2000年から2006年まで中国の寧波と張家港に滞在記憶をたどりながらもう一度中国での生活を残しておきたいと思った
このユースを見て唖然。自分の立場をわきまえることができないなんて情けない<独自>自民党青年局近畿ブロック会議後の会合で過激ダンスショー 口移しでチップ渡す姿も 費用は党が支出近畿の自民党若手議員らが参加した昨年11月の会合で、主管した党和歌山県連が下着と見まがうような露出の多い衣装をまとった複数の女性ダンサーを会場に招いていたこと…www.sankei.com
今日は竹島の日韓国によって不法占拠されている竹島。「2月22日」は、1905年(明治38年)の閣議決定に基づき、竹島を島根県隠岐島司の所管とする旨を島根県知事が公示した日であり、島根県告示から119年目です。昭和27年一方的に韓国が国際法を無視して李承晩ラインを線引きし、日本漁船を無警告で銃撃したり漁船を拿捕し拿捕されたとき連れて行かれた漁民を人質のようにして卑怯なやり方で日韓国交回復で日本の譲歩を迫るなどし今に至る。当時の日本には国軍も自衛隊もなく丸裸の状態。今の韓国と竹島のことを解決するには今のていたらくな日本政府と日本を敵国としてみなす韓国との話し合いはまず無理。憲法9条がある限り手が出せず、取り戻せない。でも国民が無関心ではなぁ…
今日の最高裁大法廷での決定もうなんか日本が壊れて行ってる。子供たちや孫達その後の世代はどのような日本で暮らしているのだろうかそれとも日本は粉々に壊れて外国のものになっているのか。毎日毎日嫌なニュースが流れ、日本を貶めるマスゴミ。民主党政権時に味わった苦悩をさらに上回る苦悩と苦痛。
2004年から書き始めた楽天ブログでしたが、写真サイトが消えてなくなり再び古いアルバムを出して再生してきたこのブログ。中国から引き揚げ次は新しい土地タイへと希望に膨らんでいましたが、2006年の12月に主人の食道がんが見つかり翌年1月に手術となり、タイへの赴任はあきらめることになりました。そうこうするうち義母があっけなくなくなったり、主人の手術も開腹手術から内視鏡手術に変わったり、目まぐるしい2007年でした。また続きはそのうちに書きたいと思います。
今年もいろんなお友達に出会えてよい年でした。そして楽しくブログを続けることができました。ありがとうごさいました。m(__)m来年は今年と違ったことがあるかもしれないけれど、それはそれでまた良しとしよう。さてさて、ところで来年は私の干支でござりまする。そうなんですよ~~、元に戻っちゃうのでござりまするのよ。って、この間年を取ったばかりなのに・・・はぁ~・・・・今年も楽しい年をありがとうそして来年も皆様と楽しくお付き合いさせていただけたらと思います。来年もまた どうぞよろしく。m(__)mupdated 2006.12.31 19:22:50
こんな急な階段を上った。途中には女性33の厄、男性42の厄、還暦60の厄のそれぞれの数の階段もあった。上り詰めるとそこはここ 紀三井寺もちろんちゃんとお参りしてきましたよ。裏道を通って下りた。お墓におまいりの人だろうか、大きな花束を抱え太っちょ犬をお供に上る人。裏道が終わるところには裏門がずいぶん古いようだ。古いけれど手の込んだ彫刻があちこちに施されていた。
今朝は冷えましたね。日本中冬将軍に覆われたようで、あちこちで雪の話題がいっぱい。和歌山でもそう。昨日あられがちらついたけれど、今日はもっと激しく降り、初雪になったのかな。午後から義母さんをドライブに誘い出し、主人の運転で和歌山市内を走り回った。上の写真はそのとき降った雪。車に降ってきた雪がしばらく解けなかった。義母さんは車に乗ると疲れるのじゃないかと、乗る前から不安になり乗るのを恐れているよう。(乗ったら乗ったで大丈夫なんだけど・・・)それで、こちらに来てからは半ば強引にドライブに誘って乗せている。最近は少し自信がついたみたいで、今度はどこどこに行ってみたいと前向きになってきた。updated 2006.12.29 19:13:25
久しぶり主人と散歩をした。それも2時間半。実家をを出て海南市黒江の町並みを見てマリーナシティのそばの海岸を歩き、スーパーで買い物をして帰った。10キロは歩いたのではと主人が言う。その軌跡を写真で・・・下の3枚の写真を見て何か感じることがありますか?ここは和歌山県海南市黒江というところ。紀州漆器の産地として知られているようです。この町並みは車が入れないような細いところもあり、昔ながらの家々が並んでいるところも。そのころの名残で家の建て方が道路に正面を向いていなくて斜めになっています。家の前の広い部分には漆器などの荷物を運ぶための大八車を置いていたとか。これは黒江の特徴だと義母さんが言っていた。その辺をぐるりと回っていくと、市場に出た。お年寄りが多く、歩いている私たちは若い方。このようは光景を見ていると中国での生活を思い出したりして・・・懐かしい看板にも そしてマリーナシティ近くの海へ行くとものすごい風で、海がしけてまるで台風のよう。その中をウィンドサーフィンをする人が・・・写真の向こうは昔の一大観光地「和歌浦」。海辺を歩くと強い風に乗ってきた砂が頬に当たり痛かった。和歌山の実家に初めて来たのが40年ほど前。それなのに歩いて10分もしないご近所のこの海に初めて来たわたし。updated 2006.12.28 19:38:37
今日、義母さんとだんなさんと3人でお寺へお墓参りに行った。そのお寺にはニャンコが住み着いているようだ。本堂の脇のお堂で日向ぼこするニャンコ様pdated 2006.12.27 20:52:21
今日はいろいろとあって、ちょっとお疲れです。なのでお休み。updated 2006.12.26 20:27:47
飛行機の出発時間までたっぷり余裕があったけれど、母のデイケア出発のため早めに実家を出た。こんなときに限ってバスも電車もすいすいといって3時間以上も飛行場で待った。ひまだぁ。やっと飛行機に乗れた。少しかすんでいるけれど下界が見える。おぉ!! 富士山も姿を現した。クリスマスプレゼントサービスupdated 2006.12.25 19:22:06
お気持ちだけね。updated 2006.12.24 19:24:19
今日は朝から母を美容院に連れて行った。10月に来たとき以来なので、髪の毛も伸びパーマも落ちている。母がパーマをかけている間、母の生活で足りないものを息子と買い物に。母を迎えに行き、実家に戻り娘たちが来るのを待つ。横浜の実家に来ると、関東に住んでいる3人の子供たちが必ず会いに来てくれる。(本当は親のほうが子供の家を回るのだろうけれど・・・)孫たちが玄関を入ってくると、お決まりのハグ。今まで私にされるままになっていた5年生の孫1号くんがハグをしてくれた!!!2号くんも3号くんも素直にハグされる。このときは至福のひと時だ。夕食を皆で食べ、ケーキも食べて(美味しかったぁ!)、長女一家と孫たちは帰っていった。そして次女夫婦も息子も帰り、また母と二人の静かな家になった。updated 2006.12.23 23:47:56
朝和歌山を出て、お昼に横浜の実家に着いた。ちょうど訪問看護婦さんもこられていて、最近の母の様子を少し聞くことができた。83歳になる母だが、いまだにおしゃれを忘れない。そのおしゃれ心がデイケアへ行くときに難になるようだ。デイケアに行くのにストッキングをはき、ガードルをし、スカートに履き替える。(お出かけだから)「今日はまだお化粧をしてないわ」とすでに済んだお化粧を洗い流し、はじめからやりなおす。(でもデイケアでは体操したりお風呂に入るのでそんな洋服では困るらしい)お迎えの時間が過ぎるのもお構いなしのようだ。ほかの方に迷惑をかけていることもわからない。用意に来てくれるヘルパーさんもイライラされるようだ。母は骨粗鬆なのか背骨が曲がり、体つきが変形している。今まで来ていた服も少しきつくなったり、脱ぎ着が大変なものもあるようだ。なので脱ぎ着しやすい服を用意してくださいと訪問看護婦さんから言われた。そして、自宅での一人暮らしがいつまでできるのかわからないけれど、とにかくできるところまでがんばりましょうと言っていただいた。いつまで自宅で一人で過ごせるか難しいところだが、行けるところまで行くしかない。主人は今日医大に行き再々検査。やはり間違いなさそうで1月18日手術とのこと (食道がん)updated 2006.12.22 21:06:15
今日は義母さんのかねてよりのご希望のパーマに連れて行ってあげた。そこはニャンコが3匹いるところ。義母さんのパーマの間、待っている私はすることが無かったので、もちろんニャンコと戯れました。といってもかまってもらえなかったので、無理やり抱っこしたり、写真を撮ったり。こんなポーズ あたし耳が無いわけじゃないのよ、折れてるの!!(後1匹は撮らせてくれなかった)ちょっとお手でもしてみようかな???どう?私の肉球 すてきでしょ?かわいかったんだけど、帰ってきたらセーター・スカート・タイツに毛がいっぱいついていた。****今回和歌山に来てこれで今年の移動は終わりだと思っていたのだけど・・・・呼び出しがあり、明日から横浜の実家へ行ってきます。呼び出しといっても悪い知らせではないのです。ちょっとした日常生活の用事です。updated 2006.12.21 19:13:39
竹の椅子にお座りになったシクラメン様昨日お友達からかわいらしい箱にいろんなものが詰まったプレゼントが届いた。その中でも一番先に手が触れて開けたのがこれだった。かわいらしい!!! そんでもっておいしそう! そして、カードにあった手紙を読むと・・・・フフフフ・・・・ソフト大好きの私のためにわざわざこのお土産を買ってきてくださったのよ。ありがとう!updated 2006.12.20 17:11:12
中国からの最後のお土産は竹製の椅子だ。6年前初めて中国寧波で生活をしたとき、よくこの椅子を見かけた。この椅子に座っておしゃべりをしたり、ご飯を食べたり編み物をしたり、ボケーッとただ座っていりと、街中の生活のいろんな場面でみかけたものだった。竹は年季を感じさせ、なじんで飴色になっていはいたけれど・・・寧波を引き上げるとき、欲しかったけれどどうやって持ち帰るの?という難問?にぶつかりあきらめた。しかし、寧波で知り合いの親御さんはこの椅子を手荷物で持ち帰られたと聞いたけれど、そこまで勇気が無かった。どんな椅子かというとこんな椅子。寧波時代によく見かけたのは奥のほう。大きさはこれぐらい これら4個の椅子は朱家角で主人が買ってくれたものだ。11月ほ~だらぁさんご夫妻と朱家角に行ったとき見つけた。ここにあるなら青浦の近くでもあるだろうと主人が会社の人に聞いたけれど、最近はプラスチック製に押されてこんなの売ってないよと言われたとか。で再び朱家角に行って買ってきてくれた。1個40元ほど。しかし寧波では地元の人が買うと10元ほどらしかった。手前2個は折りたたみ式でこれは寧波では見かけなかった。奥の2個、これは鉄釘を一切使っていなくて竹釘を使用。で、主人は竹釘をはずして分解して持って帰ってきてくれた。そして再び日本で組み立て、さらにサンドペーパーをかけて雑なつくりのところを磨いてくれた。そしてさらにさらに、足底部分が畳や床を傷めるので、手作りカバーをつけてくれた。すわり心地は・・・・座席部分が低いので、足の短い私たちには気持ちのよい高さなのである。だから、なかなかいいですよ~~義母は、今日買ってきたシクラメンの鉢植えをこの椅子に乗せたわ。これはこれでまたいいですわ。updated 2006.12.19 19:33:43
昨日の日記のこんな風景のあった宮崎県川南町1枚目の写真のイルミネーションがあったとこらへんは、こんな地名?(呼び名?)でした。バス停の後ろの信号機 ウィキペディアによると中心地域は通称「トロントロン」と呼ばれている。この名の由来として次の2つの説が唱えられている。1.西南戦争の際に敗走する西郷隆盛の一行が、ぬかるんだ地面を「トロントロンとしている」と言ったとする説2.湧き水があり、水の音が「タランタラン(トロントロン)」と聞こえたとする説今日は(といっても少し前から)歯が痛み出したんよ。でもってだんなさんと一緒に歯医者へ行ったら、「だんなさんよりひどいですわ」と言われてしまった。例の親知らずの悪さらしい。私の親知らずは横向いて生えてるらしい。で、その前の歯に悪さをして歯茎にも炎症が起きてるらしい。updated 2006.12.18 19:00:32
こちらは町の公共施設(だと思う)の昼の顔 夜になると ↓ こちらは個人のお宅 これも夜になると・・・・なんとみごとな!!!見物者も次から次へ大勢来たりして、にぎわっていた。家の壁際にはこんなものまで登場3年ほど前より派手になってる。(~o~)どちらも宮崎県川南町にてupdated 2006.12.17 18:48:15
昨日の夕方宮崎港からの空がとてもきれいだった。今朝和歌山に着いたけれど、昨日宮崎港に向かう途中から主人の歯が痛み出した。前々から少し痛かったらしいけれど、まもなく痛みが引いたりしてそれほどでもなかったらしい。ところが、昨日遅いお昼ご飯のサンドイッチを食べたら痛みがひどくなりだした。船の中でも痛かったようで、けさ和歌山についたその足で近所の歯医者さんへ飛び込んだ。タイへ行くまでにしっかりと治療をしなければ・・・updated 2006.12.16 14:00:32