予告すると人が集まっちゃうからだろうけど。
陽が落ちて空がしっかり暗くなった頃、急に外でドでかい音がした。
カーテンを閉めていたので外は見えない。
とにかくバン!バン!とドでかい音がする。
我が家の周辺はちょっと厄介めな若者が定期的に何かとやらかすので、私は咄嗟に思う。
『とうとうドでかい打ち上げ花火をこっちに向かって打って来やがったか!』
と。
やりかねないのだ。
とうとう直接戦闘か……暑いのに。
などと思いつつ窓の外を確認すべく立ち上がる。
その間もバンバンとドでかい音が轟いている。
カーテン越しに窓枠へ手をかけ、万一火花が飛び込んで来たら面倒だと思い5センチ程度だけ開けてみた。
暗い空に上がっていた。
ドでかい花火。
我が家に向かって輩が打ち込んでいたわけではなく、上空へ真っ直ぐ明るい尾を引いて大きく綺麗に咲いていた。
思わず踵を返し部屋の電気を消してスマホを手に窓際に戻る。
私はなかなかに目が悪いので裸眼だと周囲の全てがぼやけて見えてしまう。
それを解消するのがスマホのカメラ機能。
レンズを通して見ると景色が鮮明に見える。
見るついでにビデオモードに切り替えて録画ボタンを押した。
ほぼ切れ間なく打ち上がる花火。
久々に臨場感を味わっている自分に気付いた。
同時に特に予告も無かったのに何で上がってるんだろうかと考えてもいた。
少なくとも祭の花火ではないな、とは思った。
理由はともあれ綺麗で大きな花火。
始まって数分でスターマインが始まったので、これはあと少しで終わると察した。
スターマインの後、大きな花火が一発ずつ打ち上がる。
それまではスマホの画面越しに見ていた私はふと思う。
レンズ越しの景色は本物じゃないんだよなー。
これはいつも思うことだけど。
スマホ越しの景色や文字はよく見える。綺麗に鮮明に見える。
だけどそれは本物ではない。
十代の頃にある写真家と話をした。
その人が聞かせてくれた。
「世界のあちこちに行って綺麗な景色を沢山撮って来た。
これまで一番綺麗だったのはアラスカで見たオーロラと朝日だな。
周りに何も無くて。夜は真っ暗ですごく寒くて。世界にひとりぼっちな気がして。
でも空を見上げると星がもう空一面に輝いていて。明るく感じるんだ。
運良くオーロラが見られて、それが大きくて本当に綺麗で圧倒された。
何枚も写真を撮って。綺麗だったから写真の仕上がりも良かった。
朝日も撮るつもりで行ったからその場でテント張って、朝日が昇り始める前まで眠った。
目覚ましより早く自然と目が覚めた時には空がうっすら明るくなってて、
しばらくすれば朝日が顔を出すって頃で。
僕はテントを出てカメラを構えて日の出を待ってた。
オレンジに染まった地平線に小さい点の光が表れて、あっという間にその光が大きくなっていく。
その景色もすごく綺麗で。何枚か撮影してから思わずカメラを下して肉眼で眺めちゃった。
朝日の写真もよく撮れててね、それはそれで綺麗なんだけど……
でもね、違うんだよ。結局肉眼で見たものが一番綺麗なの。
プロがこんなこと言うのはおかしいのかもしれないけど、写真っていうのは所詮”偽物”なんだよ。
僕は綺麗な景色を沢山の人に届けたいと思って自分で見て感動した景色を写真に残してるけど、
でもやっぱりそれは偽物なんだ。本物のコピーでしかない。
だから本当の景色を伝えきることができない。
それでも僕は綺麗な景色を残したいし伝えたい。もどかしいんだよね。」
感受性が高かった当時の私はこの話を聞いて何故だか泣いてしまった。
自分も写真を撮るのが好きで、綺麗な景色の瞬間を残しておきたいと思う一方で、やはりそれは自分の目で見た本物ではないと心のどこかで感じていたからなのかもしれない。
今の私が当時の私の思考をごくごく簡単に代弁するならば
「わかるわー!刺さるわー!!」
なんだけど、そんな言葉も出ないくらい泣いた記憶がある。
想いを言葉に出来なくて写真家を困らせたのは未だに申し訳ないと思っている。
このエピソードを思い出す時、私はスマホのカメラ越しに景色を見るのをやめる。
裸眼で見る景色がどんなにブレていても、目に入る全ての光がぼんやりと滲んで見えても、それでもこれこそ私が”生”で見る本物の景色なのだ。
今日見た最後のドでかい花火は滲んで見えた。
だけどとても輝いていて、ともすれば火花がこちらに落ちてきそうな迫力だった。
ハッキリくっきりなんて見えやしないけど、それでも直接見て良かったと思えた綺麗な花火だった。
ところで、今日のこの花火は何だったのか。
気になってツイッターを開いてみる。
市町村が出している情報よりツイッターの方が情報を得るには手っ取り早い。
案の定花火が突然上がったというツイートを一件見つけた。
おや、もしやご近所さんかなと思いながらタイムラインを更新すると、沢山の花火ツイート。
どうやら全国のあちこちでほぼ同じ時刻に花火が上がっていたようだ。
この時点でようやく昨年テレビで見た悪疫退散の花火かなと理解した。
普段は人との繋がりやSNS上での繋がりなどにいまいち理解しきれていないような妙な感覚を抱いているけれど、
あちこちで見知らぬ人が”花火”という同じものを見て感動を抱いて発信しているのを目にして、
なんとなく、なんとなくだけど泣きそうになった。
理由を深くは語れないけど感動したのかもしれない。
花火が夜空に上がること、それを人混みの中で暑い暑いでも綺麗だと思いながら見上げることが当たり前だと思える日常が一日も早く戻ってきて欲しいとしみじみ思った、そんな夜だった。
※これを書いている間の脳内BGM:榎本くるみ『打ち上げ花火』