「仁義なき戦い」と言えば

ノンフィクションドラマの有名なタイトルですが、

そもそも「仁義」とは?

仁と義。

人が踏み行うべき道、という意味。

 

人と人とのつながりおいては大事な考えなのかなと。

 

でも、いままでに世の中に表現されている

「仁義」のイメージでいえば

少し過激で恐怖な感じもします。

まあ、ドラマでも、ある種の世界だけの話みたいな。。

 

そもそも根底は「愛」の表現のひとつかもしれないけれど

その受け皿の枠が狭かったり、その枠(信念)に反している者は

悪だという考えがある、という意味では果たしてどうなのか?

違う見方をすれば、「正義」を生み出すことで同時に

「悪」を生み出している、ということ。

「正義」は一見、ポジティブなイメージがしてしまいますが。。。

それももう古いかと。

 

時代関係なく、普遍的に「愛」は「愛」を生むだけ

「愛」は「悪」を否定せず、「悪」と戦わずに

ただ優しく包み込んで「悪」を「愛」に戻せる。

勝ち負けではないけれど、戦わずして勝つ。

 

「影、陰」はただ在る。だから、ただ「光、陽」が当たれば

光の面積が増して影の面積が減るだけの話。

 

「愛」のエネルギーを増すだけ。

そこに意識を集中すればいい。

しかも、自分自身の内側の愛と光だけに。

それが人に伝わっていくだけだから。

シンプルです。

『はじまりは自分(内側)から』

 

もう、「仁義」という表現自体がいまの時代に合っていないということ、

そこまでの過激で強烈なバリバリの男性性のエネルギーが

不一致不要な次元世界。

優しさと思いやり、安心と安全を生む女性性を増やすとき。

 

なので今回、マヌー流のコトバ遊びでは

「仁義」を「神器」に変えました。

 

「神器」といえば、『三種の神器』

          鏡、剣、玉

 

電化製品でいえば、テレビ、洗濯機、冷蔵庫(笑)

    これを、なつかしい(;'∀')というと、世代バレ(笑)

 

 

「じんぎ」はない、要らない

ではなくて

「じんぎ」はある、要る

 

ただ、これからの時代は

「仁義」ではなく「神器」

 

 

マヌー流では新たな時代に向けての

「心の神器」を設置しました。

 

それは

3スの神器』

・スローダウン

・ステップバック

・スルー

 

 

・スローダウン/ゆっくり慌てないこと

 冷静に自分軸でいること、自分の心の声(本音)をきくこと

・ステップバック/一歩下がること

 考え過ぎないこと、やり過ぎないこと、言い過ぎないこと

・スルー/通すこと、流すこと

 真に受けないこと、自分は自分の意識でいること

 

人生の引掛け問題に注意です。

 

いずれにしても、この神器をつくる、ひろげるためには

自分自身の『シンプル化』がいま一番必要なことです。

答えを外に求めるのではなくて、内側の答えに気づけるように

それを遮っているものをリリースすることです。

 

逆に余計なものを省く(はぶく)

自分自身に反するもの(そぐわないもの)をリリースする。

「反省」のもうひとつの意味は

この、いまの自分自身に「反するものを省く」ということ!

省く意識と省くチカラ、それだけです。

 

足すより引く時代

別な表現でいえば、余計で不要なマインドをマイナスする、

はい、『マイナス思考』ですw 

でも、 ポジティブですw

なので、『マイナス思考』大歓迎ですw

マイナスでも『何が?』という主語や趣旨を

きちんとわかっていないといけません。

この例で言うように、表現というのは

どの角度からどう使うか?です。

それによって、ポジにもネガでも変わります。

 

 

そして、「3スの神器」をバランスよく活用していけば!

 

『3スの神気(エネルギー)』

・アクセス

・プロセス

・サクセス

という流れが出来ていきます。

 

その神の気(エネルギー)に至るには

先ず!そうなるという自分と自分との約束、

つまり、プロミスも大事です。

 

そのエネルギーを生むためには

具体的なアクション、実践が大事であり、

プレミス(構造、設置、実践の場)

も必要になってきます。

 

なので、全般の流れでいえば、これからの時代は

『5スの神器』をつくり、磨くことなります。

 

アナタの神器は誰にも作れません、使えません。

アナタだけのオリジナルのものです。

そういうものだけど、

自分自身の神器を壊したり、傷つけたり、

磨かなかったり、ひろげようとしなかったり、

人の神器を奪ったり、批判したり、ときには

自分の神器が立派なものだとごまかしたりします。

 

そう、そういう意識では受け皿、器がせまい、です。

というか、そういう器は割れやすいんです。

 

まあ、割れてしまってから「

我にかえるときもありますが。。(;'∀')

 

それでもいいんです。それを受け入れて許して

また新しい器をつくればいいんです!

割れたら終わりではないことを忘れないでください!!

 

ただ、自分自身とも戦わず

器をつくろう!なおそう!ひろげよう!

という意志と実践さえあればいいんです。

 

自分の器を卑下するヒマがあるのなら

立派な器につくり直せばいいんです。

心の職人になればいいんです!

 

と、器がせまい自分自身に

自戒の意味を込めて言ってみました(;^ω^)

ちゃんちゃん(;'∀')