実は2018年から前向きなエンディグノートを描く様になったのでした。老後や引退は始まりだから、死ぬまでは楽しく生きなくてはいけない。「人生は死ぬ時が来るまでの暇つぶし」なのですから

あんなに一生懸命、仕事したり、子育てしたり、遊んだりもして、世の中に参加、貢献したのに、引退したり子育てを卒業すると自分を見失って自分に自信がもてなかったり、鬱になったり喪失感をもってしまうなんですごくもったいない。

私が、エンディグノートを書いている事を公表したら「まだ早い」「どうして」と言う人も多かったけど、やはりその行動は私にとっては必要な事だったんです。お陰で、全く迷いブレはありません。

うちの両親や主人の両親をみていて、老後が追従的である事、自分がイニシアチブを持ってではなくて、「私たち世代の老後はこんな物だから」と言う標準から外れないようにしているのでは?となんとなく感じていました。親世代は、戦争体験者でもあるので、生きて、平和で、ご飯が食べれて幸せだと言うのが正しい老後のようなまとまりを感じます。  

だけど、戦後生まれの私は世代も違って、同じ価値観だと老後は我慢できなくなくなるといと言う事が、性格上わかっていました。また、希望の老後、それは準備をしないとやって来ない事も分かっています。誰かが素晴らしい老後を与えてくれたりする訳では無いし、「〇〇やってみたら?」と人にアドバイスされても納得できません。

実はいろいろ本を読んだけど結果は「参考にならない!」でした。だって人から言われた事を素直に取り入れるには、経験しすぎたし、スキルもあるし、ある程度価値観が出来上がっているからです。伊集院さんの本も、「もう、やって来たよ今まで!」と思ってしまいました。


だけど、その人にとっての引退、老後なんだからその人がやりたい事をやらなくちゃ、絶対楽しく無いと思うのです。もっと早くに読めば良かったと思ったほんはこちらでした。
だけど、この本の内容も私は、かなり自分なりの方法ですが、やってきていたと思います。この本を読むなら30〜40歳のうちだと思うんです。すごく参考になります。自分のやりたい事を見つけるのは結構難しいんですよね。

例えば、私の友人が、「ヨッシーの京都生活が楽しそう」と言って影響されて、同じように京都にお家を買ったとしても、その人にとって楽しいのかといえば、それはNO なのです。大人は、人の真似をしたところで、また参考にしたところでも満足は得られないのです。

また、自分の計画を立てるだけではどうしようも無い流れがあります。両親の介護の時間やそれにかかるお金、子育てや孫育てる協力もしかりです。予測もなく拘束されてしまいます。それも世の中のお役目だからね❤︎うまくこなしましょう。

だけど私の老後と引退してからの人生はここにある!と言えるのは、大袈裟だけど何年も何年も悩んで、考えて、結論を出したものなんです。なので、スタートしてからは、今のところ後悔は何もありません。

「夢が叶って良かったね」ともうあなたの目標は達成したのですね的なお言葉をかけてくださる方もいたんです。その時、うまく話せなかったんですが、京都の家の完成は、プロセスであってって、ゴールではありませんでした。

私の老後は始まったばっかりです。やりたい事を書き出したり(つまらない事ですが)、京都でのルーティンを決めたり、新しい習慣や環境の中での生活を考えてたりしてます。それは、とてもイキイキ、ピカピカしています。今すぐ出来ること、少し未来にしたいこと、将来的にどの様な形にするかまで、私は計画的にビッチビチに決めて、できない事があっても、それはお愛嬌と思ってます。

私を知っている方は、ダメダメな、ゆるゆるな雰囲気滝汗の私なので思いつきで行動している様に思わることが多いんです。しかし、実はガッチリ計画的な犯行(言葉が間違ってるけど)を繰り返すのが私なんですニヒヒ家族はたびたび「やられた‼️」と思うらしいです(笑)

話が長くなりましたが、しっかり計画を自分の内なる声に従って、諦めずに綿密に立てることで、コロナ禍や親の介護がのしかかって来たとしても、それは揺らぐことなく次の扉が開く🚪と言う事が改めてわかったこの頃です。なんか、偉そうになりましたがすみませんです。今はそんなスタートラインですウシシ