スピリチュアルの観点について、綴りたいとおもいます。

スピリチュアルとは。一般的には信仰心という意味らしいのはだいたい皆さんはわかりますよね(笑)

 

スピリチュアルとは信仰心。信仰心というと、宗教とか神様とか仏様とかいろいろ考えたりするけど、

 

本当のスピリチュアルとは自分が思う気持ち、自分が育った環境、先祖様からの影響。あとは相手を思いやる心だと思う。思いやる気持ちこそが本当の理解ということかな。それがスピリチュアルの本当の観点かなって。

ぼくの伝えてる内容がひとつでも思うところがあるなら、あなたはスピリチュアルの観点があるひと。

だと思うし、スピリチュアルとはだれにでもある観点というか信仰心だと思っている。特に日本人は大地を耕しお米や作物を作っていきてきた種族。

そこには幾多の神々がみんなを見守ってきた。そういうむかしからのストーリーを重んじる種族。だからこそ、うまれもってのスピリチュアルの観点があるとぼくは小さい頃から子どもながらに感じてきた。

そういう風に感じてきた。

 

だからあなたにも人を思いやれるならスピリチュアルはあるんだということをわかってほしい。それは特別なことではない。今までいきてきた当たり前のことだから。

 

 

 

なぜ統合失調症を治らないと言うのだろうか、

わたしは自分の家族がわたしの愛しい母親が統合失調症になっていったことが幼い頃のわたしには理解出来なかった。

わたしは小学三年の頃、学校での毎日のいじめ、リンチに精神に異常をきたし体調を壊した。自律神経失調症になりうつ病になった。
毎日寝たきりのような生活、登校拒否になり
ひきこもりの毎日。毎日廃人のような生活になりそれは五年もつづいた。

母親はわたしのそういう状況にどうしていいかわからなかったのだろう。
だれにも相談する相手がいなくて、苦しんだのだろ。

父親はむかしから仕事人間だった。生活していくことに必死だった、甘さをしらない人間と親戚に言われるほどだった。ひたすらストイックな人間だった、
そんな父はわたしを一切認めなかった。
そして毎日のように人間否定をしてくるのだ。
それは父親の尊厳というのだろうか。

いまから30年以上前のバブル全盛期の日本、
男は寝る間も惜しんで働いた時代。
そんなのがあたりまえだったあの頃、ぼくみたいに人間は
人間以下だと何度も言われた。恥ずかしくて、外には出せない言えないと。

わたしが登校拒否していたことも。何年と身内には話さなかった。恥ずかしいからと。父は言う。当然、母親はわたしをかばったのだが、
父親は真っ向からわたしと母をはげしく責めた。

母親は精神的にも追い詰められて、とある新興宗教に入信してしまう。
だが、父親の力づくで、やめさせたことで
母は精神に異常をきたしはじめる。

母親はある日から、誰かがわたしを殺そうとしてる。文句を言おうとしてきてるとやたらと家の外を気にするようになり、家の外を探索したり周りの奴らが、気に入らないと窓に向かって独り言を言うようになる。ずっとひとりで悪口を言っているようだった。

幼い頃のわたしの母親の記憶は、そういうところが強く残ってる。
母親が統合失調症を直るまで、およそ10年以上は時間がかかっているのだが、それは
母親の話を聞いてあげて理解してあげること、
そして、その人の最大限の理解者になってあげること。それが直るまでプロセスなんだと感じた。母親とのやり取りのなかで自分はスピリチュアルアドバイザー、カウンセラーになろうと思ったし、自分や母親と同じ家族間、人間関係の中で悩んでいるひとの力になれるんじゃないのかと思うようになった。

統合失調症(旧名・精神分裂症)はスピリチュアルの解釈で改善することができます。

 

それは心のロジックがかみあわない、自分が抱えている現実問題と自分の育った環境からの要求(それは一概には言えないものだが理不尽な問題が目の前に現れた時に)

ズレが生じるときに起こる心の現象なのです。

 

それはある意味気づきであり、精神のレベルがひとつアップする手前の状態でもあるのだが、当の本人は自分を認めて欲しい、いかに自分は優れている人間だと。 

 

その気持ちが一心で理解してほしい。それは心のSOSでもあるのです。

人間という生き物は理解されたい認めてもらいたいその気持ちが強い生き物である。

 

自分には出来ないことを相手に無理矢理要求することが人間が考えることなんです。それを理不尽と言うのです。

 

私たちが日常の生活の中で言うまでもなくにしてきたことが精神に異常をきたしたときに、身体の不調からシグナルが表れてくるとおもいますが、それは今まで当たり前にしてきたことが出来なくなったという気づきを教えてくれるわけです。 

 

いままで私たちはそれを無自覚に活動してきたのです。あまりにもそれは無知だったのです。だれもが、統合失調症(旧名・精神分裂症)は病として捉えてしまうのでしょうが、それは人間本来に当たり前に感じて活動してきたことが一時的にできなくなるだけで、それを気づけたという精神のレベルアップのターニングポイントなわけです。 

 

それを受け入れて理解したとき、人間の本当の意味での精神のレベルアップであり、覚醒への一歩となるのです。

 

ちゃんと理解して受け入れれば いままで以上に自分に対して優しくできるようにもなり、人の痛みにも理解できるようになれる。人としての深みが増すのです。 

 

これはあなたの精神の思考がレベルアップする、素晴らしいきっかけのひとつなのです。誰もが自分が病になっているなんて誰も認めたくはないのです。

 

だからこそ言いたいのは、あなたは病んでいますよって気づかせるのではなく、あなたは素晴らしいのですと気づかせてあげるべきです。そして、ゆっくりと自分の時間を持つようにしてあげる、周りがサポートしてあげることが大事です。プロセスを認めて理解すること。

 

 

その人を認めて挙げることが一番の治療になるのです。理解してあげる事。その人の活動を期待してあげることがスピリチュアルの観点なわけです。ただ優しく見守ることです。

 

その人がひとりごとをしていたら聞いてみてください。ちぐはぐな話しをするでしょう。私たちの価値観で考えるのではなく、スピリチュアルの観点で考えてみて下さい。

 

そうすればその人も自然と環境の中で何がいいのか悪いのか気づきだすでしょう。

 

時間をかけるということは、そういうことなのです。


どうもこんばんは例えばあの死にたくなるなぁみたいなーって思ったりとか会社辞めたいなーとかなんで自分だけこんな辛い思いするんだろうなーとか思うことあるわけじゃないですか 人生、生きていればそう思うことっていっぱいあると思うんですよね
そういう時って、 人間どうなのかっていうと 精神レベルでいうと一つレベルが上がる感じなんですよね
会社を辞めたいなーとか思う時とか死にたいなーって思ってきて精神のレベルが一つ上がる感じなんですよ生きてく上で経験値が精神の経験値ってのが上がってくる


テレビゲームの RPG みたいにレベル上げってなるのですか、それと同じように死にたいなとか辛いなあとか苦しがって思う時
客観的に自分のことをそういう風にわかる時ってのは精神のレベルが一つ上がるんですよね
そこでじゃあどういう風に考えるかって言うと流れに身を任せようとかもうちょっと自分を見つめなおそうとかもうちょっと冷静に考えてもいいんじゃないのかなとか色々考えると思うんですが、しょうがないなとかいつものことだろうとかまあ生きていればこんな気持ちになるだろうとか思うことを人それぞれあると思うんですけども
そういう中でまあどうせこんなもんだろって思ってしまうとあなたの人生はそんなもんではあるんですよ


自分の人生は困難で終わりたくないとこのままでは終わりたくないともっと人よりも良い人生を歩みたいなと思うならちょっと冷静に考えて自分を見つめなおす事っていいんじゃないですかね
多分そういうきっかけをまあ神様とか自分の先祖が与えてくれているんではないかなと思います。人間の人生にとってそうやって客観的に自分の事を見れる時間があってもいいんじゃないかなと思うんですけど、
そこが人間が生きていく、スピリチュアルのヒントの一つかなと思います
ありがとうございました、また。

パニック障害はスピリチュアルの解釈で改善することができます。
それは精神の思考がかみあわない、ずれが生じるときに起こる心の現象なのです。
それはある意味気づきであり、精神のレベルがまたひとつアップする手前の状態であり、覚醒の一歩手前なのです。

私たちが日常の生活の中で当たり前にしてきたことが精神に異常をきたしたときに、
身体の不調からシグナルが表れてくるとおもいますが、それは今まで当たり前にしてきたことが出来なくなったという気づきを教えてくれるわけです。

いままで私たちはそれを無意識に活動してきたのです。あまりにもそれは無知だったのです。
だれもが、パニック障害は病として捉えてしまうのでしょうが、それは人間本来に当たり前に感じて活動してきたことが一時的にできなくなるだけで、それを気づけたという精神のレベルアップのターニングポイントなわけです。

それを受け入れて理解したとき、人間の本当の意味での精神のレベルアップであり、覚醒への一歩となるのです。
ちゃんと理解して受け入れれば

いままで以上に自分に対して優しくできるようにもなり、人の痛みにも理解できるようになれる。人としての深みが増すのです。

これはあなたの精神の思考がレベルアップする、素晴らしいきっかけのひとつなのです。

スピリチュアルとは人間本来持ってる魂の信仰心、優しい心や思いやりを思い出していくこと。

 

険しい生きにくいこの世界に私達は産まれてきて、本来産まれたときから素晴らしいスピリチュアルを感じていきているのだが。

 

この生きにくい世界にいると少しずつ忘れて行ってしまうのだ。それを思い出していく行為、思考こそが本来の私達がもともと持って産まれたスピリチュアルなんだということ

 

『好きな食べ物食べてる時がいちばん気楽で幸せだよね』

 

そんな、ちいさな幸せを感じれることが本来の私たちが大切にしなければいけないのが、幸せへの積み重ねであり、スピリチュアルの本質なんじゃないのかなって思ったりします。

 

わたしたちはそんな素晴らしい幸せへの手順を今の忘れかけようとしてるこの世の中に気づかせるため発信しているんかなって思っている。

 

直観力は人生の中でも大いに役立つ、なにかを決めるとき決断するとき、

切り開くとき、その場のひらめきで人生の正念場、修羅場をくぐり抜けることができる。

直観の養い方、鍛え方は、

まずはリラックスをして安心できるような余裕を持つように意識をすること。そして、鍛え方は

その場面その場面に経験した偶然の経験をイメージして毎日の中で意識をするように過ごせばいい。そして、100%ではなくて30%でいい、それぐらいの気楽さが必要

 

一呼吸できるような余裕があればいい。

 

直観力は誰かの必要とされたとき、決断が迫られたとき、何かをゆだねるときに最大限に発揮される。

それで誰かが救えたら、まさに幸せが引き寄せようとしてくれるだろう引き寄せの法則を毎日の暮らしで実践しているけど、 毎日1日1日が感謝しながら生きると、心が楽になるんだよね

また、きょうも引き寄せてしまった、人にありがとうって言われると嬉しいな