日本一時帰国ストーリー。

日本に帰国するたびに必ず会いに行くのは
今も健在なうちのじいちゃん。
もちろん、今回の帰国でも会いに行ってきた。

実家から祖父の住む老人介護施設までは
車で1時間ほどの道のり。
途中までバスを利用し、姉の住む町まで行く。
そして姉と甥っ子と合流して施設へ。

日本海を左に海岸線オロロンライン沿いを走る。
その道中、こんなものが。


この地域は風が強いので、風力発電のプラントが立ち並ぶ。

日本、原発に頼らなくっても風力や火力発電で
電気まかなえるよ~~~!
今まで開発費もかけたから引っ込みつかなくって
東電の原子力発電を続けたいだけじゃないの~?
あ。でも、原発を持っているってことで、
「核兵器、今はないけれどいつでも作れる準備はあるのよん」という
アピールはあるわけか。。。

な~んて考えてみたり。。。
原発のことは、話し出すときりがないので
また今度ゆっくりと。

風力発電を街のシンボルにしているこの町名は「苫前」。
(「とままえ」と読みます。)
道の駅の名前は「ふわっと」。
道路標識なんか「風W とままえ」と書かれているからすごい。
これで「ふわっと」と読ませるんだとさ。
まちおこし、頑張っているね~。(*^_^*)

さて。
この海岸線。
真冬になると「雪の花」が飛んでくる。
波打ち際で泡が発生し、それが風に飛ばされ
道路までやってくるのだ。
まあ、幻想的と言えば幻想的だが
私は見慣れてしまってなんてこともない。
この日は雪の花は見られなかったので
波打ち際の雰囲気だけ写真でお伝えします。



この写真では確認できないが、
海のむこうには、平べったい島が二つ見える。
オロロン鳥で有名な「天売島」と「焼尻島」だ。
この島は見る位置によって、入れ替わってしまう。
だから、「右側が天売島で左側が焼尻島」という覚え方は好ましくない。
もっとも適切な覚え方は
「背の高いほうが天売島で、低いほうが焼尻島」ってかんじかな。

道路は海側と山側しかない。
ほんとに海岸線が続くだけ。
それでも時々小さな町に出くわすこのオロロンライン。
そんな小道は雪道運転注意。
除雪が間に合っていないのではまってしまうし、
時々、熊にも遭遇してしまう。
私は一度もクマに遭遇したことがないが。

なにやら、観光ガイドのようになっているが、
本題は「うちのじいさま」である。
施設はインフルエンザがちまたで流行ると面会者を入れてくれなくなるので
事前に確認しておいた。
エントランス近くに受付窓口があり
名前などを記入し、横の洗面台で手の消毒とマスクをする。
かなりインフルエンザに注意を払っているようだ。

祖父は昔から小児まひのため足が不自由だった。
それでも家でくらしているときは両腕を器用に使い
這って歩いていたのだが、施設に入ると車いす生活になるため
まもなく自力歩行はできなくなってしまった。
これは予想していたことだった。
施設に入居してからの祖父は、徐々に小さくなっていく。
子供のころ、大きく見えたじいちゃんが小さくなるってのは
なんとも言い難いものだ。
数年前から、じいちゃんは子供のようになってきた。
うれしいとニッコリわらう。
もともと無口なじいちゃんは施設ではきっと手間いらずの
かわいいおじいちゃんと思われているだろう。

私は部屋に入り、耳の遠いじいちゃんに話しかける。
「じいちゃん、わかるかい?あゆみだよ~」
すると、ほとんど口をきかないじいちゃんが
「めんこいな」と言ったのだ。
え?っと聞き返すと、再び「めんこいな」と。

誰と間違えている?
私のこと、何歳だと思っている?
私のこと、思い出せた?

いろんな質問があるが、聞いたところで仕方がない。
今覚えていても、数時間後には忘れるだろうし。
私たちは、途中で昼ご飯を買ってじいちゃんとともに
昼食を楽しむことにした。
その間、じいちゃんもずっと食べっぱなし。
すごい食欲だ。
普段ならおなかいっぱいになると眠りこけてしまうが、
なぜかその日は寝ずに食べ続けた。
なので私は目を覚ましているじいちゃんをずっと見れた。

 

うちのじいさま(真ん中の白髪頭よ) ↑
間違える対象者はいないだろうけれどね。笑。




じいちゃん。




もうすぐ、97歳。




100歳まで生きてくれるかな?


と思いつつも、母にはこういう。
「お母さん、もしじいちゃんがこのあと数ヵ月後に
死んじゃうようなことがあっても、葬式のために日本帰国しないと思うよ。
今、生きてるじいちゃんに会えたからもういいわ~。」

この憎たらしいとも思えるセリフ。
過去に何度言ったことか。
それでもね、うちのじいさま、まだ元気なんです(*^_^*)

また1~2年後に一時帰国するときも会えますように。。。