大阪IBD設立させた、中司正人です。

かといって、なにか、いまさらに、患者会への影の力がほしいわけでなく、存在させた人間で、あるという意義を、インターネットの中で、発言するだけに、する。なぜかというと、もう、大阪に住んでない布谷くんに、バトンを、渡したからである。


 しかしながら、大阪IBDや、大阪難病連や、ソーシャルハウスさかいなど、患者会のかかわりや、その努力があったことには、嘘はない。


現在は、隠居ぐらしで、難病施策など、貧困的裁量は、どうも、時代背景に、連なることなので、仕方がないようだ。

 かとて、難病患者で、あっても、生活困窮や、心の病との複合的生活困窮事態に、当たっては、どうも、相談行くところがなく、こころの問題は、精神障害者の問題提起としてのかかわりをしてくださいというのが、大阪IBDの情けないところである。


 難病者のかかわりにおいて、すべての困難に、立ち向かうスタンスが、ないときに、私は、どうすればいいの? と、右往左往する状況は、果たして、しかながないことなのか?それとも、それぐらい 考えの基で、頭の中にいれとけ!! と、批判されることなのか?


 それらのことは、もう、すでに、無意味として 大阪IBDより、離脱してるのかもしれない。


 そんなときに、病気療養中と、いう カテゴリーに、存在意義を、見出すことで、難病だの 身体障害者だの 精神障害だの 個々に、別々の見解として  別々の道をいく存在意識でなく それらも、共同的な見解で、みても、いいのではないか? という見識から、私は、病気療養中のインターネット会などと、さりげなく 活動すべきではないかと 考えている。


 なにか、そこに、不具合があっても、どこかに 拾う神ありということで、いこうかと 思いまして


生き甲斐って、反骨精神から、芽生えるのか?

はたまた、自分自身が、存在を、そこに 見出したいのか? 様々な論点は、あろうとも、そこに、生きる道を、見出せば そこで、主張していくのが、中司正人で、あるのかもしれない。


 半分、隠居生活おばしておりますが、社会経験は、それなりであり、困ったときのアドバイス等で、あれば、すんなりできますので、かしこまらず、気楽に、メール下さい。


 そして、困ってる人を、見逃さない存在であるあなたが、私にとって一番うれしい存在であることは、忘れないでほしい。


 心のリングが、人と人の繋がりであり、それが、強固であるか、ないから、常に心がけと背中合わせである。強固でないく、軽薄なときも、ある得るのである。それは、いつも、自分を、社会の鏡に映して そして、我が身を、見直す姿勢が、必要であることを、これからのいきる導(しるべ)として、自分が、人のために、本当になってるのかと、どうせればいいのだろ? それを、心に詰め込んでいれば、精神をして、君臨しても、よかろうとば、おもうのであろう。


 たんたんと、書いてきましたが、苦難であることは、否(いな)めない

苦難であっても、仲間が、いるという。勇気付ける人が私の宝である。