祝福 全文訳2 祝福家庭全員が読むべきものであり、2世にしっかり伝えるべきみ言葉です。 | 楚と鶴

楚と鶴

「楚」とは北斜面(日が当たらない場所)で咲く棘のある花のことです。
文鮮明先生のすばらしいみ言葉を掲載していきます。

◆祝福家庭の生活

 そのように行くことができる私自身になっているかという問題、そのようにできる内容を私自身が備えているかという問題について、ここに「蕩減条件」という言葉が出てきたのです。

 この蕩減条件を立てるには、まず信仰の三子女(息子娘)が絶対に必要です。アダムとエバが堕落することによって、その八人家族が堕落したために、その八人家族を代表できる基準を越えなければ行くことができないのです。それを備えずに「民族のためだ、国家のためだ、世界のためだ」という言葉は、単なる形式にすぎないのです。このような出発起点で初めて、「この基準は絶対的だ」と言えるのです。その絶対的な基準を解決していかなければならない運命の道にあるのが、祝福の立場であり、本命であることを知らなければいけません。

 ここにその様な家庭があったなら、その家庭に対して神様の期待がどれほどあったであろうか?と考えられるのです。数多くの家庭の中で中心になれる家庭があるならば、その家庭は、多くの家庭の中で天の家庭愛がある家庭になるはずです。このように、統一教会を中心として、先生の家庭の前に全てに相対する家庭はどこの家庭でしょうか?これが問題です。

 信仰生活において、主体になる人が自分の妻ならば、たとえ妻だとしても仕えていかなければなりません。このように生活していくのです。妻の前に絶対服従しなければならないのです。男性だとしても、何事にも大声を張り上げてはいけません。

 女性も同じです。男性が主体になって責任を負っているときには、男性に対して外的な問題をもってあれこれ言ってはいけないのです。お金がないとか、暮らしていけないとかまた無能だなど・・。こういうことが問題ではありません。問題は、み旨に対してどれほど忠誠を尽くすことができるかということです。互いにみ旨が自らの生命の中心になっているのかと言う問題なのです。
このようなを重要視しないで自身が願う外的な条件を探していく人を通して悟りなさいというのです。必ず結果が良くならないというのです。
 それゆえ、万一個人が願う相対的基準ではないとしても落胆するようなことを言わず、彼がみ旨を思う心が自分より秀でていれば、「彼を通して世界を探していこう」と言わなければなりません。そのようなことができる男性、そのようなことができる女性を探して立ち上がらなければなりません。外的な形態を備えた学士や博士より、純真で純朴な農村出身者と暮らすほうが、より幸福になることもあるのです。自分を前面に押し出して大声で騒ぐ人よりも、黙々と引かれる所に行き、どのような場所においても永遠にその場を守ることができるそのような人が、天の前により必要なのです。


◆祝福は二度あり得ない

 本来愛は天から始まるべきなのに、人間が堕落することによって、サタンから始まり、堕落の何ですか?サタンがいて、エバがいて横的に始まったのです。私たちは、その横的な子孫です。先生は皆さんたちを勇断されているというのです。それでも先生は皆さんがどのようになると見ているでしょうか?良くできた人たち、と見ているのです。そして皆さんは悪い後孫をもう産まないと見ているのです。先生の目的はここにあります。
今日統一家が現れた立場では止まることはありません。過去に発信したことがその様になっているのです。国家の運勢がなく、世界の運勢がなく、生まれたその後孫たちは生まれるべきでない、というのです。結婚とは、新しい民族、新しい国家を形成するために、そのようなことができる人材を模索しようとすることです。今まで人々は、「自分のために結婚する」と言いましたが、私たち統一教会の結婚は、民族のために、世界のためにあります。

 民族は二つではあり得ません。私たちは民族のための夫婦であるがゆえに、結婚は一度しかできないのです。私たちは世界のために、神様のための夫婦であるがゆえに、結婚は一度しかできないのです。そして感情で皆さんの考えがこの行事に賛成していなければならないのです。

◆祝福の立場とはどのような立場か
万一皆さんが結婚をして暮らしを通して煮え切らないこと、困難なことも、世の中で悲惨な生活をしても落胆する言葉を言ってはならない。悲惨な生活を送る自身の家庭が歴史路程にある数多くの家庭を救うべきであり救世主になることができることを知るべきなのです。このように困難な立場でありむしろ不幸を買っているとことを嘆息してはならない。この立場が世相の全ての人たちの蕩減復帰するためでありまた霊界にいる霊人たちをもまえにして後代の後孫たちのために代身して奥が深くなった道をともに開き主と主体になる立場だと言うことを考えなさいというのです。このような救世主の立場に書き記されるために私のいままでの事実があると言うのです。
統一教会で祝福を受けた夫婦は、自分の妻が死に、あるいは夫がまず死んだとしても嘆くな、と言うのです。自分自身のかってに再婚してもいけません。このような自分自身の心を持つことが霊界でひっかかるというのです。この結果がどんなことになりますか?これは地上ではあらわれません。しかし霊界行って見なさい。間違いなくこのような人はサタンよりも悪なる立場に行くのです。
これゆえにこの問題は根本となった6千年を通してなってきたことなのです。このように祝福の立場はものものしい立場なのです。恐ろしい立場なのです。ここは、適当な自分の感情をもったまま行くところではありません。一つの生命の価値を宇宙的に見る高貴なことなのです。このように一人の人の責任があるところであり、永遠を中心として責任をなすところなのです。
このように問題が左右する立場が祝福の立場であり皆さんの本命であることを知って、なしていくのです。
これゆえに自分の一生のこのような、一時を持っていく人ならばこれを「幸せな人」と言うのです。このような厳かな祝福の立場を皆さんが加担するために歴史的なる決心をするべきなのです。私の先祖が犯した罪があり、この罪の因縁をすぐに受けて自身がどんなにか祝福の立場に参席すべきことであるかということです。
 みなさんは今現在の位置で、祝福を中心として大韓民国と世界を連結すると言うこのような立場になるのです。そうして世界人類を代表し、大韓民国3千万を代表して皆さんの氏族を代表して祭司長を協助することであり宣誓することなのです。このようにして私達の家庭は歴史時代にある神さまを中心とした男子がいる家庭であり、世界の前に必要な家庭であり、丹心の愛の世界に必要な家庭であると絶対的な内容を残し、決めて信じられる祝福を受けるのです。このような内容を探してこられた家庭が世界の行くところにあり、国を代表しており、天を代表する家庭を作るためにさがして一歩進み、祝福で一歩進まれていらっしゃるがゆえに、天の父母の家庭を通して祝福を受けるべきなのです。
このようにして祝福を受けた後の誠精等の家庭においての誠精の道を行くときこそ、この息子娘を通して統一教会の大運が生まれる日なのです。
このように、お父さんやお母さんがむしろ無いとしても、彼らの子女たちは天の運勢を生み、残すのです。このように天の運勢が生まれる日に後孫たちは何を残しますか?それは父母が誠精等を果たした基準にしたがいその内容が決定していくことになるのです。
すなわち国のために、世界のために、天のためにどれぐらい誠精なること、どれぐらい大きな心の感情をくだき、どれぐらい至誠を尽くし従って生まれた後孫の運勢を左右することになることを知らなければいけません。

◆祝福における相対決定はだれがなされるのか
自分の欲望をもって動き、見つめられる神様が同調されることはありません。「このようにすれば天はついてくるだろう」と自分個人の欲望充足するために愛をもって表現しようとするとき神様はそこで同じようにはされませんし、必ず世界と国家と民族のための立場と同じようにされるのです。このように見てみると、より広くて高い愛を探し立てなければならないのが、祝福家庭の道ということを賢明に知らなければならないのです。

 祝福を受けるにおいて「私はあの人と受ければいいなあ」と、このように胸中に自らの相手として結んでくれるのを希望する人がいるなら、その人は神様を冒涜する人です。エデンの園でアダムとエバが堕落する時と同じです。アダムとエバが長成期完成級で堕落する時に、互いが自らの相対であることをはっきりと知らなかったのです。知らない立場でサタンの誘惑によって、知らず知らず(不知払拭)にそのような結果をもたらしたのです。皆さんはそのような道を必ず行くことになります。

 このように祝福を受けるときにあなた自身の真の相対を知り、祝福を受けて現れるのであり、祝福を受けたときに真の相対が決定されて現れるのです。祝福の相対の決定は神様がなされ、父母がなさるのです。すなわち、アダムの父である神様がなさることです。このようなことを見るとき、韓国の伝統的婚礼式は、天法に合っている結婚方法です。父母の承諾なしには、絶対に結婚ができないのです。これは絶対的なのです。

 それゆえ、息子、娘は自分に好きな人が心にあれば、すぐ父母に報告しなさいというのです。その人が好きだという言葉が口から出てくる前に、まず父母の公認を受けなければなりません。二人が付き合ってもよいと父母が認めてくれれば、それでいいのです。報告して恋愛をするのは、罪にならないのです。しかし、報告しないでそうすることは、認めることができません。

 私たちの世界は、堕落した結果の世界です。人間始祖アダムとエバが、青少年の時に何らの許諾なく愛の種を蒔いたことでその根が成長し、今日の青少年に仕上げられているのです。大豆を植えれば、大豆が実り、小豆を植えれば小豆が実るように、人間始祖がそのように堕落したので、そのように仕上げられている時代が、今世界的に迫っているというのです。

◆ 祝福家庭と既存家庭の差異
幼児が韓国に生まれれば、子供に食べ物を食べさせて韓国の食べ物を食べさせるのです。西洋の諸国の食べ物を食べさせることはないのです。韓国人として生まれて、自分の父母を中心として生活することが原則であり、韓国のご飯を食べるのです。これは絶対的なことなのです。皆さんがもっと成長してこのように行うのです。絶対に一人の観念を持たないように。みなさんがこのような観念を持っていれば先生が第一気分が悪いのです。

皆さんが万一先生の勝利を受けず、教会長の許可もなしにいろいろ、黒雲の地球上が耳打ちする誰かと祝福を受ければ、先生が地球上で人情を一つにするのです。このようにもっと祝福家庭たちが耳打ちすることを考えれば、終わってしまい決定されません。これが本然の姿ではないことを知らなければいけません。私は頭が痛くなります、ひそひそと話をする野郎故です。このようなことをする人と結ばれるのは間違いなのです。これは1000回ずれているのです。
各自相対はひたすら天だけが決定される道を行くのです。そしてこのような人はありえないのです。
既存の祝福家庭には問題があります。この既存の家庭は問題になっているのです。霊界に行くようになれば違うところなのです。
正式な未婚の男性と女性が祝福を受けることと、既存家庭が受ける祝福と違うのです。霊界に行くようになれば3層天があるのです。現に社会でも人が上層の人が霊界でもそうなるのです。
このように36家庭を置いた時、もう一度言えば12家庭としてアダム家庭、ノア家庭、ヤコブ家庭を代身して36家庭を置いたときいずれかの家庭が在日に帰すならば一番最後の家庭が在日に帰すことでしょう。先頭に立ってこの様な家庭は仕える事になるのです。今この様なときがないので、より違うと言うことです。違っているのです。
これはなぜでしょうか?堕落世界を救うためなのです。今まで、自分の心で結婚して生活をして死んだ霊人たちがたくさんいました。このように死んだ人がたくさんいるゆえに、後孫がこの問題を解くのです。この問題が解決すれば彼らが生きると言うのです。これが蘇生段階なのです。次が長生段階、その次が完成段階と3段階になるのです。このような規範になるべきなる作品がなく今だにこの立場がないというのです。
皆さんが一生にたった一度しかないこの喜びの場において神さまと自分自身がどのような関係を結ぶのか?これが問題なのです。そして皆さんと天とが問題なのです。
男であれば男に問題があり、女ならば女に問題があるのです。そして統一教会においてどのように先生と関係を結ぶのか?これが問題なのです。先生と男ならば男と一対一の問題なのです。女ならば女と先生と一対一の問題なのです。
この問題を解決することなしに天の国、すなわち天国でないところに行くのです。なぜか?自分に備わっているものを解決すべきことが堕落の原因ゆえなのです。これこそが徹天の恨(骨髄に徹する恨み)なのです。このように堕落の根拠がなくなる、というようにこの蕩減期間をもつと先生が解決に至ったのです。これは今まで解決できなかったことです。

◆一世一代の家庭規範である祝福
それで、ここで宣誓をするのです。問答を響かせるのです。問答されて祝福が決まったあとに浅い心が生き返るのです。
このように自分たちが集まらなくて持っている誰かなにかいかばかりか、いかばかりかと噂するものがいます。このようにひそひそこそこそする人は、なっていない人たちです。ここにいるおばさんたちはむなしくときどき一番後ろでないことやだれがこうした、ああしたと言ってはならないのです。もしもこの様にしたら、原則に外れている家庭となり、この家庭は喜ばれないと言うことです。これは人が天と同和する立場でなく、むしろ天の事情と同じ立場なのです。
祝福は、自分一代でも永遠においても、一度しかあり得ない最も貴い場です。その家庭の貴い立場で、最も貴い方と共に決定して越えていかなければなりません。天がここに降り立たなければならないのです。そうして、天と共に決定する最も貴い実体にならなければなりません。

 こういう貴い実体を自分勝手に決定していくのは原則ではありません。これを間違ったがゆえに、堕落の恨が今までしみついているのです。これを蕩減していかなければならない私たちの立場で、どのようにこの貴い位置を探していくかということが問題なのです。今まで祝福家庭たちはこのような感情をかすかに持っていたのです。

 それで、統一教会では恋愛をしてはなりません。絶対にしてはいけません。愛は天から始まり、天で終わらなければならないのです。では、これから世界を中心として祝福の機会がある場合には、どのようになるでしょうか。皆さんが祝福を相続するのです。その父が所有しているものを息子に譲れば、それは息子に移るのです。

 その所有権は同じです。そこに収穫されたすべての結実を相続を受けた人が管理をするように、それを相続を受けた人が、どんなに年齢が足らず自分より若くても、その人の管理のもとで調整されなければならないのです。ここでは、優秀であるか愚かであるかは問題になりません。

 これから先生が、これを引き継ぎするようになる際に、その相続を受けた人がどんな障害者であるとしても、その人の前に行って祝福を受けなければなりません。そのような時が、間もなく来るはずです。こういうことを悟り、この祝福の位置が皆さんの一代において、ただ一度しかあり得ない、最も貴い因縁を決定する立場であるということを知らなければなりません。

 祝福を受ける前に、先生が皆さんを引っ張ってきて問答する時間が同時に皆さんの家庭規範になのです。以前にこのたくさんの人たちを祝福の周期のための期間を本部が受け持っていました。このように相当な多くの時間をかけて本部は食口たちが心配すれば、何ヶ月もかけて先生と毎日同じことをするのです。これは休憩することではありません。これは皆さんに代わって彼が祈祷し多くのことをなすのです。天上を引っ張る立場に来いというのです。

◆祝福を受けたとき天に持つべき心の姿勢
前に祝福するときに皆さんを見ていて、誰かの目が気後れしていました。そのようなとき先生ははじめの一つの行動を通して自分たちだけで放置するのです。そうしたら、だれかれとなく門前のこと(問題のきっかけ)を相対方に上げては報告し下げては報告するのです。もちろんひとりで数百人の人を全部じろじろみるには忙しいのです。このようにじろじろ見て、考えて混ぜているのです。第一できない人と結婚するのです。「私が出来ない人と会わせたとしてもその人と幸せに生きるのです。」という考えを持つのです。このように考えることなしには心の平安はありません。
ただ根も葉もない一人の心がむなしくブンという騒音とともに人の心が飛んで行き、ただ人の心が飛んでいくのです。これは困難なのです。先生が自分の代表者を紙に書いてどのような人がもっと筋を通す人か出しているのです。最も筋を通す人を出すのです。ここに出席している人の中にもおそらくその様な人がいるでしょう。それで先生が10人の理想を打ち出す人を考えるのです。この様に10人理想を打ち出すことも困難なことなのです。これを知るべきです。
10人が超えるべきことを行うと顔を丸いと紙に表示することもないのです。名前を3人だけ明らかにするのです。だから大変苦労するのです。だからおおかた5人は辛いのです。
ところで、紙に書いた苦しいことを見れば本当に一見の価値があるのです。女性達、男性たちが重なって一番偉かった人に全部集中するのです。同じく男性たちも女性のなかの一番きれいな女性達に全部心中にあるのです。(笑い)500名ならば500名全部この偉かった人がみんなの心中にあるのです。そのことは一人の人に500名みんなを嫁がせることは出来ず、499名をはずしてしまう計算になるのです。こうなれば男性たちをより女性達が本当に困難なのです。どうしても男性たちの考えが女性達を見てよりよいようです。先生が男性が消えてなくなる報告し「この野郎、おまえの第一該当者は違っていて、飛んで行った。」と言えばそれに納得するのです。それで女性達に「この野郎、おまえの第一該当者は違っていて男性が飛んで行った。」と言えば女性はつんつんしてふくれっ面して大騒ぎします。こんなことは気分が悪いのです。(笑い)飛んで行って捨てられることが
当然なのです。そうして女性達が500対1と言うことを考えてもないことなのです。「私が先生のために祈祷をし、先生が間違えないように祈祷をします。」というのです。このように1000年しても必要がないのです。(笑い)この様に祈祷をしてはいけません。
この祈祷は自分の欲心を抱く祈祷なのです。これはいけません。その通りじゃないですか?
あ、499名捨てて「あの人は私の婚家のひと」と祈祷してはいけません。祈祷をもっといわれのあるものにするのです。これでは神さまは誰の祈祷に入られるのでしょうか?祈祷ではなく一人の人から同情されるのです。先生が神さまに祈祷するにしてもこの様的外れなことはありません。
このように自分のために祈祷する人は全部欲心に拠るものです。丹心の前に任せられるのです、愚か者の私が迎えるべき相対はないでしょう?ひたすらアボジの処分を望んでいるのです。「これはひとり老いて死ぬならば喜んで生きて死ぬこと」ということを考えなさい。このように起こることをすぐに批評することが楽なことなのです。

◆本当に福を受ける人
ところでこう考えてはいけません、私たちがいる統一教会に何か、なにかだまされていると。このように先生は感じるのです。この様になれば一つ一つが通らなくて静かに放置されるのです。こうなれば、結果は私と神さまの場もなくて、やかましく騒ぎ立てるのです。おおよそ3日を超えると深刻になりご飯も食べられないのです。このように一つ一つ超えて世相的ななにかが押し寄せてくることから回生させることを先生が考えて結果を発表しているのです。先生は福を受けて人たちがどんな人なのか見れば全て判るのです。どちらも集まってくるのを見れば、この人は浮遊して生活していて
俗な生活もしていないのです。それゆえ一週間、天道で苦労をして相対を見つけてちゃんとするのです。相対が決まるときには、この相対が嫌いだと言うあたまでっかちはまずいません。この野郎は一番最後についてくるようになります。先生がやらなかったら皆さんに差し支えるのです。いかなるひとも「私が祝福を受けるために物欲を切り40日誠精祈祷をしますゆえに先生が道理にかなわないことをまずさせるのです。」と考えます。ほんとうですよ。(笑い)これはかならずなのです。絶対にないような事です。自分を中心に誠精を尽くす人は天罰を受ける人なのです。
このように「今回の祝福では特別集会があります。天の神様、私が相対に感じているのは貴方が喜ばれている人の中でお願いします。この人が私が知っている人ならばもっと喜びます。」と祈祷して、この祈祷は条件にかかっているゆえ神様と通じております。祈祷をすればこの様な祈祷をしているのです。「私は彼女でなければいけません。」などと全部このように祈祷をすればなにかかないますか?だめです。
皆さんは最初から見上げないで底にある意味を考えるのです。見上げるのは泥棒になろうとしている人です(笑い)、なぜか?自分の心の中にあるのは道徳を願っている心なのです。自分ひとりでもこの相対房に傾いてまっすぐに引かれそこに置かれている決定される、落ち着く人もいるのです。女性達は自分がどのような人にまっすぐに引かれてそこに置かれている人なのかが一週間を通して選ばれなかったら、自分ひとりで心の奥底で恋愛をしています。心がもうすでに近くにあるのです。この相対房が自分の良いほうへ導かれないならば、今何らかの人が自分の人がいると考えなさい、というのです。このように談判するのです。まっすぐに「一度言われるとおりにして修道を収めよう」と考えるのです。
皆さんはお互いの相対が決定されることを知りました。特に祈祷を持って談判するのです。このような人が二人を見ればよくないように見えます。先生がずっと前にこの二人に蕩減条件を立てて祝福をしてくれた事実があるのです。しかしこの二人はみんな喜ばないのです。彼らはだれも喋らないのです。ただに、先生が知っているだけです。原則がそうだからです。集中して先生が許して自分のために蕩減条件を立てても結局喜ばれないのです。必ず自分の子孫の3代でこの現象がおこるのです。
だから統一教会は怖いのです。
皆さんが先生を見るときの考えを見ると、先生が何もないようですが、事実は恐れられる人なのです。先生は貧しく暮らしている人です、より芽(希望)があり裁量があります。これゆえに私自身がみ旨に対して働く時間が深刻なのです。無責任な中でない一つの席を決定されないのです。一つの決定をする前にまず神様と相談して全ての基準を立てて決定するのです。これは神さまの御心というものがあるとき世相ではどんなに見ようとも関係ないのです。

◆ 蕩減復帰をするための祝福が複雑なこと
皆さんはこの様に問答に答えるのです。「これならばみ旨をなすために立つアメリカの人であっても一緒に生活できますか?」先生が生きているときに一緒に生きるのです。皆さんはそうしますか、しませんか?どのようにしますか?韓国伝統の法はこれを受け入れませんか?いいえ、なります。この様にみ旨が成し遂げられれば、どのようしますか?ここにいるおばさんたち答えてみなさい。どのようにされますか?生きてなされますか?皆さんが前にもこのような立場に立っても分からないことです。これならば、日本人として生きなさいというときどのようにしますか?蕩減復帰のための祝福と言うものが複雑なのです。そしておじいさんが生きなさいとするときどのようにしますか?このように昼夜なく生きて如何にどのようになりますか?「どんなやつの神さまなんだ」(笑い)、そのとおりですか?この様な考えは自分の考えです。蕩減の道がどんなに複雑なことかわかりましたか?
 聖書を見ればタマルは誰と関係しましたか?(義父です。)タマルが義父と関係をもって、生まれたペレツとゼラは直系の祖先になりましたか?同じくパッセバの息子ソロモン王はどのようにうまれましたか?このソロモンはダウィット王が自分の忠臣のウリヤを殺してその妻のパッセバを通して得た子供なのです。自分の忠臣の妻を弄んだからダウィット王は罰を受けて彼の子供が世の中を台無しにする子供にならないといけないのに、どんなにかソロモンという栄光の王が生まれたのかというです。どんなにか解消することでしょうか?
マタイによる福音書に現されています。ラハプがどのような人でしたか?芸妓でしたか?しかし、彼女は誰かを助けましたか?探偵たちを助けました。
このような現実的な恩讐の国家のために働くとき、冒険を一つしたのです。天の公儀のみ心のために冒険をするべきなのです。自分の生命と全ての環境、このような自分の特権的なすべてのことを否定することなのです。このような偉大なる時に歴史はそこで発展するのです。
近頃、青年たちがおばさんを引き連れている、と言う人がたくさんいます。しかも、若い人たちが言うのです。ここには、母親と同じ年齢のおばさんたちを引き連れていく人たちがざらにいるのです。これはなぜですか?皆さん天地開闢と言う言葉がありますよね?本来天上的な男性は自分を見て
年下の女性を結婚させるべきでした。これが正常なのです。これで天地が開闢して何でしょうか?反対になるのです。同年ぺナ(同じ年に身ごもった)現在の時間の一段階を飛び越えていくことが天地開闢と言うことなのです。自分から見て同い年のたくさんの母親格、叔母さん格の女性を結婚させること、これが天地開闢なのです。
若い人が老人に頭を下げるのです。これで天地開闢のときに、老人たちが若い人たちに頭を下げるようになるのです。なぜか?若い人をだんな様として出してもらえばむしろ年齢を飲み込んだおばあさんと同じ女性も若いだんな様に頭を下げるように変わりませんか?天地開闢とはこの様になるのです。これで解消することであり、公式化する話しではないのです。間違いなくこれは修道を収めることではありません。
これゆえ道行くときに捨てられた娼婦と言えどもむやみに手を出せないのです。天地開闢の法ではこの娼婦は上監媽媽(サンガンママ)の奥さんもなせることではないのです。
このようになせないのならば、しない法はないでしょう?(笑い)上監が彼女でないなら自分は死ぬでしょうし、変わることはないのです。世相を自分の勘で置いてみてはならないのです。智恵或る人はこのような点で智恵があるのです。高い頂上だけ見てはならないのです。一番どん底であっても無限に高いこともあるのです。立体的な世界を二つ見るときこれに帰る路程なのです。平面的な立場でたとえれば、南山が一番高いと知って、以北に行けばいよいよ南山を見て高くない山がないというのです。これはあることです。

◆ 神さまを中心として相対を探せ

皆さんたちの中には「私は大学を出たから私の相対は学者学位の異なる女性でなければいけない」そして「大学出ている男性と当たれ」という人がいます。当たるのは労働者も当たります。(笑い)男性と女性が当たるようになっているのです。

そして自分の心に対しても考えるのです。このように考えはやめなさい。 皆さんがものを事故で傷を大きくしていることもあるのです。事を起こした人も気分がよく傷つけた人も気分がよくなって、「これはこんなことですよ」と噛みくだいて「これはどれほどの人に対してどれほどの程度が残るようになっています。」「どれほどか判りますか?」これほどに率直に打ち明けて商売をすれば、高くても事を起こした人も気分がよくなり傷ついた人も気分が良くなるのです。同じく、どんなものを死ぬときに持っていて、どんな人がこの品物の価格を値切って、「これは5千ウォンで売っていますが高いので500ウォンで売ってください。貴方が必要な500ウォンだけもっと出してください。」この様にして品物が渡るときに「やめた」となり、高いことが返って、誇りになることもありそれを見てお金をもっと与えて死ぬように恐れるのです。このようなことがあるのです。皆さんたちもこのような感情を考えて、絶対に自分を中心にして立場をつぶしてはいけません。ここにコンパスがあればこのコンパスはいつも神さまなのです。このコンパスを神様中心として回して線を引くのです。(黒板に書かれる)私を中心としてこのコンパスをまわして見れば、副作用が起こるのです。この副作用はどんなに大きく起こりますか?

自分を中心として引っ張り、後にすぐに地境にたどり着くのです。その様な人たちは15日間そのようにしたらすぐに目に入ります。このことを通してみれば、皆さんは神さまを中心として相対を探しているということになるのです。先生が祝福を続けているとき、私の食口の中でどんな人なのかと静かな手本となっている人を記録しているのです。このような人を私が一回呼んで試験をしてみるのです。この人は女性に対して「君は先生がどんなことをしているのか良くわかっていますね」と噛み砕いて「私はこうこうこのような男性ならばうれしいです。」と言って君が「この様な男性は何ですか?欲望が一杯です。君は嫁に行くことで運勢がなくなるのです。」と解いて「それぐらいのひとですよ」と言ったら「先生の心で透視された人を指定していただけるのであればどのような人でも理解に勤めます。」とね。これは「こんな人も喜ばれます。」とこのように話すのです。


 こうなれば、先生はこんなどん底にある人と絶対になくして拾うのです。反対もあります。神さまの仕事ということ、高くされている人は低くなり、低くなっている人は高い人になるというのです。先生自身もそうなのです。先生が結婚するとき尊敬されなかったのです。尊敬する仕事をやろうとしたら力がもっと要ります。首を45度以下にして見渡すことが一番無難なのです。現在先生自身がこの様な責任を取る年月を通してこの一つの大きな見方がいかばかりに気分がよくなるとすれば、蕩減のくぼみを埋め戻していく気分なのです。皆さんのこのくぼみを引っ張ってみなさい。そこに狭心症があれば暗く狭くなって行ってますます入って行けば行くほど道が狭くなる。先生が今このくぼみを通過している気分です。

◆ 過分な欲望は持たない

だから、ここに参加した人々はあまり欲心を持たないで,すべてを神さまの前に任せてこの日を迎えるようにするのです。そしてここに山積できなかった父兄とか,一般家族たちはこれらのために祈祷をしてくれているはずです。 そのようにしなくて後に立ってひそひそ話しをすれば副作用が多くなるのです。前に祝福する時、このような人がいました。 先生がいかばかりかの人を与えようとした時、 横から他人が 「あ,その人は何、このようでこのようだ。」 と言うんです。 そう, それでは 「君が良いとお勧めする人がふるまうのか」 したら自分が好きな人を紹介するんですよ。 すなわち, 先生にお勧めする人が自分の心にある人であることです。

  同じ価値であれば良い人で, 自分が大事にする人に立派なご主人観を得ている心です。 そうじゃないでしょうか? ここにお母さんたちも, 自分のお婿さまを見るようになれば、お互いが良い壻を得ようと井戸端会議をするはずです。結局その女は先生の言葉を無視して、 横やりの言葉を聞いていてその人と結婚をしました。 しかしその結果が良くなかったということです。

  先生が「この人は君と天によって定められた似合いの配偶者だ」とぴたっと決定してあげれば、それは間違いないのです。先生は、相手を選んであげるために、夜もろくに睡眠をとりません。他人の生命問題、霊魂の問題に責任を負った立場では、これが簡単な問題ではないというのです。

 よく見れば、生まれつき星回りの悪い人がいます。顔を見れば、何度も嫁に行かなければならないタイプがいるのです。そのような人は、未亡人になるタイプです。目を見ても、唇を見ても、鼻筋を見ても、間違いなくそのようになっているのです。そのような人は、それ以上の男性に会うようにしてあげなければなりません。

 そのような女性が自分の新郎に会えば、初めは「怨讐のようだ」と言うのです。うまく出発すればそれが壊れていくので、怨讐から出発すればあとでぴったり合うのです。そのようなことを先生は知っています。祝福に対しては、とにかく先生と相談をしなければならないのです。

 今まで結婚に対する記録は多分先生が世界最高記録を持っているでしょう。 今度までするようになれば歴史的な記録を残すようになるんです。

 また、先生が祝福をするとき、女性の中に障害者がいました。そうかといって、その女性の容姿は悪くもないのです。背後の因縁や天性をよくもって生まれた女性なのに、父母の過ちによってそのようになった女性です。ところが男性たちは、その女性と祝福してあげようとすれば、みんな「嫌だ」と言うのです。事実、どこに障害者を「好きだ」と言う人がいますか。

 ところが、ある一人の男性をよく見ると、目にすっと入ってきて、容姿に欠点がたくさんありました。その欠点を補充できる女性が、正にその女性だというのです。それで先生が説得に立ちました。「君、この女性は見かけはこうだが、良い女性だ。暮らしてみて嫌な所が見えれば、その時は目を閉じればいいではないか。けれどもこの女性は本当に美人だ。そして、自分が結婚するのは、何のためか。正に後世のために結婚するのではないか。そのような立場で結婚すれば、これが統一教会の歴史に永く残ることではないだろうか。先生の一生で忘れることができないことではないだろうか」と言いながら、ずっと話をしてあげました。そして「君がその女性と結婚して娘を生むようになれば、美人を生むであろうし、息子を生むようになれば、将軍を生むだろう」と言いながら、相手を選んであげました。

 そして何年か過ぎたのち、先生が地方巡回に行ったときに、その夫婦が参加していました。ところが、先生を見るや否やその人は、先生の前に飛び出してきたのです。その間、どうなったか気になっていたところで会ったので、その赤ん坊を見ようと行ってみると、案の定、本当に美人の娘を生みました。

◆祝福と理想相対

 顔のほほが薄っぺらい活気がある女性、やわらかい女性は軽率なのです。このような女と一緒に住もうとすれば一週間に一度喧嘩があると言うのです。これと一緒に住める男は大きな牝牛のような岩のような人がいなくて、行く道がないというのです。この様なことを知って、女は美男子との結婚を考えるな、というのです。  美男、美女だけで一緒に暮らすようになれば、その家庭は耐え抜けますか?ないことです。その様な人は必ず、反対するようになる、というのです。天地のすべてがそうなのです。

 背の高い人は、背の低い人と結んであげるべきであって、背が高い人同士で結んであげれば、彼らが暮らすのにつまらないというのです。  そのように思って、顔が平たい人は顔の平たい人をもらおうとせずに、面長の人をもらうように考えなさいというのです。また、鼻がラッパのような人は、わし鼻の人と結んであげなければなりません。目が半分だけ開いたような人ならば、大きい目をもった人と結んであげなければならないというのです。

 そして人が口を開けば反対し不足に感じる人がいます。この人が口を開けば不足をもらします。このような人は寡黙な人と結んであげるのです。先生は今まで多くの人たちを指導し、見てきましたゆえにどんな人が合うのか、表情を見てこの人の長短所の啓示があるのです。 実にどんな女性も目が落ちる前に、ぼんと飛び出す人がいるのです。このような女性の目がそのままついていき、仮面が飛び跳ねるひとをもらうことになります。

 この様に考える統一教会は女性達を自分の願うだんな様を夢にも考えるな!というのです。自分自身の考えもなく、こんなこんな人と言って、ついていくならば、このような人はなにです。だめだと言うのです。先生はこのようにできません。どうしてもこの様に考えるならば、みなさんのこころのままにしなさい。先生が反対すべきことではないのです。

 

 それゆえに、私達統一教会は結婚する前に、長生きして自分の後孫のために大きなことを考えて、自分の姿がどのようになるのか考えなさいと言うのです。率直になるのです。私自身がこの様に考えて「私はこの様な男子を得る、私の後孫はこのようなこどもなのだ」と考えなさい。この様に考えればこの様になるのです。そして目がこんなに飛び出た(しぐさであわてる)人は、その人の道理が無くなるのです。(笑い)

 だからそんな人は反対に目がでてほほ骨がある人になると言うのです。このように、天の父が結ばれるのです。なんと種子を改良して新しい種をまいて接木して生まれさせるということなのです。 そのために、先生が祝福してあげるのはこれから長生きをし、自分の子孫のためなのだと考えて、自分の姿がどうだということは考えてはなりません。

 「私自身はこのように生まれたので、こういう男性をもらってこそ、私の子孫にこういう子供が出てくるはずだ」と考えなさいというのです。

 ですから、相対が気に入らないからといって心配してはなりません。先生は今まで多くの人たちを指導してきました。今まで祝福をしてあげた人の息子、娘を見れば、大体その父母よりも良いというのです。それは、私が結合をうまくしてあげたという話になるのです。そうですね、そうではないですか?(そうです)  このように先生には、何かがあるのです。見ればすぐに、何か知らずに感じることがあるのです。

 結婚というのは、むやみにするものではありません。道端で通りすがりに会った人同士でするのではありません。自分たち同士が親しくなったといって結婚すれば、結婚してすぐさま異変が起きてくることもあるのです。互いが合っていないからです。  松は松同士で接ぎ木をしなければなりません。互いに合う型があるのです。ですから、自分たちなりの立場で通過しようという場には絶対に立ってはなりません。祝福というのは、前に話したとおり、国のために、世界のためにするのです。また、それがすなわち後世のためになるのです。

  ◆祝福を受けるための姿勢

先生が祝福してくれる時, 自分たちどうし好きで持ってしたくて苛苛する人々を開く番位合わせてくれたが後で 8割が良くないです. それでこれからはもうちょっとひいては番号を付けて番号どうし合わせていてしてくれるでしょう. だからみなさんがしてほしいなど言うなと言うことです。 数万数十万番をそうしなければならないというはずです. 対象者たちが番号を付けて座っているようになれば, あの時は先生のアンテナが変わるのです. その瞬間は世の中の人ではないというんです. あの時行っては先生が非常作戦を広げるはずです. 今までサタンと対決して争った非常作戦を使うというのです. それのためには多くの真心を入れなければなりません. もし 20カップルを祝福してくれたら相手を決めることは 10分以内にするというんです. その代わり決めるためには深思熟考してすることであって, むやみにしてくれるのではないです. 皆さんがこんなことを分かって, 今度祝福することにあって先生の意によらなければなりません. 今までそのようにしなくて自分たちどうし好きで結婚した人々の中には死別した人もいます. 先生にならないと言っても自分たちが好きだとしきりにしてくれと言ってするんです.

  `死んでも良いか’ と問って見てもそれでも良いというんです. そのため `良しとして見ます’ となりました. 案の定, 全部そのようになったということです. そうだから, 結婚というのはむやみにするのではないです. 路頭から来て行って会った人どうしするのではないんです. 自分たちどうしなじんだと言って結婚すれば, 結婚した直ちに変事が起るというのです. だから何かあるというんです. お互いに当たらないです. 松は松どうし接ぎ木をしなければなりません. お互いにの当たる兄さん(型)がいるというのです. こういったことを皆さんが分かって今度祝福に新しい姿勢を持って臨まなければなりません.

  自分たち次第の立場でパスしようとするそんな席に絶対立たないように頼む. そして, 祝福と言うのが前で言ったことと一緒に国のためで, 世界のためにすることなのを分からなければなりません. またそれがすぐ後代のためなのがなるということを肝に銘じなければなりません.

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「韓国人はこの内容がいとも簡単にわかる。」ということです。

文字数がいっぱいで何も書けません。

とにかく3か月分の結晶を公開させていただきました。


全ての努力していらっしゃる統一家の皆様、
読者の方に感謝申し上げます。


↑「愛とみ言葉」で天国を迎えたい、と思われた方、

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