これは夢の中。
炒飯の山。
掘っても、掘っても、炒飯の山。
自分自身…、もぐらみたいに、炒飯の山を掘って行く。
シャベルで掘って行く。
炒飯なのだ。食べられるんだ。
此処は、炒飯の山。小さい店の炒飯の山。

一寸前に読んだ本~の中で(テレビのバラエテイ番組の話だったかも?)
幸福感は「期待値が大きいと得にくい」というもので、
その『幸福創造研究所』では、
あまり「上も見ない」だけど「下も見ない」という。
現状を維持~。
そのまま、今の「飲み食い」だけを…『幸福』と感じる方向づけで、
「現状の生活」に「感謝」して、「大きい期待値持たない」人の方が、
「幸福感」を感じるらしい。  

以上、「夢」だか「現実」か、判らないはなし。夢の中で、
『幸福感』を考えてみた。

今やっている、朝ドラの「出版社」みたいな?仕事を、
20代の時にしたかった…。
自分自身の入ったのは、「業界新聞」だったので、
「地域雑誌」からは、程遠い…。
もっとも「業界新聞」だから、良かったかも?知れないが、
自分自身の20歳くらいの「夢?」は、
「庶民」の暮らしの「生活工夫雑誌」というか、
「松下幸之助」さんの「PHP」みたいな?「雑誌」とか?
とにかく~
「朝ドラ」の「あなたの暮らし」みたいな?雑誌、
良いなって?思った…。
まだ、夢もってもいいかな?
たいして能力のない自分自身でも?
なんか出きる?かな。
新聞なら「タブロイド版」の週刊紙。
又はPHPみたいな?「手の中雑誌」がいい。
「暮らしの手帖」ならぬ「暮らしのアイデア本」
自分自身でも?書き込み出来て、
読者からも「投書」出きる「雑誌」。
読者の「購読料」だけでやっていければいいかな?
(広告とると「公平制」が無いからね)
そういう雑誌を編集してみたい。
そういう仕事をしてみたい。

ものの本によると、
60歳代は、20歳代の時の「夢」を実現出きるとか…?
まだ、まだ、此れからおとずれる?
60歳代に夢もってもいいかな?
But.  
夢?持ったら…「期待値ゼロ」の生活じゃない。
「期待値ゼロ」が「幸福感」産むって、
若いときに、
「大きい夢」持てと、昔の人は言われていたけど、
「大きい夢」に破れると、「幸福感」も失われ~?
それこそ、
「死ぬ前」に「ワタシの人生はたいしたもんじゃなかった」
とか言うことになる。

「幸福創造研究所」の出す…、
「暮らしのアイデア本」は、
  必要最低限のアイデア本に徹しなければいけません…。
 朝ドラのヒロインは“豊かな暮らし”を目指す方向だった。
 豊かな暮らしになったよね、現段階…。
 ほんとうに、豊かな暮らしは、
 全ての人たちが、
 幸せな生活感を感じる方向づけで、無いとね。
 でも、全ての人たちが幸せな生活環境へ持ってく…って、
 けっこう大変。
 大変なことにチャレンジするのも、
 “幸せな生活”への一歩かも?

夢の中というものは、
物語りではなく、
「現実」の生活と思った…。
人間は、人生ほとんど寝ているのではないか。
ならば、夢の中も、豊かな暮らしでないといけません…。
夢を見るのも、「脳」の一部の行為。
脳の活動も、夢の現れ。
夢は人間の活動の一部。
ならば、夢も豊かな暮らしでないといけません…。