前回ゴンブロ
「三原車輛製作所(その8) 三原工場製の台湾向けD51」
について、LC33100さまから嬉しいコメントをいただきました。
曰く「三原工場内の機関車ですがタイ国鉄向のパシフイックかミカドではないでしょうか?煙突が真鍮キャップ付、デッキにブレーキホースが2本、短いドーム、給水ポンプがないetc…D51とはかなり異なっております」とのことです。
ご指摘のあった写真。話題となった蒸機は画面右側です。
早速当時の三原関係の資料を調べた所、1949年6月と1950年の二回に分けて各々10両ずつタイ国鉄向けミカド型蒸気機関車(1D1の軸配置)を出荷していることが判明!
三原関係者の回顧録の中にタイ向け蒸気を記載した箇所がありましたので、抜粋します
「この機関車は薪焚き機関車(石炭焚きでない)で、設計的に大変苦労したことを覚えています。即ち石炭のカロリーと薪のカロリーが違うために火室の面積を広くし、空気供給量を大きくして効率アップを図りました。するとボイラが大きくなり、足回りが小さくて頭デッカチの機関車が出来上がりました。
タイは・・・(中略)・・・牛を大切にする国であります。夏になると牛が冷気を取りに線路で寝るので、その牛を追い払うために警鐘がぶらさがっていて、それを鳴らしながら走ります。それでも牛が逃げぬ場合は、機関車が装備している排障器でじわっとはねてやるようにします。」
「タイ向け蒸気の検査はタイ国鉄の委託により、米国の鉄道関係者が行いました。ソ連向け蒸気の検査とはまた異なる流儀で面喰いました・・・」
また、さる方の御好意による写真群の中にそれらしきミカド型の写真がありましたのでアップします。
写真には説明も撮影日時も何もなかったのですが、薪焚きのミカド(炭水車に薪が積まれています。そうか・・・この場合は炭水車ではなくて薪水車?)で、排障器あり、給水温め器の位置や窓配置等、くだんのタイ向け蒸気と特徴がよく似ています。
更にいうと、前回ブログでの「台湾向けD51」との推測をあっさり覆して言いますと、三原工場内の写真に写っていた蒸気とも似ている気もします。
三原工場内写真の蒸気には排煙板があり、その点が異なりますが、三原工場の写真は、第一ロットか第二ロットで、どちらかには排煙板があったとすると、説得力はありそうです。
「三原車輛製作所(その5)日本の戦後直後の車輛輸出」
でも取り上げましたが、タイ向け蒸気機関車の車輛輸出契約は何と「米」とのバーター取引でしたので、これが本当にタイ向け蒸気であったとすると、この蒸気もタイ米何トン分かとなって、当時の窮迫する食糧事情に幾分でも貢献した筈です!
こちらは同輸出契約に基づき、タイに1949年に出荷された電車です。(三原車輛製作所製ではありません。日本車輛??)
写真は、当時の子供向け図鑑からの抜粋ですが、どことなく花巻電鉄鉄道線を彷彿とさせる姿です。
いつもご愛読ありがとうございます。
ブログ上ではありますが、改めて深く感謝申し上げます。
それではまた!