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「出版するのが夢だった」あなたへ・・・夢の実現を応援するブログ

あらためて問いかけてみましょう。
「本当は何が大事?」
「本当はどうありたい?」
あなたの夢の実現を応援し続けるブログ


「人には無限の可能性がある!」

これを生涯を通じて実践的に証明すべく、あなたの執筆と魂が悦ぶ®出版を応援する、夢実現応援家®の藤由達藏です。

■欲張るならば寄り添ってみる

本を1冊書くというのは、それなりに大変なことです。実際には短い文章の積み重ねだと考えることも出来ますが、首尾一貫した主張を1冊に渡って展開していくためには、それなりの文章力が必要です。

そのような文章力をつけるためには、

 



・たくさん書くこと

そして、

・たくさん読むこと

これは、間違いなく言えることです。このたくさん書き、たくさん読みながら、それ以外の工夫を重ねていくことで文章力はついていくものです。

このブログでは、どんどん読みましょうという話の流れで、誤読も理解の内ということを述べてきました。今回はその続きです。

■文脈を無視してしまう場合

誤読も、曲解も極私的な読書体験であるとする限りにおいて、罪はありません。誤読しているのにもかかわらず、それがその本の著者の主張だと言い張ってはいけませんが、そうでなく、あくまでも極私的な理解であると自認している限り構わないのです。

ただし、本に書かれた一部の言葉だけを取り上げて、文脈を無視すると言うことは、その本をしっかり読まないということです。

本を読まずに、その言葉だけと出会ってしまうこともあるので、文脈を無視してしまうというのは誰にでもあることです。

どんな場合がありうるかというと、大体次のように分類できます。

 



1.他の本や口コミなどで、引用された言葉に出会う
2.本文をよく読まないけれど、その言葉だけ目に飛び込んできた
3.本文をよく読んだけれど、難しくて理解できなかった。しかしその言葉だけは感銘を受けた
4.本文をよく読んで、実や読み間違いや勝手な解釈をしまくって、一般的な理解からはかけ離れた理解をした上で、その言葉についても感銘を受けた


すくなくともこんなパターンがあり得ます。

まず、その言葉の文脈をしっかり読んで理解しようとしなければ、文脈を無視しているといわれてもしかたがありません。

その場合であっても、自分の理解は作者の文脈を無視した理解であって、自分なりの理解なのだ、と自覚していれば、それはもはや間違いとは言えません。謙虚さのある極私的な理解だと言っていいでしょう。

■一粒で二度おいしい

上記の1と2の場合は、もしも余裕があれば、本文をじっくり読んで、本来の文脈の中でその言葉を味わってみると良いでしょう。

そうすると、自分の気持ちを代弁してくれた言葉が、まったく違った意味の言葉であったことに気づくかも知れません。

そのような気づきが得られたら、

1つの言葉で2つの意味を見出すことが出来たのですから、大儲けです。

一つは、自分の気持ちを表す言葉
もう一つは、作者の文脈の中で示された別の意味の言葉


言葉と真摯に向かい合う、ブーバーの言う意味での「出合い」を言葉に対しても行うならば、自分自身の内面を深めることも出来るし、同時に、それを書き記した作者の魂に触れることもできるでしょう。

誤読も理解の内、と言って軽く済ませることもいいですが、なおしっかりと関係を結んで、さらに深い理解を試みてたらなおいいと思います。

 



というわけで、本を書きたければ、誤解を恐れずにどんどん本を読んでいきましょう。

それでは、今日も、
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ではまた!
 

 

読書については、拙著もどうぞ。

 

 

 

 

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