就活も終わり、時間ができた。
最近高校時代のようにうんうん意味のないことを考える時間が少なくなったなぁとはずっと思っていて、それが何となく寂しいので書き始めようと思う。ラジオの種になるようなことがおもいつければいいなぁなどと思っている。
早速だが今言ったような意味のないことを考える、俗にいう悩むという時間が減ったことの弊害について書いていこうと思う。
自惚れかもしれないが(というかそのような自惚れor自意識過剰maxのような話題ばかりになっていくと予測されるのでもし継続的に読んでいこうと思う方がいれば注意されたし)自分はけっこう多趣味でそれによってついていける話題の幅は広いように感じている。それで褒められることもあるしね。
でも、最近それにも陰りが見えてきている。正確にいうと、話題となっているコンテンツ(これは映画かもしれないし、音楽かもしれないし、小説かもしれないし、はたまた経済学の理論かもしれない)に触れた記憶はあるし、そのイメージは浮かぶのだが具体的な単語・シーン・リリック・単語の意味・人の名前etc…がパッと思い出せない。いやパッと思い出せないという瞬間的なツッコミの遅れで済むならいい方で、しばらく「それ何だったかいさぁ…?」と考えてみても全く思い出せない。もっと言うと説明受けてもピンとこない。OMGである。だから最近ニッチなコンテンツでボケられても「いやそのやつあるけど!」みたいなクソフワツッコミしかできないし、況やボケをやである。
これはただ僕の会話がつまらなくなるということにとどまるような問題ではなく、もっと根は深い。触れたときには感動し、感心し、得心したコンテンツ・勉強内容が一週間たったらまるっきり頭から抜け落ちてしまっているなんて、これさぁ人間としての積み上げが全くされないですよって状態ってことでしょ?パワハラだよね。というかどうしようもなく寂しい。ブルージャイアントも、スキップとローファーも、国際貿易論も黒宮先生の授業も柴山先生の授業も69もサラバも竹原ピストルも、ぼくの中には何も残っていないのだ。「面白かった」「感動的だった」というただのプラスのイメージが喫煙所の煙みたいにふわふわ滞留しているだけ。いずれはそのイメージすらも空間が綺麗になっていくみたいに薄ーく消えていってしまうんじゃないかと思うと、自分が年を取るほどに空っぽな人間になるんじゃないかとたまらなく怖くなる。それは花束みたいな恋をしたの菅田将暉みたいに何かに追い出される感じじゃなく、まさに煙とか霧が徐々に薄くなっていくみたいな感じで消えていって、いずれは空っぽの透き通った空間になって、何も入れられないまま忘れ去られていく。そんな感受性の部屋みたいなものが絶対に昔はパンパンに詰まっていて、しかもはっきりとした形をもってそこにいた。だからトミカの車種は全種類覚えられたし、ラスパルマスの選手は全員名前とプレースタイルをすらすら言えた。なんとかこれを取り戻せないのか?その部屋にあるものはいつでもすぐに取ってくることができて、その部屋の中では部屋のものを粘土みたいにちぎってくっつけて、面白い形にして他人に披露することもできた(それですげぇ!って言われたり思われたりするのが堪らなく嬉しかった)。今の俺はどうだ。ただ浅く広くものに触れているだけ。触れたものは部屋の中に一度は入るけれど直ぐに形を失って、前みたいに面白いものを自分が生み出したくて煙のような形のないものどうしを頑張ってつなぎ合わせようとした結果、面白くもない変なことが口から出ていくだけ。
そんなことをずっと繰り返している。
っていうオチもない現状報告から、この日記を始めようと思う。
これからもよろしく。
ちなみに面白いなと思うのが、いわゆる名作と広く世に言われるものだったり有名な作品だと忘れてなかったりする。
それは見た後に話題に出る頻度が多いから忘れないというエビングハウス的な話なのかなと思っていたけれど、レオンとかセブンとかの話題ってそない出るか…?まぁ出るか。わからん。
それかもう一つは見る段階で自分で何かしら線引きを行っちゃってる可能性。これだと俺が勉強した内容ほぼ頭に残ってないのも説明できるねっ。これ冗談に見えるかもしれないけど、映画とか音楽とかと同じテンション同じ感覚で勉強した内容が心にとどまらないことには悩まされてます。また勉強方面に絞ってこの話題について書くかも。