すぐにではなくても、自身の子供いっぱい、それを育む存在、女性、男自身がそれまでに生きてきた人生を肯定できる(その為の条件はすくなくはっきりしているとしても、周囲は何も知らない、もしくは勘違いする、させられることもおそらくある。色々な事に興味があっても、興味が無いと思い込まれる事もある、色々な経験にがんじがらめになっていたりするが、そんな事についての意志の疎通の機会はふつう日常に無い、ストレートに聞けば良い、それだけの事なのに。そんな状況を作れていないのも弱さかもしれないがどうしようもない場合が何故か少なくない)、信じてくれるもの、それらの幸せを支える広い世界と仕組み、夢、男友達、そんな男を支える存在、これらを実際に本当に作り守るためのちから。必要なものの必要を絶対に満たすためのちから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すべてではないが、それ以外の男のためのもの、男を守るためのもの は嘘っぱちが結構あると思われる、というか、そう思わないとやっていられないほど、上に述べたものに代わるものは無い、例えば、誰かの口うるさい怒鳴り声を聴かずに済むこととか、誉め言葉とか、誰かの一時の笑顔にしても、さらには上に述べたものに微小なレベルでしか影響しない知識とか、それを俺が当面必要としているように見えても、上に述べたものに比べるなら、全部カスに等しい。上に述べたものには代わりがない。これらが大事であることは分かる。でも、上に述べた事とは比べようがない。男にとってはきっとそうだ。俺は男としてそう思う。(これはきっと、男にとって、嫌いな男からの施しほど初めっから要らないものはない、という事が本質的に含まれる。何故なら、それによって上に述べた代える事の出来ないものが奪われるかもしれない。そのような場合が少なくない。その可能性があるならいらない。いるはずもない。でも、知らないうちに、ということが有りすぎる。逆に言えば、俺も、いつの間にか知らないうちに奪われていただけでは無く、相手にとって要らない施しのようなものをしてきた部分も少しとも言えずあるかもしれない(しかし、俺にも反省があるが、それによって俺の手の上に残ったものがここにあるわけではないので、俺が奪ったとも言い難い。それはべつのものにきっと結局は奪われている)。そして、しかし、何故そもそもこの例で男が男を嫌っているのかと言えば、それはおそらく、代える事の出来ないものをすでに明らかに後に友情を再構築するのが不可能になるような不当な方法で、相手に奪われた事があるという経験や確信が、避けようもなくそうさせるのである。上に述べたものには代わりがない。これに代わるものにまるで満たないが、出来るだけ近いものがあるとすれば、上に述べたものを失った時間や意味を含めて返してもらうか、それが不可能なら、本当に、法外といってもいいほどの相当の多額の現金を手渡しで俺に譲渡してもらうような事くらいしかないだろう(でも、どんなに多額の現金なんてもんですら釣り合う筈が無いんだよ)。言えるのは、上に述べたものは、ほかのものでは、つり合いが取れないほど男にとって代えようがないという事だ。だからこそ、詐欺のような手法をはじめから取ろうとするものらがいるのも、あり得ない話ではない。本当に下らない話になる。本当は初めから友情が壊れるような事は男同士のあいだで起こらなければ良い。元来はすべての男と男のあいだに友情が存在しないわけではない、むしろ、男同士の友情は、ありふれているという状況の方が本来は自然に思える)。しかし、いずれにせよ、上に述べたものが得られないのも男自身のちから不足と思われる。というより、そう思うしかない。ここは、そんな事にも気づくのが難しい場所。そんな事にも気づくことが難しい。気づいても、どうすればよいかも難しい。いつも遅い。俺は弱いが男。やっと気付き始める。いつも遅い。でも、上に述べた事とは比べようがないことをわかってもらわないといけない。男にとっても女にとっても当然の事であるはずだと思えるけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは、こんなことに気づくまでにこんなに時間がかかって、それでも未だに燻る男がいる例を挙げて、俺と全く同じ道をたどることになるかもしれないやつが、もう少し早く気付けるようになるための文章。