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シカゴ・スタッグズに入団したザスロフスキーは1年目からチームのリーディングスコアラーとして活躍し、シーズン通算877得点(平均14.4得点)はリーグ4位の成績を残してオールNBA1stチームに選出された。ザスロフスキーにチック・ハルベルト、ミッキー・ローター擁するスタッグズは地区トップの39勝をあげ、プレーオフも勝ち抜いてファイナルに進出するが、フィラデルフィア・ウォリアーズに4勝1敗で破れ、惜しくも初代NBAチャンピオンの栄誉に輝くことはでいなかった。翌シーズンにはそのシーズン唯一の通算1000得点越えとなる1007得点(平均21.0得点)を記録し得点王に輝くと、ザスロフスキーは以後3シーズン連続1000得点以上を達成するリーグを代表するスコアラーとなり、またオールNBA1stチームにも4年連続で選出される、リーグ屈指の実力者となった。ザスロフスキー個人は順調にキャリアを重ねる一方で、チームはファイナルに進出して以降は中堅チームの座に落ち着いてしまい、以後目立った成果をあげることはできず、そしてついには1949-50シーズンを最後にチーム解散の憂き目にあった。

スタッグズの選手のうち3選手はニューヨーク・ニックス、ボストン・セルティックス、ウォリアーズの3チームによるくじ引きで移籍先が決定されることになり、この3チームにとって最大の目玉はザフロスキーであり、セルティックスの伝説的なヘッドコーチ、レッド・アワーバックも是非ともザフロスキーを欲したが、ザフロスキーを手に入れる幸運に恵まれたのはニックスだった。ちなみにこの時セルティックスが"渋々"受け入れたのが、ボブ・クージーだった。

故郷ニューヨークに戻ったザスロフスキーだが、スタッグズとはチーム事情が異なるニックスでは、チームメイトのハリー・ギャラティンらと得点機会を分け合ったためザスロフスキーの成績は後退したが、ザスロフスキーが入団したそのシーズンからニックスは3年連続ファイナルに進出するなど、最初の黄金期を迎えた。ザスロフスキー個人も1952年のオールスターに初選出されている。しかし悲願の優勝は叶わず、3回連続ファイナル敗退となった1952-53シーズンを最後にザスロフスキーはニックスを去り、ボルティモア・ブレッツに移籍した。

1953-54シーズンをブレッツで迎えたザスロフスキーだが、ここでもチーム解散の憂き目に遭い、ブレッツから放出されたザスロフスキーはミルウォーキー・ホークスに移籍した後、さらにフォートウェイン・ピストンズに移籍した。

ピストンズでは中心選手のジョージ・ヤードリーやラリー・ファウストらのサポート役に回り、平均11.2得点を記録。チームはザスロフスキーが合流したこの年、一気にファイナルに進出したが、シラキュース・ナショナルズに破れた。翌1955-56シーズンのザスロフスキーの成績は初めて平均得点が二桁を割り込み、ザスロフスキーは9試合をプレイした時点で、現役から引退した。