何もかもわかった上で

限界迎えてる人多いんじゃないかなあ、と最近思う。

みんな疲れてしまってるのがわかる。ネガティブ

 

それが心からの活動であっても 

ただ他人に奉仕するだけでは自分に返ってこないのはわかってる、

で、どうすれば少しは返ってくるのかはわかっているんだけど 

そう簡単にはいかない。

理想と現実の隔たりは 果てしなく大きいのだ。

 

もちろん見返りは求めてませんよ?

大体、見えないだけでちゃんと返ってきてるはずだし。

でも こんなに疲れるということは 

やはり求めてるのかな?無気力

 

求めたっていいじゃないか にんげんだもの(みつを)お願い

 

 

好きなように生きればいいといわれるけど

だからといって好き勝手していいわけでもない、

 

行動だけでなく

感情面にまで注意を払わないといけないのがなんとも厄介だ

凝視 無気力 昇天 

 

⇒そんなに難しいならもういいわ、 というところかな?

 

 

 

あるスピリチュアリストに

長年の深刻な悩みについて相談したら


答えは自分の内側にあるんだから

自分で考えろと言われた。無気力

 

…それぞれの内側に正解はあるんだから第三者にはわからない、

それはわかってるんですよ。


でも それでは、

誰にも何の相談もするな、ということになる。

どんなに悩んでいても相談してはいけないの?凝視

 


それは逆に言えば、

他者に関心を向けるな、ということでもありますよね?

他者のために奉仕せよ、のスピリチュアル理念と矛盾してません?

 

 

こういう人が圧倒的に多いですよ。

簡単にいえば 不親切 というところですか。

 

 

たまに親切に答えてくれた人がいましたけどね

100人中 2,3人という割合でしょうか。

 

その答えが当たってるとか的外れとか そういうことではなく

相談に乗ってくれるという優しさに

こちらは癒されたりするんですけどね


 

なにかにつけて 感謝しましょう、感謝しましょう、と

感謝することを強要するスピリチュアリストは多い。

 

そういう人たちって

本当にわかってるんだろうか?

 

感謝の気持ちというものは

自然に湧き上がってくるものだということを

知らないんじゃないだろうか?

 

ところが その言葉を真に受けて 

凄く辛いときでも 無理やり感謝すると人が多いと聞く。

 

整体師の方が言うには

無理してありがとうなんていうもんじゃない、

そんなことするから病気になるんだ、と。

 

考えてみれば 私も少し無理してきたのかもしれない。

誰かに感謝されることなんかなかったのに

人には感謝ばかりして。

 

綺麗ごとはやめよう。