更新が遅くなってしまいました・・・。
そんなわけで、私は神様を軽んじる放蕩した心を持っていました。
私は、自分自身を正しく見る目がないんですね。
救われてからも、依然として自分の考えを優先して生きてきました。
御言葉も自分に合う内容は「アーメン」になり、
自分に干渉されるような内容だと、耳を塞ぎたくなる・・・。
そんな生き方で、本当に神様に委ねた人生を送ることができるわけありません。
私は、基本的に神様に助けて欲しい、祝福されたい、でも、
私の考えに合わないことは、受け入れないんですね。
・・・一体何様なんでしょうか。
私は、自分が汚く間違った人間です、と言いながら、依然として自分自身に従うんですね。
その話を牧師先生としてから、私は私の姿が見えました。
漠然としていたものがはっきりとしました。
牧師先生は、「兄弟がこういう信仰の問題に気づかずに、このまま就職が決まったら、
依然として罪に対して苦しむしかない人生を送らなければならないから、
今神様が兄弟の心を変えたいと思ってらっしゃいます」
・・・と仰いました。
本当に私はこの悔い改めが無かったら時間の問題で教会から離れてしまう者だったと思います。
聖書では、「いったい、盲人に盲人の手引きができるでしょうか。
ふたりとも穴に落ち込まないでしょうか。(ルカ6章39節)」
・・・とイエス様が仰っています。
この盲人こそが誰でもない私自身の考えです。
心の目が見えないんですね。
正しい目がないので自分自身の姿が見えないんですね。
神様は人間の心をいつも悪いことだけに傾くと仰いました。
「いつも」です。
そんな私が私自身の人生を自分の思い通りにしたいと、いつも願っているのです。
もちろん悪いことだと思わずに。
でもその先は穴(地獄)です。
心の世界で神様の目線で見ないとわからないことです。
しかし、そんな汚い人間でも、
神様は愛しておられ、ご自分の息子であるイエス・キリストをこの世に送られました。
神様の愛は、愛するものの為に大切なものを捨てる愛です。
私達にはそれは到底できません。
汚くてどうしようもない人の為に、
自分の愛する子供を犠牲にできますか?
私は、感謝の心を忘れていました。
私は、できない不足なところが沢山ある人間です。
だから、神様に求めなければならないのに、
開きなおった心を持っていました。
そんな心は神様と何にも関係のない人が持つ心でした。
長くなったので続きはまた。