個人の力の最大化 ①*リライト*| ソーシャルメディア☆レボリューション
さて、、、
本ブログは
2011年の9月からずっと放置しっぱなしでした、
今回、再開する目的、テーマは、
これからの時代を生き抜く為に必要な
本物の
精神的な自立
と
経済的な自立
を自分に確立させる。
です。
大きく分けて、このふたつのテーマについて、
僕が学んだことを、このブログにアウトプットすることで、
自分自身を成長させていき、
そのアウトプットした言葉が、
読んで下さる皆さんにも、何かお役に立てるような、
そんなブログにしていきます。
まずは、
『個人の力の最大化』
について、
この事について、本ブログの2011年6月に書いたのですが、
それいらい、個人的に色々な事があり、止まったまんまでしたが、
ここに、もう一度、リライトし、
そこから、また始めたいと思います。
しばらくの間、本ブログでは
『個人の力の最大化』(本物の経済的自立)
について、書いていきます。
ので、
これから、よろしくお願いします。
それでは、
もう一度、2011年の6月に書いた、
この記事に戻り、
そこから再始動します!!
=>=>=>=>=>=>=>=>=>=>=>=>=>=>==>
『個人の力を最大化する為にはどうすりゃいいんだ?』
私のライフスタイル作りのテーマのひとつである『個人の力の最大化』について学び、考察していくので、皆さんと共有していきましょう!
______________________________________________
自分のような、なんの力も持っていない
底辺で普通に生きている人々にも
これほど大きな可能性が
平等にもたらされている時代は
今までなかったのではないか...
インターネット
そして
ソーシャルメディア
莫大な資本を持つ大企業しか出来なかったようなことが
現代では、とても安価に個人で出来るようになった
不景気だから、なんだかんだ...などど言っているのは
ただのいい訳でしかない
目的を達成する為の
ツールは、皆の目の前に
平等に揃っている
あとは、
それぞれが,それをどう使うかだけだ
お金も
そんなに
必要ない
飲食店経営者として
ミュージシャンとして
絵描きとして
写真家として
野菜や海産物の生産者として
マーケッターとして
コンサルタントとして
それぞれが
テクノロジーの恩恵を思いっきり受けながら
自分で自分をブランディングして
それぞれのお客さんとの信頼関係を築き上げるのだ!
*face book
*Blog
*you tube
*USTREAM
これらのツールを
それぞれの志の為に
最大限に活かそうではないか!
....しかし、
そのような活動の中で
忘れてはならないことがある
それは
これらは、あくまでも
ただのツールであるということだ
何よりも、大切な事は
自分という個人が人々に提供できる価値は何か?
という事。
自分という個人が創るサービスやモノが
人がお金を払ってもいいと思うぐらい
価値があること、モノである事が大前提である
その価値を届けたい人々に
しっかりと届けるための
信頼関係を構築するために
これらのツールがあるのです
そんなこと言ってる、お前はそれだけの価値があるもん創ってんのかよ?
ごめんなさい、まだつくれていません
しかし、私、GOMESSは、
自分という個人が創るサービスやモノが
人がお金を払ってもいいと思うぐらい
価値があること、モノである事が大前提である
を目指しています。
今後、私は、本ブログで
*face book
*Blog
*you tube
*USTREAM
を最大限の活用を実践していきます。
今後の皆さんの活動にも
何か良い参考になれるように
身を持って実験していくので
そこで学んだ事も
本ブログで皆さんと共有していきたいと考えています。
....それと、
『個人の力の最大化』は自分の得意なパーソナリティを活かし生業にする目的も含んでいます、そのことがただの趣味や遊びの延長のような事になってしまわぬように、ここで気をつけなければならないのが、ちゃんと儲かるか?という視座を常に持つ事である、しっかりと収益を産み出せるのかが最大のポイントになってくるのだ......
.......このことについては、長くなりそうなんで....
とりあえず、今回のブログテーマ『個人の力の最大化』シリーズ①はこの辺で終わりにしておきます
次回をお楽しみに!
では、また!!
GOMESS
ブログ再会します。〜あらためてサバイブ始めます!〜
久しぶりブリにブログ再会します。
自分を再度鍛え上げます。
このままじゃいかんのです。
強くならなければいかんのです。
弱さは罪だ、
40のおっさんですが、あらためて、自分の弱さともう一度真剣に向き合って、
足掻き始めます。
ということで、ブログ再会をこの曲で始めよう!
クラムボン featuring ILL-BOSSTINO - あかり from HERE
自分を再度鍛え上げます。
このままじゃいかんのです。
強くならなければいかんのです。
弱さは罪だ、
40のおっさんですが、あらためて、自分の弱さともう一度真剣に向き合って、
足掻き始めます。
ということで、ブログ再会をこの曲で始めよう!
クラムボン featuring ILL-BOSSTINO - あかり from HERE
資源 エネルギー ⑤| 原発賛成音頭part4
『何故?日本国はアメリカの意向に飲み込まれ、こんな地震国日本に原子力発電所を建設していったのか?』
今回はこの事について学んでみました。
前回の続きです。
_________________________________
映画『祝の島』
映画『ミツバチの羽根と地球の回転』
1972年内閣総理大臣になった田中角栄
大正7年5月4日に、新潟県刈羽郡二田村(東京電力の柏崎・刈羽原発が田中角栄の故郷の近くに立地されている)の古い農家に生まれている。
田中角栄が高等小学校を卒業した昭和8年ころは不景気まっさかりで、適当な仕事がなく。
そこで、土方になる。
収入は一日50銭だったという。
この時期の『貧しさ』が田中角栄の原点であったであろう。
彼の夢、
それは、
国土開発!
山を切り崩し、
日本国中に道路を造り、海をうめ建てて国土を造成し、産業を振興させ、
庶民に豊かな暮らしをさせたいというのが、
彼の政治家としての理念と政策であり、
そしてそのために彼はあらゆる手段を行使することをいとわなかった。
、
1974年、自らの内に宿る『貧しさ』という劣等感をエネルギーにして、田中角栄は『電源三法』を産み出した。
『電源三法』とはなにか?
この法律の主な目的は、
電源開発が行われる地域に対して補助金を交付し、
これによって電源の開発(発電所建設等)の建設を促進し、
運転を円滑にしようとするものである。
日本列島各地に乱立する原子力発電所
何故?都市ではなく、地方の過疎地に乱立しているのか?
その答えは『電源三法』にある
①『電源三法』は、
原発を誘致した地域に
交付金というご褒美(金)を
じゃんじゃん!落としていく。
原発立地に名乗りを上げるのは、
背に腹は変えられない!と、金が欲しい過疎地で、
危険性の吟味などする余裕などなく
『原発は絶対に安全だ!』という安全神話を
盲目的に信じた。
それ以来、豊かさという幻想を壊し
見たくない現実を見る事になるので、
原発の安全性についての合理的な議論をすることは、
不可能になり、原発を誘致していくようになる。
②日本政府としても、地方に原発を誘致した方が都合が良かった、
なぜなら、
原子力損害賠償法では電力会社は原発一基について1200億円の保険をかける義務があります、
それを超える補償についても義務を負います
でも現実に払い切れない場合には、
国が賠償義務を負います。
要は
大事故が起きた場合の賠償総額を減らすために、
地方に原発を誘致したかったのです
③そして、田中角栄の『貧しさ』という劣等感が引き起こす、
『貧困』に対する猛烈な拒否反応が、
『電源三法』の名を元に
原発を誘致する各地方に交付金というシャブを
シャブ!シャブ!と打ち込んでいったこと。
これらが、
都市ではなく、地方の過疎地に原発が乱立している理由である。
しかし、
この構図には、とても皮肉で、大きな矛盾が産まれてしまいます。
それは、
『電源三法』と『原子力損害賠償法』の組み合わせが意味する事は
『金はつぎ込むけど、絶対に過疎地のポジションから離脱させない』という事を意味するからです。
そもそも、損害が大きくなるから都市ではなく過疎地を選んだのに、
その過疎地が都市化したら、損害が大きくなってしまうから国としては困るからです。
現在の日本国の有様から見れば
結局は、
「少しだけ豊かになる代わりに原発依存体質から永久に離脱できない」
原発交付金シャブ漬けにする事が
日本政府の狙いだったという事に
結果、なるのです。
アメリカが日本国を去勢し、シャブ漬けにしたように、
その事に対して、きちんとした『お断り』をしてこなかったがゆえに
日本政府は、同じ日本の民に対して、今もなお、
アメリカにされた事と同じ事を
わかりにくいように
(金、安心、平和)という幻想シャブをうち続けているのです。
そのような現在の日本国の中でも、
冒頭に紹介した祝島の民のように、
自分達の生活、
自分達ならではの豊かさ
日本列島の中の祝島を担当する者としての責任
後に続く子供達の為にも
『きちんとした、お断り』を続け
戦っている人達がいるという事は
本当に、私達の救いになります。
私達も、そこから何かを感じ取り。
ただ黙認するのをやめて
今、出来る事で良いから
何かを初めて見ようではないか!
今、出来る事で良いから...
それら小さなひとつ、ひとつが
いずれ、大きな流れをつくり
世界を変えていくのだから。
それでは、最後まで読んでくれてありがとうございます。
最後にこの曲を聴いてお別れしましょう!
バイチャ!!
GOMESS
宮台真司×小林武史対談
田中角栄入門から学ばせてもらいました
ありがとうございます。
今回はこの事について学んでみました。
前回の続きです。
_________________________________
映画『祝の島』
映画『ミツバチの羽根と地球の回転』
1972年内閣総理大臣になった田中角栄
大正7年5月4日に、新潟県刈羽郡二田村(東京電力の柏崎・刈羽原発が田中角栄の故郷の近くに立地されている)の古い農家に生まれている。
田中角栄が高等小学校を卒業した昭和8年ころは不景気まっさかりで、適当な仕事がなく。
そこで、土方になる。
収入は一日50銭だったという。
この時期の『貧しさ』が田中角栄の原点であったであろう。
彼の夢、
それは、
国土開発!
山を切り崩し、
日本国中に道路を造り、海をうめ建てて国土を造成し、産業を振興させ、
庶民に豊かな暮らしをさせたいというのが、
彼の政治家としての理念と政策であり、
そしてそのために彼はあらゆる手段を行使することをいとわなかった。
、
1974年、自らの内に宿る『貧しさ』という劣等感をエネルギーにして、田中角栄は『電源三法』を産み出した。
『電源三法』とはなにか?
この法律の主な目的は、
電源開発が行われる地域に対して補助金を交付し、
これによって電源の開発(発電所建設等)の建設を促進し、
運転を円滑にしようとするものである。
日本列島各地に乱立する原子力発電所
何故?都市ではなく、地方の過疎地に乱立しているのか?
その答えは『電源三法』にある
①『電源三法』は、
原発を誘致した地域に
交付金というご褒美(金)を
じゃんじゃん!落としていく。
原発立地に名乗りを上げるのは、
背に腹は変えられない!と、金が欲しい過疎地で、
危険性の吟味などする余裕などなく
『原発は絶対に安全だ!』という安全神話を
盲目的に信じた。
それ以来、豊かさという幻想を壊し
見たくない現実を見る事になるので、
原発の安全性についての合理的な議論をすることは、
不可能になり、原発を誘致していくようになる。
②日本政府としても、地方に原発を誘致した方が都合が良かった、
なぜなら、
原子力損害賠償法では電力会社は原発一基について1200億円の保険をかける義務があります、
それを超える補償についても義務を負います
でも現実に払い切れない場合には、
国が賠償義務を負います。
要は
大事故が起きた場合の賠償総額を減らすために、
地方に原発を誘致したかったのです
③そして、田中角栄の『貧しさ』という劣等感が引き起こす、
『貧困』に対する猛烈な拒否反応が、
『電源三法』の名を元に
原発を誘致する各地方に交付金というシャブを
シャブ!シャブ!と打ち込んでいったこと。
これらが、
都市ではなく、地方の過疎地に原発が乱立している理由である。
しかし、
この構図には、とても皮肉で、大きな矛盾が産まれてしまいます。
それは、
『電源三法』と『原子力損害賠償法』の組み合わせが意味する事は
『金はつぎ込むけど、絶対に過疎地のポジションから離脱させない』という事を意味するからです。
そもそも、損害が大きくなるから都市ではなく過疎地を選んだのに、
その過疎地が都市化したら、損害が大きくなってしまうから国としては困るからです。
現在の日本国の有様から見れば
結局は、
「少しだけ豊かになる代わりに原発依存体質から永久に離脱できない」
原発交付金シャブ漬けにする事が
日本政府の狙いだったという事に
結果、なるのです。
アメリカが日本国を去勢し、シャブ漬けにしたように、
その事に対して、きちんとした『お断り』をしてこなかったがゆえに
日本政府は、同じ日本の民に対して、今もなお、
アメリカにされた事と同じ事を
わかりにくいように
(金、安心、平和)という幻想シャブをうち続けているのです。
そのような現在の日本国の中でも、
冒頭に紹介した祝島の民のように、
自分達の生活、
自分達ならではの豊かさ
日本列島の中の祝島を担当する者としての責任
後に続く子供達の為にも
『きちんとした、お断り』を続け
戦っている人達がいるという事は
本当に、私達の救いになります。
私達も、そこから何かを感じ取り。
ただ黙認するのをやめて
今、出来る事で良いから
何かを初めて見ようではないか!
今、出来る事で良いから...
それら小さなひとつ、ひとつが
いずれ、大きな流れをつくり
世界を変えていくのだから。
それでは、最後まで読んでくれてありがとうございます。
最後にこの曲を聴いてお別れしましょう!
バイチャ!!
GOMESS
宮台真司×小林武史対談
田中角栄入門から学ばせてもらいました
ありがとうございます。
資源 エネルギー ④| 原発賛成音頭part3
『何故?日本国はアメリカの意向に飲み込まれ、こんな地震国日本に原子力発電所を建設していったのか?』
今回はこの事について学んでみました。
前回の続きです。
_________________________________

1953年12月8日、アメリカのアイゼンハワー大統領が、国連総会で「アトムズ・フォー・ピース」の演説をした翌年...、
1954年3月 日本では原子炉建造予算2億3500万円が、
中曽根康弘衆院議員(後の首相)らが中心となり可決へと強行された。
これは、
ビキニ水爆実験で第五福竜丸が「死の灰」を浴びた直後で、
被ばくの事実が暴露される約2週間前でした。
2億3500万円という数字の根拠が、3.11以降の現在から聞くと、これまた凄いのだが..
。
中曽根氏は、
「(核燃料となる)ウラン235の二三五ですよ(笑い)」
(『天地有情 五十年の戦後政治を語る』1996年)で述べています。
当時、日本では原子力の研究体制さえなかった時代。
日本初の原子力予算が何の根拠もなかったことを如実に示しています。
そして、この年の前年にあたり、国連総会で「アトムズ・フォー・ピース」の演説よりも前の
1953年6月、
読売新聞社主、正力松太郎に会うのが目的で
アメリカ中央情報局(CIA)の局員であるD・S・ワトソンが来日します。
NHKのインタビューで、このダニエル・ワトソンは次のように話しています。
「日本では新聞を抑えることが必要だとはっきりわかっていました。……略……日本人は一日に最低3紙に目を通し、それから自分の意見を組み立てるのです。」と....。
ここで、読売新聞社主、正力松太郎についての見逃してはいけない注目するべきポイントがあります。
それは、
正力は戦前の警察官僚で、東京裁判でA級戦犯として巣鴨プリズンに入れられ、1947年に釈放されています。
正力のCIAコードネームはポダム。利用できる人物ということで、絞首刑にならず釈放されたのではないかといわれているところです。
一方、
中曽根氏は1953年の夏にハーバード大学で開かれた「夏季国際問題セミナー」に参加し、
このセミナーを統括した後の大統領補佐官・キッシンジャー氏らに案内されて米国の原子力施設などを見学しています。
中曽根氏が原子力研究に慎重な日本の学界の現状を「政治の力で打破する」と決意し、
原子力推進の先頭に立つようになったのは、
このセミナーへの参加が決定的なきっかけになったといいます。
また、マッカーサー司令部のCIC(対敵国諜報部隊)に所属していたある人物からの働きかけによって中曽根氏がこのセミナーに参加したといいますから、
日本初の原子力予算の通過は米国の諜報活動の賜物でもあり、
その米原子力戦略に従い、日本への原発導入に積極的に動いたのが、
中曽根康弘氏と当時、読売新聞社主で日本テレビ社長だった正力松太郎氏(後に政府の原子力委員会初代委員長)でありました。
私達がぼけ~としている内に、
アメリカの日本洗脳計画は水面下で着々と進んでいたっつうわけです。
なぜ、日本は、アメリカの意向に、自らも飲み込まれていったのか?
そこには、大国アメリカによって植え付けられた
日本国の屈辱的なコンプレックス(劣等感)が
大きな原因としてあるように思うのです。
日本国のコンプレックス(劣等感)の成り立ち
~牙を抜かれた去勢体験~
1、広島、長崎の原爆体験
2、東京裁判
3、新憲法公布(作家・永井荷風は「米人の作りし日本国憲法今日より実施の由。笑ふべし」と当時語った)
4、日米安保条約署名
これらの体験により、日本国は牙を抜かれ去勢され国民は思考力を無くしていく...。
日本の心に住み着いてしまったコンプレックス(劣等感)は
その埋め合わせを、なんとかしようと、
大きな力を欲した
日本国も核という大きな力を手に入れ
屈辱的な劣等感を見えなくしたかった....
世界に対してパワーシンボルとしての核の平和利用を欲したのだ
そして、皮肉なことに、
欲すれば、欲するほど、
日本国は、ますますアメリカに依存するようになり
さらに、牙をぬかれ、
それは、今、現在も続いているのである。
<長くなってきたので、次回に続きます。>
今回は、この曲を聴いてお別れしましょう!
それでは、
ばいちゃ!!!
GOMESS
今回はこの事について学んでみました。
前回の続きです。
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1953年12月8日、アメリカのアイゼンハワー大統領が、国連総会で「アトムズ・フォー・ピース」の演説をした翌年...、
1954年3月 日本では原子炉建造予算2億3500万円が、
中曽根康弘衆院議員(後の首相)らが中心となり可決へと強行された。
これは、
ビキニ水爆実験で第五福竜丸が「死の灰」を浴びた直後で、
被ばくの事実が暴露される約2週間前でした。
2億3500万円という数字の根拠が、3.11以降の現在から聞くと、これまた凄いのだが..
。
中曽根氏は、
「(核燃料となる)ウラン235の二三五ですよ(笑い)」
(『天地有情 五十年の戦後政治を語る』1996年)で述べています。
当時、日本では原子力の研究体制さえなかった時代。
日本初の原子力予算が何の根拠もなかったことを如実に示しています。
そして、この年の前年にあたり、国連総会で「アトムズ・フォー・ピース」の演説よりも前の
1953年6月、
読売新聞社主、正力松太郎に会うのが目的で
アメリカ中央情報局(CIA)の局員であるD・S・ワトソンが来日します。
NHKのインタビューで、このダニエル・ワトソンは次のように話しています。
「日本では新聞を抑えることが必要だとはっきりわかっていました。……略……日本人は一日に最低3紙に目を通し、それから自分の意見を組み立てるのです。」と....。
ここで、読売新聞社主、正力松太郎についての見逃してはいけない注目するべきポイントがあります。
それは、
正力は戦前の警察官僚で、東京裁判でA級戦犯として巣鴨プリズンに入れられ、1947年に釈放されています。
正力のCIAコードネームはポダム。利用できる人物ということで、絞首刑にならず釈放されたのではないかといわれているところです。
一方、
中曽根氏は1953年の夏にハーバード大学で開かれた「夏季国際問題セミナー」に参加し、
このセミナーを統括した後の大統領補佐官・キッシンジャー氏らに案内されて米国の原子力施設などを見学しています。
中曽根氏が原子力研究に慎重な日本の学界の現状を「政治の力で打破する」と決意し、
原子力推進の先頭に立つようになったのは、
このセミナーへの参加が決定的なきっかけになったといいます。
また、マッカーサー司令部のCIC(対敵国諜報部隊)に所属していたある人物からの働きかけによって中曽根氏がこのセミナーに参加したといいますから、
日本初の原子力予算の通過は米国の諜報活動の賜物でもあり、
その米原子力戦略に従い、日本への原発導入に積極的に動いたのが、
中曽根康弘氏と当時、読売新聞社主で日本テレビ社長だった正力松太郎氏(後に政府の原子力委員会初代委員長)でありました。
私達がぼけ~としている内に、
アメリカの日本洗脳計画は水面下で着々と進んでいたっつうわけです。
なぜ、日本は、アメリカの意向に、自らも飲み込まれていったのか?
そこには、大国アメリカによって植え付けられた
日本国の屈辱的なコンプレックス(劣等感)が
大きな原因としてあるように思うのです。
日本国のコンプレックス(劣等感)の成り立ち
~牙を抜かれた去勢体験~
1、広島、長崎の原爆体験
2、東京裁判
3、新憲法公布(作家・永井荷風は「米人の作りし日本国憲法今日より実施の由。笑ふべし」と当時語った)
4、日米安保条約署名
これらの体験により、日本国は牙を抜かれ去勢され国民は思考力を無くしていく...。
日本の心に住み着いてしまったコンプレックス(劣等感)は
その埋め合わせを、なんとかしようと、
大きな力を欲した
日本国も核という大きな力を手に入れ
屈辱的な劣等感を見えなくしたかった....
世界に対してパワーシンボルとしての核の平和利用を欲したのだ
そして、皮肉なことに、
欲すれば、欲するほど、
日本国は、ますますアメリカに依存するようになり
さらに、牙をぬかれ、
それは、今、現在も続いているのである。
<長くなってきたので、次回に続きます。>
今回は、この曲を聴いてお別れしましょう!
それでは、
ばいちゃ!!!
GOMESS
資源 エネルギー ③| 原発賛成音頭part2
『何故、この期に及んでも日本だけ原子力を捨てるという選択が、なかなか出来ないでいるのだろう?意味ワからねぇ?』
今回はこの事について学んで、考えてみました。
前回の続きです。
_________________________________
原発導入のシナリオ ~ 冷戦下の対日原子力戦略
http://video.google.com/videoplay?docid=-584388328765617134#
前回からの続き....。
では、何故?当時のアメリカは、日本に原子力発電を勧めだしたのだろうか?
キーワードとなるのは
『原子力の平和利用』 ATOMS FOR PEACE
第二次世界大戦中から、アメリカは、コツコツと核兵器生産の為に原子力技術を作り上げ、軍事機密として独占しようとしていました。
ところが...、ソ連(49年)、英国(52年)の核実験成功により、米国の核独占は崩れます。
そのことにより、アメリカは原子力政策を転換しはじめます。
1953年12月8日、アイゼンハワー大統領は国連総会で演説をし、核兵器開発競争が世界平和の脅威になっているから、
『原子力の平和利用』を進めようと世界に訴え始め、
これを契機に、世界的に『原子力の平和利用』が本格化していきます。
この時のアメリカの原子力政策転換の本当の目的、狙いはなんであったのか?
まず、アメリカお得意の表の顔は!
『我が国は、破壊ではなく、建設をしたいと願っている。国々の間の戦争ではなく、合意を願っている。自国が自由の下に、そして他の全ての国の人々が等しく生き方を選択する権利を享受しているという自信の下に生きることを願っている。』
『アメリカ合衆国が追求するのは、単なる、軍事目的での核の削減や廃絶にとどまらない。
この兵器を兵士の手から取り上げるだけでは十分でない。軍事の覆いをはぎとり、平和の技術に適合させるための方法を知る人々の手に渡されなければならない。』
世界を平和にするために核軍縮を求めた
のである。
では、本当の目的と狙いである裏の顔は...。
1、米ソの激しい冷戦の中で、アメリカは39カ国と原子力協定を結びソ連に対する為、西側陣営を仲間にして固めようとした
2、激しい冷戦下の中で、アメリカは大量の原子力爆弾を作りすぎてしまい、軍事工場が操業短縮に陥っていた為、同盟国に大量のウランを安く売り、消費してもらい、
アメリカの軍需産業を助けると共に英国、ソ連に対抗し、
他の国に濃縮ウランを作らせないようにし、
電気を作るなどということは主目的ではなくて、
それぞれの陣営を強化するために、技術提供を行い。
核態勢の主導権を奪還しようと、
一石三鳥ぐらいを狙う目的があった。
ここで!原子力というものの大前提を覚えておこう!!
アメリカの原爆製造計画(マンハッタン計画)を発端とする核エネルギー
すなわち原子力は、根本的には、爆弾としての軍事的性質を有するのである。
事実、原子力発電事業に不可欠な「原子炉」や「再処理」技術は、
プルトニウムを利用した長崎原爆をつくるために開発されたものにほかならない。
すなわち、原子力の「平和利用」とは、「平和利用」と称しながら、
長崎原爆という軍事利用の過程の一部を商業的に民間利用しているにすぎないのである。
そして、日本!
アメリカのそのような意向は日本国にも覆い被さっていく
1954年3月1日早朝、
中部太平洋のビキニ環礁。
米軍の実験用水爆「ブラボー」がきのこ雲をあげ、空を真っ赤に染た。

爆心から160キロメートル付近を航行していたマグロ漁船「第五福竜丸」に、
水爆がまき散らした“死の灰”が降り注ぐ。
乗組員23人全員が被ばく。無線長の久保山愛吉さんは半年後の9月23日に死亡した。
第五福竜丸事件である。
この事件は、アイゼンハワー大統領が国連総会で演説した、「原子力の平和利用」(アトムズ・フォー・ピース)を訴えたすぐ後におきた為に
アメリカは全世界から非難を受けることになる。
日本国内では事件を契機にもうれつな反核平和運動が起こり始める。
アメリカとしては、
ヤバい!せっかく『原子力の平和利用』 ATOMS FOR PEACE 作戦が始まったばかりだというのに!へたこいてしまった!
日本をなんとか、黙らせんといかん!
となっていたのだろう
アメリカは急遽、
読売が3月16日付の報道で第五福竜丸の被ばくを暴露してから、
わずか6日後の22日の会議で、
「日本に実験用原子炉を提供する」との提案がなされる。
冷戦が終わってから解禁された文書に、
その理由が記されていたそうです。
「原子力の非戦争使用での攻勢は、ロシアによるプロパガンダへの対抗措置として時宜にかなっており有効である。加えて、日本ですでにおこっている損害を最小限に抑えることができる」と...。
アメリカにとって日本への原発売り込みには
さらに特別な意味がありました
広島
長崎
第五福竜丸
と
アメリカは日本を被爆させ続けた
米原子力委員会のトーマス・マリー委員はこう言ったそうです。
「広島と長崎の記憶が鮮明なときに、日本のような国に原子炉を建設することは劇的であり、これらの街での大虐殺の記憶から遠ざけるキリスト教徒としての行いである」
この言葉に象徴されているように
米国による原爆投下の責任をあいまいにし、
日本国民に原発を受け入れさせることで、
「原子力の平和利用」の象徴にしようという狙いがあった。
それと共に
アメリカは日本の反米運動が共産主義化するんじゃないかと恐れ、
日本に原子力という餌を与え、なだめ、
アメリカへの技術的な依存を深めさせようとする狙いがあったのだ。
これらが、アメリカが日本に原発を進めた理由である。
では、次に
『何故?日本国はそのようなアメリカの意向に飲み込まれていってしまったのか?』
これについては、また次回に続きます....。
最後に、なんかムカついてきたので。
レディオヘッドのトムヨークの別バンド『ATOMS FOR PEACE』のライブを観て
本日はお別れしましょう
それでは、
さよなら、さよなら、さよなら。
GOMESS
今回はこの事について学んで、考えてみました。
前回の続きです。
_________________________________
原発導入のシナリオ ~ 冷戦下の対日原子力戦略
http://video.google.com/videoplay?docid=-584388328765617134#
前回からの続き....。
では、何故?当時のアメリカは、日本に原子力発電を勧めだしたのだろうか?
キーワードとなるのは
『原子力の平和利用』 ATOMS FOR PEACE
第二次世界大戦中から、アメリカは、コツコツと核兵器生産の為に原子力技術を作り上げ、軍事機密として独占しようとしていました。
ところが...、ソ連(49年)、英国(52年)の核実験成功により、米国の核独占は崩れます。
そのことにより、アメリカは原子力政策を転換しはじめます。
1953年12月8日、アイゼンハワー大統領は国連総会で演説をし、核兵器開発競争が世界平和の脅威になっているから、
『原子力の平和利用』を進めようと世界に訴え始め、
これを契機に、世界的に『原子力の平和利用』が本格化していきます。
この時のアメリカの原子力政策転換の本当の目的、狙いはなんであったのか?
まず、アメリカお得意の表の顔は!
『我が国は、破壊ではなく、建設をしたいと願っている。国々の間の戦争ではなく、合意を願っている。自国が自由の下に、そして他の全ての国の人々が等しく生き方を選択する権利を享受しているという自信の下に生きることを願っている。』
『アメリカ合衆国が追求するのは、単なる、軍事目的での核の削減や廃絶にとどまらない。
この兵器を兵士の手から取り上げるだけでは十分でない。軍事の覆いをはぎとり、平和の技術に適合させるための方法を知る人々の手に渡されなければならない。』
世界を平和にするために核軍縮を求めた
のである。
では、本当の目的と狙いである裏の顔は...。
1、米ソの激しい冷戦の中で、アメリカは39カ国と原子力協定を結びソ連に対する為、西側陣営を仲間にして固めようとした
2、激しい冷戦下の中で、アメリカは大量の原子力爆弾を作りすぎてしまい、軍事工場が操業短縮に陥っていた為、同盟国に大量のウランを安く売り、消費してもらい、
アメリカの軍需産業を助けると共に英国、ソ連に対抗し、
他の国に濃縮ウランを作らせないようにし、
電気を作るなどということは主目的ではなくて、
それぞれの陣営を強化するために、技術提供を行い。
核態勢の主導権を奪還しようと、
一石三鳥ぐらいを狙う目的があった。
ここで!原子力というものの大前提を覚えておこう!!
アメリカの原爆製造計画(マンハッタン計画)を発端とする核エネルギー
すなわち原子力は、根本的には、爆弾としての軍事的性質を有するのである。
事実、原子力発電事業に不可欠な「原子炉」や「再処理」技術は、
プルトニウムを利用した長崎原爆をつくるために開発されたものにほかならない。
すなわち、原子力の「平和利用」とは、「平和利用」と称しながら、
長崎原爆という軍事利用の過程の一部を商業的に民間利用しているにすぎないのである。
そして、日本!
アメリカのそのような意向は日本国にも覆い被さっていく
1954年3月1日早朝、
中部太平洋のビキニ環礁。
米軍の実験用水爆「ブラボー」がきのこ雲をあげ、空を真っ赤に染た。

爆心から160キロメートル付近を航行していたマグロ漁船「第五福竜丸」に、
水爆がまき散らした“死の灰”が降り注ぐ。
乗組員23人全員が被ばく。無線長の久保山愛吉さんは半年後の9月23日に死亡した。
第五福竜丸事件である。
この事件は、アイゼンハワー大統領が国連総会で演説した、「原子力の平和利用」(アトムズ・フォー・ピース)を訴えたすぐ後におきた為に
アメリカは全世界から非難を受けることになる。
日本国内では事件を契機にもうれつな反核平和運動が起こり始める。
アメリカとしては、
ヤバい!せっかく『原子力の平和利用』 ATOMS FOR PEACE 作戦が始まったばかりだというのに!へたこいてしまった!
日本をなんとか、黙らせんといかん!
となっていたのだろう
アメリカは急遽、
読売が3月16日付の報道で第五福竜丸の被ばくを暴露してから、
わずか6日後の22日の会議で、
「日本に実験用原子炉を提供する」との提案がなされる。
冷戦が終わってから解禁された文書に、
その理由が記されていたそうです。
「原子力の非戦争使用での攻勢は、ロシアによるプロパガンダへの対抗措置として時宜にかなっており有効である。加えて、日本ですでにおこっている損害を最小限に抑えることができる」と...。
アメリカにとって日本への原発売り込みには
さらに特別な意味がありました
広島
長崎
第五福竜丸
と
アメリカは日本を被爆させ続けた
米原子力委員会のトーマス・マリー委員はこう言ったそうです。
「広島と長崎の記憶が鮮明なときに、日本のような国に原子炉を建設することは劇的であり、これらの街での大虐殺の記憶から遠ざけるキリスト教徒としての行いである」
この言葉に象徴されているように
米国による原爆投下の責任をあいまいにし、
日本国民に原発を受け入れさせることで、
「原子力の平和利用」の象徴にしようという狙いがあった。
それと共に
アメリカは日本の反米運動が共産主義化するんじゃないかと恐れ、
日本に原子力という餌を与え、なだめ、
アメリカへの技術的な依存を深めさせようとする狙いがあったのだ。
これらが、アメリカが日本に原発を進めた理由である。
では、次に
『何故?日本国はそのようなアメリカの意向に飲み込まれていってしまったのか?』
これについては、また次回に続きます....。
最後に、なんかムカついてきたので。
レディオヘッドのトムヨークの別バンド『ATOMS FOR PEACE』のライブを観て
本日はお別れしましょう
それでは、
さよなら、さよなら、さよなら。
GOMESS
