就活を経て学んだことは、結局のところ、


今自分がどういう人間なのか


それは全て自分次第であって、そればっかりは例えどのような影響があっても、

結局のところ自分がどう考えるか、どう思うかのみによって決まるんだという事。


どんなに優れた人でも、きっと他人を心の底から変える事は絶対にできない。

影響を与える事は出来ても、結局本当に“変える”事ができるのは、

自分自身がそう“決断”し“捉える”からなんだという事。


現在と過去をどうすべきかの片鱗を掴んでから、一か月。


今僕は未来と向き合はなくちゃいけない。

向き合いたい。


きっと本質は似ていて、結局未来も自分が

“考え”て“決断”し“行動する”からこそ未来が決まるんだと思った。


ただ待っているだけの毎日が変わるのは漫画の世界だけなんだ。


22年間という短い間だけど、待ってて世界は変わらなかった。

マンガみたいにある日突然、世界を救う出来ごとに巻き込まれることも、

ハチャメチャにかわいい女の子が空から降ってくることも、何もなかった。


自分から動いたのならば、そんな未来が訪れるのかと言われるならば、

きっとそんなことは起こらない。


悲しいけど、きっとそうだ。



僕は今、社会人に対しての質問で誰も真剣に

“夢”について答えてくれなかった事を思い出す。


そんな大人が、社会人が、とても格好悪いと感じた。

こんなやつらが大人かよ、と真剣に感じた。


でも、大学に入りたての18の僕はきっと言う。

「22歳の大学4年生にもなって、夢や目標をもって無いのかよ。」


そして感じる。

そんな大人が、とても格好悪いと。

こんなやつらが大人かよと真剣に。


そんな事が悲しすぎて、でもきっと気づけたことがとても大切で、

結局近場の“社会人”を捕まえて、夢もってねーのかよって考える事は、

きっと自分にもはねかえってこなきゃいけないんだ。



これから先漫画やアニメの様なヒーローにはなれないけど、

昔の自分から、

こいつは格好悪いなとか、

こんな大人ばかりだから日本に元気が無いんだとか、

結局格好いい大人なんていないんだなとか、

そんな風に思われないように、自分を作って行かなくてはいけないなと、非常に強く感じる。


そのためにこそ、

“考え”て“決断”し“行動”して、未来を作って行きたいなと真剣に考える。


今現在自分に必要なものは何かが明確に分かっているのに、それを実行できないのはただただ自分の弱さでしかない事すらとっくに分かっているのに、それを改善できない自分がどれだけ愚かか計り知れない。

僕は今までの人生、かなり楽をしてきただろう。

というか、楽をしながらの自分でもなかなかの成果を残せた来たために、僕自身、甘えきって来たんだろう。

色々考える事もあるが、つまるところどうやったら自分の弱い性根は叩き直せるのだろうか。それは決意なのか出会いなのか別れなのか自分なのか他人なのか…それに関しては詳しくは分からないが、はっきりとしているのは必ず自分が変わらなきゃいけないということ。

進め。

自らの自立と継続に。

さてさて、昨日放り投げた映画たちについて真剣に考えてみますかね。


「サマー・ウォーズ」


一番最初に抱いた感想は“ウォー”じゃなくて“ウォーズ”なんだから誰かにとってだけの戦争なんじゃなくて、あくまで登場人物一人一人に対する皆の戦いなんだろうなと漠然と感じました。


実際主要キャラであるなつき先輩の親戚の人数もさることながら、結局OZという今よりももっと発展して、より現実世界と密接に繋がりを持ち始めた仮想空間を巻き込んでいく話ではあったので、確かにそんな感じだなぁとも感じました。


ただ、人がおおすぎる!でもその中で掘り下げきれなさはあったものの、大体の人に特徴があって、それを一回の鑑賞で把握できたのはさすがと言わざるをえないっす><


“ヴィジュアル”


なんか昔好きだったデジモンの劇場版の作風に非常に似てました。


でも、あーゆう映画特有の、より現実と乖離した様な世界を描く絵と、エヴァの貞元さんの儚さと繊細さのある絵みたいのは不思議とマッチしていたし、なんかデジモンの映画を観た時の言いようもない違和感は感じ無かったし、全然嫌いじゃなかったです。


でも、これはアニメのほとんどに言える様な事なんですが、どうしてもアニメだと“繊細さ”みたいなタッチは損なわれるなぁと感じました。元々の貞元さんの絵もそうだし漫画とか、絵からは本当に繊細さや広い意味での迫力って言うものが伝わってきて、上手く言えないけど僕はこれが好きなんですが、やっぱり大量生産しないと動かないアニメーションだと大変なんだろうなぁ。


その点ジブリの作品は本当に書き込みみたいなものが細かくて凄いなぁと感じます。


まぁ結論としては、なつき先輩結婚してくだs・・・



“ストーリー”


昔ながらの【人と人との繋がり】みたいなものをメインテーマに扱っていて、それに関して受け取り方は個々人でどうあれ、非常に分かりやすく、このテーマを見つける事が容易であり、伝えるという事に関して、非常に優れた作品だと感じました。



最近は自分自身でも考えているんですが、人に伝えるた/届けるためにはやっぱり“シンプルさ”が非常に重要で、死ぬほど複雑な事をいかにして単純明快に伝えるかという事が非常に大事なんではないかと考えていて、その点に関してはこの作品に関してはまったくもって文句なしの出来栄えであって、多くの人にそのメッセージを届ける事が出来たのではと正直に感じました。



反面自分の中で感じたのは、作品としてのリアリティーというか、「そんな簡単にそんな風になんねーだろ」とか「いやいや、お前はいつそいつの事を認めたんだよ」とか、もうホントに言い出したらキリがないくらい、人の複雑さとか、世の中の難しさみたいなものはほったらかしだったなぁという事でした。



メインテーマはそういう事じゃないし、1.5~2時間という限られた時間のなかでそんなことを描いてる尺はねぇ!!って言う事は非常によくわかるんですが、心の機微といいますか、なんかそういう部分が無さ過ぎて、最終的になつき先輩が主人公の事を好きになるのも決定打を欠いている気がして、どうにも腑に落ちないというか良く分からなかった。



この点に関して非常に思うところがあって、前回のブログにも書きましたが、この映画は映画としてメインテーマを単純明快に多くの人に伝える、そういった形で世間に大きく影響を与え、かつ映画としても資金的な部分で非常に成功しているという事が出来ている。しかしそこに物語の深みというか、ある意味での納得みたいなものが損なわれていたきがした。



それを一概に悪いとは言えないが、


想いを伝える=シンプル化=繊細さ、深みの欠如(もちろん無いわけでなく、少ないと感じた)


っていう図式の一つの結果みたいになってしまっている気がして、しかもそれが非常に評価されている側面を見て、もちろんメインテーマを伝えるわかりやすく、親しみやすい作品だと考えて観ている人もいるだろうが、それ以外の多くの人にとってこれってなんなんだろうかと。



でも、これが今の日本の主流であるエンターテイメントの形であって、一部の人々が求める様な細かさってのは世の中にそれほど必要とされてなくて、わかりやすさのために合わせられたものがエンターテイメントなのかもしれないなと感じました。



もちろんこのサマーウォーズという作品が本当は驚くほど細部の細部までこだわられていて、その上で不必要なものをそぎ落とした帰着として、今の形になったのかもしれないのですが、僕にはそれが届かなかった。



この想いはどこかにぶつけて、誰かに話をききたいなぁとも思うんですが、どうすりゃいいんですかね。



まぁ、なんかめちゃくちゃ長くつらつらと書きましたが、あくまで僕はこの映画がとても好きです。


しいて中二病患者である僕から言わせてもらえば、ラストとかもっと主人公のケンジが活躍して、なつき先輩を、世界をカッチョヨク救ってほしかったな。


結局そういう観点からみれば、やっぱりこの映画が好きなんです。



なにはともあれ、自分自身もケンジのようにヒーローになりたいものです。


珍しく書いた日記が長くなりすぎたので、今日はここまで。


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