことができました。

僕達が日々食べる野菜を中心とした食物と定期的な運動、この2つこそ人が生活していく上で何より重視しなければならないことだと心から感じています。

さて、そんな中でクイズを出します。

Q1. 朝昼夜。食べないならどれが一番適切?

Q2. 野菜ジュースと野菜+ヨーグルトジュース。体により良いのは?

Q3. タンパク質を摂取するためだったら肉を食べる?野菜を食べる?

では、Q1から説明していきますが、答えは朝です。まぁ、これは予想がついた方も多いと思います。その理由としては、朝は一般的に排泄の時間であるからです。前日夜に食べた食事を睡眠中に消化し、そして朝排泄することが体に一番合っているわけです。もっというと排泄する時間を朝に設ける必要があるということ。僕たちは子供のころから朝はしっかり食べるという教育を受けてきましたが、それは違っていたという事になります。

Q2の答えは野菜ジュースだけの場合です。この理由は話せば長くなるのでここでは簡略しますが、要するにヨーグルトというのが必ずしも体に良いものではないことが一つの理由です。更に、食べ合わせという面で野菜とヨーグルトが混ざると体の中で腐敗し、却って体に悪影響を引き起こしてしまいます。つまり、人間の体は複数の種類の栄養分を同時に摂ることができない仕組みになっているわけです。

最後のQ3。答えは野菜です。えっ?と思われた方が多いと思います。ではタンパク質を分解すると何になるでしょうか?アミノ酸です。アミノ酸は野菜に豊富に含まれてていて、肉や魚を食べて得られるよりもよっぽど効率的にアミノ酸を吸収できます。勿論、肉や魚にも豊富に含まれてはいますが、それの引換に水銀や化学物質も一緒に摂取してしまう可能性が高く、リスクもあるわけです。

今回僕が引用したフィットフォーライフという書籍は、ここ数か月で読んだ50冊とは比べ物にならない程の衝撃を与えてくれています。僕自身、断食や野菜ジュースはたまた断糖等の知識を踏まえた上でなので、とても合点がいっています。

次回もこの書籍を通じて食と運動を踏まえた健康に関してお話ししようと思います。

気に入った一文を最後に。「人々が肉や魚を食べる理由。一つは習慣と条件付けである。」つまり、食べる必要がないってことですね笑

 



引用元:健康=食事+運動~誤解を正す~①


まず初めに、結論というか私の持論を申し上げると、日本人の英語力は極めて低いことを伝えておきます。こういうことを言う理由を今から述べていきます。

学んだ英語が全く実用的ではないということ。これまで10数か国の国を訪問してきましたが、どの国の人もこちらが求めることに対する答えを返してくれました。勿論、英語圏の国は当然かもしれません。また、全員が全員話せるわけじゃなく、貧困層は全く話せない国もあるのは事実です。

ただ、1つ言いたいのは、繰り返しになりますが、日本の英語教育は限りなく無駄だと思います。異論がある方もいるとは思いますが、敢えて聞きます。文法なんて学んだことが今に生きていますか?その割には発音の時間がとても短くて、明らかに軽視されていました。でも、明らかに伝わらない発音程コミュニケーションに支障が出ることはないのではと思います。

僕は大学時代中国語を主専攻で学んでいました。第二外国語ではなく、外国語大学だったので当然かもしれませんが、発音に掛けられる時間は相当なものでした。確か発音だけで3か月位費やされたように思います。確かに英語より発音が肝であるのですが、本来外国語を学ぶ上で発音というのは大切なキーだと思います。

更に、ほぼ無意味な英語の文章を学ぶのではなく、例えば商売とかもしくは歴史、法律等各人が少しでも興味を持てるような内容でないことも疑問です。難易度に差が出るかもしれませんが、日本語で読んでも興味を持てないような内容を英語で読んで何が楽しいのか、どれだけ自らの血となり肉となるのか甚だ疑問です。これこそまさに実用的ではない英語教育の象徴ではないでしょうか?

それを踏まえて今回のテーマの話をするのですが、なぜか日本人は訪日してきた外国人に対して英語を話そうとします。海外旅行をする時には日本人だけでかたまったりする割には、何故なのでしょう?相手に気を使っているつもりなのか、はたまた自分の英語力を試そうとしているのか…。

僕に言わせれば、極めてナンセンスです。外国人はわざわざ日本を知りに来ているのに、何故にわざわざPoorな英語を聞かされて会話をしなければならないのかと。ある意味彼らへの侮辱に等しいと思います。

「郷に入れば郷に従え」。誰でも知っている言葉です。けれども、それを「郷」にいる側が破っているようでは、本当の意味でのWelcome to Japanにはならないのではと心底感じています。100歩譲って英語が話せる人であれば、慣れない土地で不安な外国人を安心させられるでしょうが、「この日本人にこにこしてるけど何言ってるか分かんないな。困ったな…。」ってことは目に見えるわけです。

僕は海外とのビジネスを今後もしていくので、語学力はどれだけ高くても良いという立場にいます。そして現時点でも決して満足できる水準ではないので日々精進ではあります。ただ、必ずしも全員が外国語を学んで意味があるのかは常々感じていて、小学時から英語教育必須にするのだったら、選択制にして英語を本気で学びたい人とそれ以外の教科に時間を充てたい人等選択肢を設けるべきだと思っています。これこそ少子化が進む中で、大人側がすべき子供に対する導きではないかと。

「グローバリゼーション」という言葉が生まれて久しいですが、全員が全員それに関わるわけはないですし、その必要はないと思います。それを無理やり国民に押し付けたところで期待するほどの成果が上がるのでしょうか。

そういえば楽天の英語公用化は最近どうなっているのでしょうか。話題にもならないので上手くいっていることを願いますが、少なくとも楽天がAmaoznやアリババのように世界でのポータルサイトに成長はしていないようですね…。

 



引用元:インバウンドツーリズム~外国人への接し方~
昨日は地元の市役所にてふるさと大使の任命式に参加してきました。

??と感じた方が大半だろうと思います。僕自身、何となく(というと言葉が悪いですが)応募して、気づいたら選考されていたので人生面白いなと思ったりしています。仮にも市の宣伝塔の役割を3年間担うわけですので、バランス感覚を持った上で攻めていければと考えています。

因みにどういった役回りかと言うと、市の祭り等イベントに参加をすることです。どうやら年10回程度のようなので、もっと働いても良い位に思っております。夜間バイト辞めないで良かった笑

前例(今回が第3期目)に則っただけだと捻りがないので、僕の独自色も出していこうと画策しています。例えばブログを通じた情報発信。今後改めて地元のことを学んでいくわけですので、その知り得た内容をお伝えしていこうと思います。

それから今年は世界ジャンボリーというボーイスカウトの大イベントが山口県で開催されます。元々参加する予定でしたが、下松市をアピールする機会もあると思うので、それなりの語学力を活かして色々と交流してより多くの人にこの街を知ってもらえればと思っています。

さて、今日もラジオを流しっぱなしですが、幾つかの番組が終わるようですね。3月は何かと別れの時期。中にはその生活の変化が本望ではない人もいると思います。でも、4月という始まりの時からはまた新たな目標を持つことは素敵だなと思っています。僕自身、3年間務めるこのふるさと大使を通じて心身ともにステップアップしていこうと思います。

編集後記:ご祝儀等で金が湯水の如く僕のもとを去った3月でしたが、さっきお金の計算していて結構引いてます…。お金は大事だよー。と思いつつまた5月に10万は消えていく。そういえば自動車税も来ますよね。皆様もお金のご利用は計画的に。

以下写真より、写真映りは悪い方なのですが、これは意外と良かったかもです。ちなみに一番右に映っているのはシンガーソングライターのMIKKOさんです。彼女は今回新設されたくだまつ観光大使になられました。県内外での音楽活動の他、毎週土曜6時からFM山口でラジオのDJをされています。生歌もとても上手でした。

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引用元:下松ふるさと大使任命式


アウトドアが好きな方の多くは、外で食べる料理+ビールを求めているのではないでしょうか。高級レストランでの食事も勿論美味ですが、それとはまた違った格別の味がそこにはあると思います。

先週の日曜日にボーイスカウトの活動に参加してきたのですが、今回は野外料理実習でした。ちなみに何を作ったかというと、

・竹飯(竹筒の中に米を入れてBBQコンロにて炊飯)

・ピザ(持主の方保有の窯を利用)

・豚肉と白菜和え

竹で米を炊くのは難易度が結構高いです。水加減や火加減を失敗すると食えたものではないですし、芯が残ることもまぁよくあるわけです。

で、今回の結果はGoodでした。竹筒をコンロの中に置いて15分位すると筒の隙間から泡が出始めるのですが、それが収まった時が炊けるタイミングになります。合計で30分位が炊飯時間でした。

それから窯でピザを焼いたのですが、意外とピザって簡単にできるんですよね。強力粉を水でしっかりこねてイースト菌を加えて1時間位放置。(かなり膨らみます。)その後生地を伸ばしてトッピングを載せて窯で6分程度焼いたら完成!初めて窯でのピザを食べましたが、宅配ピザをもう食べられません笑

写真の窯で大体30万円位らしいのですが、もっと小さくて良いので10万位で家の敷地に作ろうかなと画策しています。ピザだけじゃなくパンとか鶏肉とか使い道は沢山あるのであとは薪さえ調達できれば!

後記:今回使用した薪は竹、杉、ヒノキでした。そして僕は20年来の花粉症です。でも、一度もくしゃみをしませんでした…。

どうやら花粉症が治ったみたいなんです。※注射も薬も飲んでおりません。ここ半年玄米を食べているのですがそれが効力を発揮したのかなぁなんて思ってます。白米も美味しいですが、圧力鍋で炊く玄米も悪くないですよ!(…と今回のテーマと矛盾するのでこの辺りで締めることにします…。)

 

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引用元:竹で米を炊き、窯でピザを焼く。
1990年代にパソコン、そしてインターネットが普及するに比例して、ネット上だけで大抵のことは完結する時代へと変化を遂げてきました。(敢えて進化とは言いません。)僕自身も父親が購入したウィンドウズ95をわけもわからずいじくっていて、確かCCガールズか何かのややエロ目のゲームにはまっていたことを思い出します。(何のカミングアウトやねんですが。)

で、今回伝えたいことは、そんなオンラインありきの世の中だからこそ、オフライン(という呼称はあまり好きではありませんが)に真の意味があるという事です。※「オフライン」自体も市民権があるのかも不明ですが、オフ会という言い回しがあるようなのでその前提で話をします。

まず、ネットが生まれたことで最も変動したジャンルはやはり「商品の購入」でしょう。基本的に買えないものは殆どないのではと思います。(家?とか)書籍とか特に本屋に見に行かないでもAmazonレビューで評判も良く分かるわけなので、利便性は相当なものだとは思います

一方で間違いなくトラブルも増えていると思います。「商品が思っていたのと違った。」とか「傷があった。」とか消費者からすればトラブルなわけですが、お店で購入するのが当たり前だった時代では頻度は随分少なかったと推察できます。これは売る側からしても、逆説的ながら売る時点でのリスクが格段に上がってしまっているとも言えます。

つまり、せっかくネットで便利に買ったのにもかかわらず、商品の不具合で二度手間になる消費者、同時に配送料等を二重に負担しなければならない販売者の立場の両損になりうる事例が多々あるのではと言えるわけです。

唯一儲かるようなイメージの配送業者も、元々激務な中で(余計な)仕事が増えるわけなので、必ずしも良い話ではないと感じます。

勿論、ごくごく少ない一部の弊害にすぎないかもしれません。でも、個人的にはお店で買うことで得られる楽しさを利便性や安さが上回って、結果的に銭、時間失いをして不愉快になるのっ満たされ過ぎているからこそ起きる無駄なことだなと思わざるを得ません。

そもそも物を買う事ってその物を買うまでにどうしようか悩んだりして、そして買うその瞬間って結構重要な要素だと思うわけです。最近ではコト消費っていうのもあって、買った後の体験ありきのビジネスが主流になってきているので全部が全部とは言いません。それでも、手に取ってレジに向かって優越感に浸りながら買うその瞬間って、ネットでは味合うことは難しいですよね。

ちなみに僕が販売するアウトドア商品に関しては、先に挙げたように買う瞬間より買った後の愉しみが寧ろ重要だと理解しています。とはいえ、決して安い商品ではないので、大抵の人は色々悩むだろうとも思います。だからこそ、問い合わせをもらった時にはその商品の良さだったりお客様の求めていることへの回答を自分なりにしっかり考えて回答するようにしています。

とはいえ、オンライン(利便性)がオフライン(幸福感)を上回ることは無いと思いますし、あってはいけないと思っています。あくまで日常生活のプラスとして役割が丁度良いのではないでしょうか。せいぜい2:1位?

そんな中で個人的な話をすると、先週末にとある縁を通じてアウトドアのイベントへ参加してきました。まったりしたBGMと特色あるお店のデザインが最高にマッチしていてお客さんもリラックスできる素敵な時間だっただろうと感じます。来年以降もどんどん知名度が上がるように僕も貢献できればいなと思っています。

恥ずかしい話しながら、自社テントをまともに立てたことが無かったため、まぁまぁテンパりましたが、撤収も含めて少しレベルアップできたはずです笑 今週末はボーイスカウト関連でアウトドア食を作る企画に参加するので今年1年でアウトドアスキルを飛躍させられればいいのですが…!

 

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引用元:オフライン>オンライン×2が理想形
いつの時代も労働に関して様々な議論がなされます。今とりわけ良く目にするのは限定正社員に関するものです。いわゆる異動や出世よりも地元や嫁ぎ先から転居せずに働く人達に向けた制度であり、確かに需要はあるだろうと思います。

ただ、これまでも一般職もしくは派遣という形態があり、基本線は同じだろうと思います。解雇されにくいという触れ込みがあるとはいえ、特別目新しいものであるとは感じません。

会社側が積極的に制度を利用するかも不明であり、結局はなし崩し的にならないかと危惧しています。

ここで個人的に提案したいのは、会社勤めありきの考えを1度白紙にするということです。

僕自身、現在フリーランスとして働いていますが、1人で食っていくだけならどうにかできると最近は感じています。バイトしていますが、本業に負担が掛からないように調整しています。

スタート当初はプレッシャーというか不安だらけでしたが、約1年続けてきて意外と何とかやってます笑 別に稼げてるわけではなく生きるための最低限はどうにかなっているというところですが…。

それでも、生活の自由度を考えるとこれ程幸せなことは無いと日々感じてます。先週は丸々一週間農業実習を受けることができましたし、複数のボランティア活動にも力を入れることができています。

結局のところ、生きる上で一番重きを置くべきなのは時間だと思うわけです。1日の大半を仕事に費やして余った時間を食事や趣味等に使う日々ではあまりにもありふれた、刺激が少ない生活になってしまいます。

人生は有限なわけですから、少しでもやりたいと思ったことは挑戦する時間的余裕を持ちたいと思いませんか?

今はまだ会社勤めをしていて、でもフリーになりたいと思われている方がいましたら何でもご相談ください。僕の伝えられることとして、輸出入を中心とした物販の他、輸出入通関に関する経験談や英語、中国語の使い方等それなりに広いです。

ただ、最終的にはテクニック以上にマインドありきで結果の成否が180度変わってくるので、ただ単に会社勤めが嫌というだけだとつまづいた時にモチベーションが維持できなくなるので熱い気持ちと冷静な判断を大切にしてくださいね。

 

 



引用元:働き方と人生設計~時間軸~
一昨年頃からナインティナイン司会のお見合い番組を楽しんで観ています。多分自分に置き換えてるところもあるんでしょう。とはいえ、カメラが回った環境で冷静な判断が果たしてできるのかなってそもそも思ったりしますが・・・。

強く感じたのは、我が強い女性ってどれだけ作っても言動に出るって事です。勝気だなーって思う女性も多々いて、大概そういう人は外れています。どれだけ女性進出がなされている現代とはいえ、男性と女性の関係性って変わらない、いや変わるべきじゃないんだろうなと感じている次第です。

さて、先週末近しい友人の結婚式に参加してきました。僕自身、結婚式に参列するのはかれこれ10数回を超えていて、その度に3万円が僕の元から去っているわけで笑、そろそろトライアスロン用のバイク買える位だななんて思ったりします(冗談) まぁ、どっちにしても来月買いますがね・・・。

実は初めて地元で結婚式に出たわけですが、なんかこう幸せに感じました。今まで出てきた結婚式って、なんか豪勢にやったりとか場所にこだわったりとかそういう部分も感じてたんですが、今回の結婚式は、参列してもらった人達へのお礼を強く感じることができた時間でした。

これって簡単なようですごく難しいと思うんです。勿論、誰もが自分達のお披露目とお世話になった方々の御礼をその大切な式に込めることは言うまでもありません。でも、やっぱりお色直しにこだわりたいとか、場所はここがいいとか、どうして自分達主役自身の意向が強くなって仕様がないと思います。あと、食事をまれにケチる式もありました。後、お車代を端折るとか(これ大問題)

そんな中で今回の式は、お色直しの時間も特別長いと思いませんでしたし、食事も美味しかったです。中々良いセンス持ってるなと思いました。ただ、しいて言うなら新郎新婦の好きな曲がBGMで流れてましたが、ほぼ新郎でしょ?なぁ、そうだろ笑

さて、今週末もまた結婚式への参列をします。僕自身、後輩の結婚式への参列はこれで2回目です。ちなみに初めて出た後輩の結婚は、今ではロクな話を聞いてておらず、自身が未熟なままで赤の他人と共に過ごすことの重さを客観的に感じたりしています。 

是非結婚という日を迎え、その為に多くの方を呼んで幸せを分かち合った2人には、一生涯寄り添っていて欲しいなと心から思います。逆説的ですがそれができないということは、自分達だけではない、多くの知人友人を傷つけている事実を果たして理解できているのでしょうか(反語)
農業がひと段落し、今週はまた自宅にいる生活が戻ってきました。ここ最近あまり全体的に売れ行きがよくないので、気持ちを入れなおさなきゃいけないなと思っているところです。で、僕の三本の矢ならぬ角の1つであるAmazon輸出。たまたま同じ商品を売っている日本人セラーの顧客評価が目に付きました。