激しい音楽に心奪われていくには、

それなりの理由があったのかもしれない。






この頃(中2頃)は、完全に反抗期に入り、

日々、憤りと怒りが渦巻いていた。






とにかく両親に対する反発心が大きかった。




僕が「絶対に親が間違っている!」と思う事があっても、

テストの点や、お前が子供だからということだけで、

僕が間違っていると判断され、何事も処理されるのが許せなかった。




今までは何も考えず、「いい成績をとる事」「先生に褒められる事」が

一子供として「正しい事」だったが、




だんだん


「この親に褒められる事が、すべて正しい事とは思えない」


と思うようになり、




では自分の行動、すべき事として「正しい事」とは何なのか。


わからなくなっていった。







学校や、先生自体に対しての反抗はあまり無かったのだが、


教師に媚びへつらうような同級生に嫌悪感を感じるようになり、


その反発から、先生にも素直な態度をとらなくなった。




僕が何が正しい事なのか悩みだした頃に、

迷いなく「先生に褒められるため」という事だけで行動しているかのような輩が
好きになれなかった。


まーいわいる世渡り上手に見えた。







大人に褒められるからする、怒られるからしない。







それでいいのか?






それが正解なのか?






あれが、俺たちの模範的な生き方なのか?








自分の意思はどうなってるんだ?









「世の中が僕の思いどおりになんてなるわけがない」




なーんて、幼少の頃思っていた子とは思えない考えだ。








皆が、小さい頃からあがきにあがき、

ある程度大人のご機嫌とっていい子でいないと、

わがままは通らない、ご褒美はもらえない事を学んだのだとしたら、

僕は全くあがかなかった事で、ご褒美のために器用に生きていく事を

学べなかったのだろうか。

これは今でも感じる事だ。








とにかく自我が全く無い、と思われた幼少の頃の僕だったが、

様々な不自由により、自我が急成長する。






さらに転校のせいか、学校でもなんとなくアウトローな立ち位置にいて、

子供らしく「自分が自分が!」と、はしゃげず(これは生まれつきかも)、

はしゃいでる皆を外から眺めるようなところもあった。




多感な時に湧き出るエネルギーを、

思い切り吐き出す場所がなかったのかもしれない。







激しい音楽には、それらを全部なぎ倒してくれるような、パワーがあった。


そして、ポピュラーで誰もが聞いている音楽ではない、というのも重要な要素だったように思う。






そして新発田と付き合うようになって、タバコも吸い出した。

当然おいしいわけではない。

してはいけない事をしている、というスリル。

大多数がしていない事をしている、という優越感。

そんなところだ。




そしてそして、標準じゃないズボンも購入。。






両親への反発、激しい音楽、悪友、いろんな条件が重なり、

だんだん攻撃的な性格になっていった。








ある日、ヤンキーグループの一人と喧嘩をした。





ヤンキー連中は大手を振って、皆をどかせながら歩くようなところがあった。

細かく思い出せないが、ある一人が、


いつものように横柄な態度をとってきた事に、

僕は下を向かずに、向かい合った。




昔のヤンキー漫画のようなやり取りの後、つかみ合いになり、

ボカスカ殴り合いになった。


そして背の高い僕は奴のむなぐらをつかみ、壁に押し付け吊り上げた。






「あやまれ」








ヤンキーは謝った。






結構な人だかりができていた。

他のヤンキー連中も見ていた。





アドレナリンが出る、というのか、頭に血が上るというのか、

いつもの自分ではないような、


神経が研ぎ澄まされるような感覚があった。






敵に立ち向かい、制圧したという快感があった。






小学校の時、友達と喧嘩してその後仲良くなった、というのとは

まったく違う感覚だ。





小学校入学時、みんなに馴染めるか不安でいっぱいだった僕は、


皆と同じように行動するのを嫌うようになった。







そしてだんだん、よい生徒とはいえなくなっていった。