オクヤンの影響で、どんどん「音楽」にのめりこんでゆく。

と同時に、親とぶつかる事も多くなり、完全に反抗期へと入っていった。



特に父親に対する反抗が多かった。

父は、意味のわからないところで頑固になる。



これは小学校の時か。
家族3人で車で出かけるというとき。


母が運転席、僕が助手席に乗って父を待っていると、
後から来た父が、


父「隆志。後ろに乗れ。」


僕「いいじゃん、めんどくさい。父さん後ろにのんなよ」


父「だめだ。はやく降りろ!」


僕「うるせーなー・・○×▽」


みたいなやり取りが、何度もあった記憶がある。


くだらねー所にこだわりやがって!!!
という、僕のいらつきが、いつも僕を前へ座らせた。

こうやって「くだらないところにこだわる」という性格は遺伝していくのだ。



父は家のトイレで、いつもドアを開けっ放しで用をたしていた。
見つけるたびに僕が文句を言ったが、全く直そうとしなかった。



やる事なすこと全てが気に入らなくなっていった。


こんなに転校させられるのも、親父のせいなのだ。



父母間も喧嘩が絶えず、母が3日程出て行ったことがあった。


父に「母さんは?」


と聞いても、


父「知らん」


「・・・・(無言)」



このころから、父とはほとんど口を利かなくなった。






学校での僕は、大人びてる、とよく言われた。


いわゆる不良ではなかったが、どこかしらけているような、

ひょうひょうとした雰囲気だったようだ。
皆に比べ、冷めていた。


転校のせいか、一歩引いて物を見るようなところがあったように思う。



先生も扱い方が難しかったようだ。


「お前ほんとに中学生か?」と、よく言われた。




2年の担任の倉持先生(実名)は、厳しめの先生だったが、

ギターが趣味で、教室にはアコースティックギターが置いてあり、
たまに皆に弾き語りを披露した。


その頃にしても、僕ら世代は誰も知らないような、

古臭いフォークソングのような歌を歌っていたが、

倉持先生が歌うといつも大盛り上がりだった記憶がある。



美術の時間か何かに、僕は一人美術室から抜け出して、

誰もいない教室に戻り、先生のギターのケースを開け、触ってみた事があった。


全然弾き方はわからない・・・が、



ぼーん、、と鳴らしてみる。




ほ~う・・・





すると・・運悪く、倉持先生が教室に戻ってきて、



「おい!!お前何ヤッテンダコラァ!!!」



「ヤベッ・・」



「さっさと美術室もどれー!!」



「あーい・・」




と、美術室に戻った。




倉持先生はクラスの全員と、たしか簡単な交換日記のような物をしていて、
一言ずつなのだが、毎日やり取りをしていた。


その日だったか、先生からのコメントが、



「ギターに興味があるの?」



と書いてあった。





僕「いえ、別に。」





素直じゃない年頃である。