柏木のコンプレックス脱却論について
脚が不自由な柏木は不具者である自分に生まれながらのコンプレックスを抱き親を恨んでいた
自分は愛されないと信じていた
しかし誰もが惚れるレベルの美女に告白される
その女は自身に満ちていて「あなたも私を愛しているに違いない」と言った
柏木が「愛してない」と言っても聞かなかった
愛してないと言えばいうほど相手は執念を燃やし、ついに肉体関係を迫った
柏木は性行為をした上で、「抱きはしたけど愛してはないで」と言うつもりだった
結論を言うと、柏木はそもそも勃起しなかった
自分の醜い脚が女の綺麗な脚に重なることを思うと行為すらできなかった
「やりたい」という正直な欲望よりも、自分のコンプレックスの方が勝ってしまった
それから柏木は己の肉体についてよく考えるようになった
あるとき父の代わりに読経しに行った家で老婆が柏木の脚に拝んだ
老婆にとって柏木の醜い脚は俗物と一線を画した神のような崇高さを持っていた
柏木は老婆を押し倒した
老婆は柏木を受け入れた
美女ではなく老婆で童貞卒業した柏木は考えた
美しいと思う心がなければ美しい顔は存在しない
美しい顔は仮象に過ぎない
間違いなく存在するもの、実相はただの顔である
なら美女も老婆も実相は変わらない
自分の醜い脚とあの時の女の美しい脚も変わらない
実相を見るようになってから、柏木は自分の脚と相手の身体が同格であると理解し、コンプレックスを克服
性行為も可能となった
むしろ特異性のある脚を武器にして女を口説くようになった
吃りのコンプレックスを抱えている主人公とは、先天性の不具者という点では同じだったが、欠点と捉えている溝口に対して、柏木は美点さながらに考えていた
という話
このコンプレックスに対する向き合い方は誰にとっても参考になると思う
コンプレックスのない人間は多分いないから
玉木宏ですらしばらく考えた末に土踏まずが高いのがコンプレックスだと言っていた
物はただ存在しているだけ
人間も植物と同じ
ただあるだけ
価値を決めるのは人間
とはいえ日常生活を送っていればあらゆる場面で人と比較するしされてしまう
他人との格の違いを思い知らされるから、コンプレックスから脱却するのは簡単では無い
欠けている自分
満ち足りている他人への憧れ
強い羨望
三島由紀夫の作品はまだ金閣寺しか読んでいないため三島由紀夫の特色なのか、あくまでも『金閣寺』の主題なのかは分からないが、劣等感を抱く人間の、他者に対する強烈でキラキラとした憧れは、とても共感できる
胸を打たれる
苦しいほど鮮烈な痛みと感動
読書は他人の感覚を疑似体験できるからパーソナリティ障害の治療に良いらしい
確かに疑似体験はできると思った
これからは読書を積極的に趣味に取り入れたい