それはあなたのお金じゃありません気づき



こちらトーシャシルバーさんの有名な本ですが


(すいません、読んでない。タイトルがイケてるな〜と。笑)




そう!


そのお金も、あなたの家も車も登記してても


あなたのパートナーも


あなたの爪も髪の毛も


年々見えにくくなっているその老眼の目も


痛みのある骨や関節も腰も


病気のある内臓も



あなたの身体と思ってるものさえも


あなたのものではナイのです!



今、必要な体験をするために


全ては一時的に与えられたもの。





死んだらこの肉体は


返さないといけません真顔キラキラ





その借り物をいちいちジャッジして否定するから


ありとあらゆる苦しみや悩みが生まれます。




まさに私自身が


不治の病にカテゴライズされてる


一型糖尿病になり


インスリン注射をしなきゃいけない身体になった時から




ず〜っと身体にダメ出ししてきて


嫌って嫌って否定しまくってきたから


言えるのですが。。。



この世に現れてはいけないものは何もない




すべて然るべき形で


ベストタイミングで起こっている


必要だから体験させてもらっている飛び出すハート



今、心からこう思えるのです。





はーい。


ここで有名なイエスさんの言葉をシェアします。



イエス・キリストとその弟子が、

盲目に生まれついた男に出会ったとき、

弟子は尋ねた。


「師よ、この男が盲目に生まれついたのは、

 誰が罪を犯したからですか?

 この男ですか?それとも彼の両親ですか?」


イエスはこう答えました。


「この男が罪を犯したのでも、

 両親が犯したのでもない。

 神の“み技”が、彼を通して顕れるためである。」

 (ヨハネ9:13) 



犯した罪の為に誰かが罰を受けるのでもない。

病気になることを選んでいるわけでもない。


病気というものには

神ならぬ人の身には理解しがたい、

高い次元での目的があることを暗示している。


引用元 : エドガーケイシー HP

なぜ病弱な聖者と、健康な悪人がいるのか







私もずっと思ってきた笑い泣き




誰が間違っているのか?


なぜ私はこの病気にかかったのか?


私は現在や過去のどんな過ちのために、

今こうして病気で苦しんでいるのか?


病気という罰を受けるべきは誰か?


変えなきゃいけないものはなんなのか?




だけどもだっけど♪


病気は何かを犯した罪や罰ではないよ。


チントンシャンテントン♪


変えなきゃいけないものもナイよ〜。






すべて借り物。



地球人は


みんな地球を間借りしているし、



旅先でレンタカーしたら


出来るだけ借りた状態のまま綺麗に


汚れたとこはお掃除して


車🚘返却したいよね。



借りてるレンタカーの

ここが気に入らないからって

勝手に塗装塗り替えたり改造したら

レンタカー屋さんもビックリよね。





そのお掃除にあたるのが、


食事療法や瞑想などによって


心身を軽やかにニュートラルにし


意識を拡張させること。




意識を拡張させて


まるごと許して愛すること。



そして


借り物の人生をめいいっぱい味わうこと。





自分に対しての


ジャッジと否定が消えたら


人生、優勝で楽勝キラキラ拍手



はい、オッパッピー笑いです。






今日はなんか、よしおさんが盛んで、なんかスミマセン。













コロナ禍で


地域の人の集い場的な、


そんな名もなき公園と化していた


大阪城公園。。。



静かでお気に入りの散歩&瞑想スポットだったけど


最近は


もう海外からの旅行者でごった返し〜!!笑い泣き笑い笑い