昨日はブログで自分の考えを文字に書き起こしている所で文章が消えて投げやりになった。
でもそのままじゃ何も変わらない。
また始球式までの流れを書くと消えそうだから、今度は始球式から今までの流れを振り返る。
5/29
真莉愛はZOZOマリンで始球式を見事に務め上げた。
俺は今までの興奮・緊張・不安色々な感情から解放されて歓喜し涙した。
俺の中ではここでスッキリ終わって楽しい1日で終わるはずだった。
だけどこの話に続きがあった。
↓
俺は歓喜し涙を流している時、ふと1つの事に気が付いた。
真莉愛と会える(観れる)のはここで最後という事実。
始球式の前から分かっていなかった訳じゃない。
だけど実際に起こったこの状況とはかけ離れた程に、俺の予想は違っていた。
それはこの1年真莉愛を観ていなかった事で1年前の真莉愛に対する気持ちの高まり方を確認し切れて
いなかったのか、始球式が100点満点の状況になって最高潮の雰囲気になったからなのか、原因が1つだけだとは思わない。
色んな想いが重なり重なった事で、この最後って状況を自分の中で受け入れられなかった。
その瞬間俺の歓喜は絶望へと変換され、急に胸が苦しくなり呼吸が荒々しくなり、涙も悲しみを意味するものに変わっていた。
そんな状況で目の前での野球が入ってくるはずがなく、ただ無心に持っているカメラで写真を撮り続け、終電と共に球場を後にした。
そっからは何が何だか自分を見失っていた。
とにかくこの現実を飲み込めない。意味が分からない。気持ちがグチャグチャになった。
体調は悪くなるし猛烈な虚無感から野球を観るのも少し抵抗が出来た。今でも腹痛は治ってないし、野球も今までみたいに見入っていない。
ただ時間って素晴らしい事に、昨日までは自分の周りしか直視できなかったのに今日になったら自分の今置かれている状況を客観視できるまでになった。
ヲタクを理解する周りの何人かに話もした。ズバリ正解は出なかったけど、ヒントになるものはたくさん頂いた。
この状況で自分の方向を変えた見かたをするならば、俺は6/12の℃-uteラストライブでハロプロ及びアイドルからの引退を決めている。
これは自分が決めた信念。確かに真莉愛に会えなくなるのは悲しく寂しい。だけどじゃあ、寂しいからと言って自分の信念曲げてまた真莉愛真莉愛する事はナンセンス。ここで自分の信念を曲げたら目先の事しか考えない俺が嫌いな人になる。
俺は寂しさから逃げていた。
そしてもうひとつ、この始球式自体のタイミング。俺は今年の交流戦応援大使がモーニング娘。になるずっと前から引退を決めていた。だからもし引退後、真莉愛が他の場面で始球式をやったとしても俺はそれを理由に球場に行く事はない。
だけど心残りになるのは間違いなかった。
ただこの引退ギリギリのタイミングで始球式を行ってくれること、そして俺がその場面を生で観る事が出来たことは超絶ラッキーでハッピー。
1つの大きな心残りをする事なく引退させてくれる真莉愛からの大きなプレゼントだと思う様になった。
昨日までは寂しさ100%だったけど今は、寂しさ50%感謝50%。
今でも真莉愛って文字見るだけで悲しい気持ちになるけど、これは乗り越えなきゃならないものだと思う。
そして何物にも替えられない最高の姿を見せてくれた真莉愛には感謝してる。
真莉愛はもう出ないけどせっかく引退前に札幌行くから、その時は堂々と真莉愛ユニを着て野球を観ようと思う。真莉愛がいなかったら絶対このタイミングで行かなかった札幌ドームに。
もう生で観る機会はない確率の方が高いけど、今度はYahoo!ニュースや新聞記事に大きく掲載されるくらい、真莉愛発信の情報が俺に入ってくるといいな。
言葉にしたら少しスッキリした。
んじゃあ、改めて撮った写真でも見るとするかな(^ ^)
gon
