☆後付日記☆ 前回の記事 お別れ会までの3日間①


悲しくて、苦しくて、辛かった……


なんで苦しいのか。

癌の旦那が、裏切るわけはないと
思い込んでいたから


そして、ひとつひとつ
答合わせをしていく中で、
私のひとつの違和感の答に
すぐに辿り着いた

私の父が、3年半前に亡くなりました

旦那は介護の男手として
参加してくれました。
父も旦那が大好きでした


そんな旦那でしたが……

真夏のある日、
父が危篤状態で深夜に施設から
病院へ緊急搬送となり、
いつ呼吸停止してもおかしくない 
状態になっていました。

そんな時に、
旦那から言われたことは、
翌々日に、友人の家で作業をすると
約束したから徹夜になると。

それは変更出来ないの?

無理。


あんなに面倒看てきた父よりも
友人をとるの?
普通、予定を変更するのでは?
どうして無理なのか……?

違和感の塊に、なっていた

父は大丈夫だから。
と言って、予定通りに
午後少し遅い時間から出掛けて行きました


案の定、時計の日付が変わる頃
病院から電話が入って

メールを入れたら、

わかった。
明日、早めに帰る。

だった……


なんで?
今から帰るのでは無いの?

凄く、違和感とともに
不信感をもっていました

女の勘は凄いですね
違和感は合っていた……と、言うこと


父には、
旦那は仕事で今日は帰って来れないの、
もう一日頑張って!と励ましていました

父は、
本当に一日待ってくれました

そんな父をも、裏切っていた

ここが一致したときに 

絶対に許せない!
が生まれてしまいました
 
この事だけは、
今でも消化出来ていません。

過去の事と、
受け止められているのかどうか……
考えると胸がザワザワします

人として、
世話になった人よりも、
それも身内なのに
自分の欲望を優先させた事は、
大丈夫だったじゃ~ん!
では納得出来ない気持ち。
結果オーライではないと思っています



思い返せば……

抗がん剤をしなくても
足踏みしていた癌の進行が始まったのも
この少し前からでした。

父の面倒を看てくれる為に
癌が足踏みしてくれていた… 

旦那自身の行いで
癌が動き出した

自業自得だと思いました。

後から先生に聞いた話、
この段階で余名半年の診断
だったそうです



女からの
電話とメールは、
さらに加速していきました

そして、
病院を突き止め連絡したらしく
その方は入院しておりません。
と言われたとラインに届いきました。


いよいよ
旦那が言った通りに
訪ねてきてご対面になるのか、
旦那の仕事先に連絡をして、 
お別れ会に来たらどうしよう……

なんて考えながら

私は、辛い、悲しみに許せないを
加えて心を凍らせて、
更に苦しみを増強していました