★ダイレクト・トランスファー CD-R 2024年7月新譜 3点発売★
発売予定:2024年7月下旬発売予定 価格:各1枚 ¥800(税込み)
※セット販売ではありません。1枚づつお申し込みいただけます。

●今回はWESTERN ELECTRICが原盤作成時に試聴用として開発したWESTREX 10A 
カートリッジの復製モデル「クラング・クンスト10A 」MC型カートリッジを
使用して、モノラルLPを再生しました。

33CDR-3947
モーツァルト:
ヴァイオリン協奏曲第6番変ホ長調 K.268(365b)
ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調 K.216
クリスチャン・フェラス(ヴァイオリン)
カール・ミュンヒンガー指揮
シュトゥットガルト室内管弦楽団
英DECCA LXT 5044(FFRR録音)
1954年10月14日-11月11日、スイス、ジュネーヴ、ヴィクトリア・ホール録音
ヴァイオリン協奏曲第6番K.268(365b)はモーツァルトの死後8年目の1799年に
ヨハン・アントン・アンドレによって楽譜が出版された。モーツァルト時代に
ミュンヘンで活躍したヴァイオリニスト、ヨハン・フリートリッヒ・エックが
モーツァルトから手渡された楽譜にもとづいて自分で加筆し、さらにモーツァ
ルトの弟子のフランツ・ジェスマイアー(1766-1830)が加筆したという。ジェ
スマイヤーはモーツァルト最後の作品「レクイエム」を補筆完成させた人物。
学者間では第2楽章は疑わしいが、他の楽章はモーツァルトの作品であるとい
う説だったが、現在ではモーツァルトの作品表から除外されている。ジャック
・ティボーの(1880-1953)の快心の名演がSPレコード(復刻CDR:78CDR-3080)
にあったが、LP時代には録音はごく僅かだった。クリスチャン・フェラス
(1933-1982)はパリ音楽院出身。49歳の若さで他界したが、DECCA、EMI、
DEUTCHE GRAMMOPHONに大量の録音を残した。これは21歳のフェラスが取り組ん
だ最初期の録音。指揮者のカール・ミュンヒンガー(1915-1990)はドイツ生ま
れ。ヘルマン・アーベントロート(1883-1956)に師事し、シュトゥットガルト
室内管弦楽団を主宰した。
復刻にはWESTTREX 10Aカートリッジの復製モデル「クラング・クンスト10A]
をmono接続にし、コルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

33CDR-3948
チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35
ナタン・ミルシテイン(ヴァイオリン)
シャルル・ミュンシュ指揮ボストン交響楽団
米 RCA VICTOR LM 1760
1953年3月23日ボストン・シンフォニー・ホール録音
ナタン・ミルシテイン(1903-1952)はウクライナのオデッサ生まれ。11歳でペ
テルブルク音楽院に入学し、名ヴァイオリン教師レオポルド・アウアー(1845-
1930)に師事した。後にピアニストのホロヴィッツと知り合い一緒に演奏旅行
をしたこともあった。1929年にストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団
のソリストとしてアメリカ・デビュー。1942年にアメリカ市民権を得た。ミル
シテインは生涯に8回もチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲をレコード録
音している。これはその2番目で50歳の時のもの。指揮者のシャルル・ミュン
シュ(1891-1968)はドイツのストラスブルク生まれ。ヴァイオリンを学び、
1926年にはライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のヴァイオリン奏者に
なり、1932年まで楽長のフルトヴェングラーやワルターの下でコンサートマス
ターを務めた。1929年にパリで指揮者デビュー。1937年にはパリ音楽院管弦楽
団の指揮者になり1946年まで在任した。1949年にボストン交響楽団の常任指揮
者に就任、1962年までその地位にあった。1967年パリ管弦楽団が出来たとき、
初代の音楽監督に就任したが、同年アメリカを演奏旅行中に心臓発作で死去
した。享年77。
復刻にはWESTTREX 10Aカートリッジの復製モデル「クラング・クンスト10A]を
mono接続にし、コルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

33CDR-3949
ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第1番ト長調作品78
エルンスト・フォン・ドホナーニ(ピアノ)
アルバート・スポールディング(ヴァイオリン)
米REMINGTON R-199-84
1944年録音
ピアノのエルンスト・フォン・ドホナーニ(1877-1960)はオーストリア=ハン
ガリー帝国のポジョニュ(スロヴァキア語名:ブラティスラヴァ)生まれ。ブダ
ペスト音楽アカデミーを卒業後、1897年オイゲン・ダルベルト(1864-1932)の
レッスンを受けてピアニストとしてデビューした。ヨアヒムの招きでベルリン
高等音楽院で教鞭をとった(1905-1915)。その後祖国に戻り、ブダペスト・フィ
ルハーモニー管弦楽団の音楽監督をつとめた。その後アメリカに渡り定住した。
ヴァイオリンのアルバート・スポールディング(1888-1955)はシカゴ生まれ。
1906年にパリでデビュー。1922年にパリ音楽院管弦楽団初のアメリカ人独奏者
に迎えられた。その1年後同音楽院の卒業審査員に選ばれた。スポールディン
グはエジソンの円筒式レコードの時代から小品の録音を始め、縦振動のダイア
モンド・ディスクにも録音を残した。1930年代にはRCA VICTOR社の専属だった。
LP時代に米REMINGTONにブラームスとベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲、
ブラームスのヴァイオリン・ソナタ全集などを録音していた。
復刻にはWESTTREX 10Aカートリッジの復製モデル「クラング・クンスト10A]を
mono接続にし、コルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。